吉川 河内田 生贄地蔵 Scapegoat-Dizou-bosatu


 かつて、生贄自蔵と呼ばれる複数の仏像は 河内田橋の袂に 立てられていましたが、手作り公園 癒しの散歩道裕園内に 移されました。 

4尊の仏が祀られています。左の大きい地蔵菩薩像には「台座前:法界 左:橋施主 沼本仁左衛門 右:宝永六年 一月八日吉日」と記されています。次の地蔵菩薩像には「心石:南無阿弥陀佛 台座:法界」とだけ 記されていて、水の犠牲者の供養塔と思われます。右側の2尊の舟形仏像の大きい仏像の縁には「左:矢野村 右:おとよ」と刻まれ 小さい仏像には「左:うちの〇〇と〇〇 右:よノなつ 」と刻まれています。傍の案内板には『お地蔵様「人柱地蔵」 その昔は眼下に流れる吉南川には橋が有りませんでした 人々は川を渡る不自由な往来をしていました 明治の頃河内田橋のたもとに人々の安全と川の静めに、人柱のかわりとして土地の沼本庄屋によってお地蔵さまがまつられました 長い間橋のたもとにて人々の往来の安全を見守って来ましたが、その後橋の改修に伴いこの山に移転安置されました』と 記れています。河内田には 銅鉱山 水晶鉱山 砂鉄採取所等があり廃砂等で川が荒れていたと思われ、しばしば洪水に見舞われ 川の犠牲者を出したでしょう。それで犠牲者を悼み、又犠牲者を出さないよう祈願し河内田橋に地蔵等を祀ったのでしょう。  五輪山の手作り公園癒しの散歩道裕園:吉川河内田 北緯34度48分43秒東経133度45分36秒    河内田橋:北緯34度48分39秒東経133度45分37秒 牛渕橋:北緯34度46分1秒東経133度45分46秒 金集山:銅鉱山 北緯34度48分41秒東経133度46分2秒  牛淵:吉川363-372・374・375・384・386番地  村人は牛を洗った場所だと言います 地形から推測し石淵からの転訛でしょう  洪水の後に石が集積した場所 或いは 垢離取大明神と呼ばれる大岩等が あった処と思われます 大明神:吉川 346-348番地 塩垢離大明神(大岩の名前 垢離取大明神が洪水で流されたと 伝説されています    河内田:吉川434・717(北緯34度48分54秒東経133度45分37秒)・739番地等 加茂川 吉南川 牛渕川が流れています    流田:吉川281・617番地等  流された場所あるいは金穴流Kanna-nagasi地 輝砂:吉川452・453(北緯34度49分6秒東経133度45分39秒)番地 雲母の産地だったのでしょう 水晶山:北緯34度48分38秒東経133度45分48秒    梅木・うめのき:吉川463・478番地等 埋もれた地あるいは埋めた地(築地)でしょう 砂田:吉川473・481(北緯34度48分59秒東経133度45分41秒)・539番地等 砂地の意味を持つ地域でしょう 白河内:吉川504番地 川に挟まれた不毛の地の意味を持つ地域でしょう    ソ子:吉川522-524・526番地 周囲より高い所を表す地名 あるいは 洪水等で 土砂が流され造られた所の地名 扇田:吉川574・690番地 等 土砂が扇状に集積した地域    フケ:吉川599・612番地 等  洪水などで削り取られ深みができた場所 あるいは湿地        平成26年(2014年)9月17日