日吉神社 Hiyosi-jinjya


日吉神社日枝神社Hieda-jinjya 或いは 山王神社 等は 山王信仰に 基づき 滋賀県大津市坂本5丁目1-1 番地  北緯35度4分24秒東経135度51分54秒の 日吉大社(西本宮:大己貴神 Oo-Namuti-no-kami 東本宮:大山咋神Ooyama-kui-no-kami)より勧請された神社で、大山咋神Ooyama-kui-no-kamiと 大物主神Oomono-nusi-no-kami( 大国主神Ookuni-nusi-no-kami)を 祭神とします。神仏習合の頃は「山王権現」「日吉山王」と 呼ばれ、現在でも 山王さんの愛称で 呼ばれます。なお 日吉大社の神使は です。比叡山の麓である 滋賀県大津市に鎮座する日吉大社は 山王権現とも 呼ばれています。大山咋神を祀る 古い山岳信仰に 平安時代の初め 延歴年間(782~806年)に 天台宗の開祖 伝教大師最澄が 延暦寺を 建立すると 中国天台山国清寺に 祀られている 山王祠地主神 山王元弼真君 Sannou-Genhitusin-kun)に 倣い 山麓に 祀られていた地主神であ る 日吉の神を 延暦寺一山の鎮守神 天台宗の護法神としました。山王とは 霊山守護の神霊の事です。主なご利益は 方除け 厄除け 縁結びです。https://ja.wikipedia.org/wiki/山王信仰」「https://kotobank.jp/word/山王信仰-838841」  山王様:山王様は山王信仰の基づく神社の愛称ですが、吉備中央町では 素戔嗚命 或いは素戔嗚神社の愛称である事がしばしばあります    ㊟神社の前に付された地名は他の神社と区別する為に付けられていて、神社の正式名称でない場合があります 


円城 円城寺の日吉神社 Hiyosi-jinjya of Enjyou-ji

円城森免742番地 北緯34度53分31秒東経133度48分2248分22秒に 本宮山円城寺が 建ちます。円城寺本殿の裏側に一社宮が2社建ちます。大きい社は 日吉神社であり、小さい社は 荒神社で 三面二臂San-men-Ni-piの荒神らしき神が 祀られています。   日吉神社:北緯34度51分46秒東経133度49分25秒 下加茂 稗谷1479番地に建つ 日吉神社の山の支配神である大山咋命Ooyama-kui-no-mikotoを 勧請したとされます    森免:円城470・474番地等 稗谷:下加茂1479・1505番地等 平成28年(2016年)4月8日

 

 下加茂 日吉神社 Hiyosi-jinjya in Simogamo

北緯34度51分46秒東経133度49分25秒 下加茂稗谷1479番地に 日吉神社が 建ちます。氏子は 下加茂 高谷 美原 平岡です。 御紳徳は 病気平癒です。祭神は 大山咋命(岡山神社庁では大山祇命Ooyama-tumi-no-mikoto) 大己貴命Oo-Namuti-no-kami 少彦名命Sukuna-hikona-no-mikotoです。主な 祭りは4月20日の祈年祭 10月第3日曜日の加茂大祭 11月23日の新嘗祭Niiname-sai/Sinjyousaiです。 左端の建築物が社 務所と思われます。写真では 見えませんが、その奥に神輿倉があります。本殿や 拝殿の右の社は 稲荷神社です。赤井鳥居の前と奥に 何やら不思議な岩が 祀られています。稲荷神社の右の小社は 天満神社注連神社Tyuuren-jinjya/Sime-jinjyaが 合祀されています。天満神社には 菅原道真公の像が祀られ、注連神社には 天鈿女命が 祀られています。その近くに 常夜燈が 立ちます。拝殿の前に隋神門が有り 櫛岩間戸大神Kusi-Iwamado-no-ookami 豊岩間戸大神Toyo-Iwamado-n-ookamiと 思われる神が 祀られています。昔 お遣いとして猿 を使っていた山の神の 大山咋神が 下加茂古谷の森で 猿が 呼ぶのを聞きつけて 何事が起ったのだろうと 思ってやって来ると、村人は  猿が沢山いて 作物を荒らすので困って 猿を退治しようと 必死に追い回していたのです。それを見て 大山咋神は  猿が村人に迷惑を掛けていると知って 猿を山に帰しました。お遣いの猿が 百姓に 迷惑を掛けた事に 自責の念を抱き 侘びをしようとして 仲の良かった国土開発と 農業の神である 大己貴命を 呼ぶと、大己貴命の義兄弟の弟分の小彦命も 一緒に付いて来ました。大己貴命と 小彦命Sukuna―hiko-no-mikoto は 快く大山咋神の願いを 聞いてやり、農業を広め 酒造りを教え 温泉療法を 教えました。大山咋神は 喜んで ここに大杭を打ち 住み着きました。村人も感謝し この地に3神を祀りました。「加茂川町史」

第46代孝謙天皇の頃に 報恩大師Houon-daisiが 備前48ヶ寺を建設した内の1つで、奥院を 本宮山に建て、本堂である 茲觀坊Jikan-bouを 現在の下加茂に建てました。第60代 醍醐天皇 延喜の頃に 比叡山延暦寺に近江國坂本 日吉山王大山咋命が 勧進されます。後に 茲觀坊と日吉山王の大山咋命が 習合します。 正安3年に 社殿が造営され「大工近次郎 祝師僧Hahuri-si-no-sou 信慶大徳 禰宜物部宗恒」 と記されました。天文18年、虎倉城伊賀久隆が 大工藤須六左衛門に 社殿を造営させます延宝4年岡山藩主 池田光政公が 修造 し現在に至ります。池田家は 代々社領米を献じ、継政公は 享保19年5月に 疫病退疫祈祷し神符を納めました。日吉神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁 (okayama-jinjacho.or.jp)

 延喜年間(901~923年)に 近江国日吉神社を 勧請しました。宮の地に生息する猿が 信仰篤き人の所を訪ねると 吉が起こり、信仰しない者の家に行くと「猿たちは 日吉神社の神である  信ぜよ」と 告げる夢を 見させられました。延宝4年(1676年)社殿を造営 正徳3年(1713年)伊賀久隆が 神領を寄進し 明治34年(1901年)1000年祭に 池田家が 社米を献上した。「加茂川町史」「化気神社の鬼対所」「藤麿の鬼退治」を参照ください 

 

山王橋の近くに 道案内標識が立っているので 安愛に従い 西に向います。途中に 分岐がありますが 分岐を 避けた方が 参詣し易いので 本道を 進んでください。神社入口に 対の石柱「奉寄進大正十四年十月 戸川惣平」「奉寄進」が 建ち、その奥に 鳥居「日吉神社」が あります。鳥居を潜ると 右手は 駐車場になっており 石垣の上の平坦地につながります。左手に 手水舎があり、手水の作法が 示されています。左手は 桧の植林地です。13段の階段を登ると 対の備前焼の狛犬と 対の燈篭「片山久左衛門䂓久享和起元〇酉九月」「片山久左衛門䂓久享和起元〇酉九月」が 立ち 随身門が 建ちます。左の灯籠の左手には 石柱「寄附者碑」群が並びます。境内の広場の奥に 拝殿があり、本殿が 繋がります。右手は 杉の植林地です。本殿右手に 木柱「加茂川町指定文化財 顕造物 日吉神社本殿 付胸札」と 記念碑「本殿屋根葺替竣工 玉垣建立 神輿新調 昭和五十二年四月二十四日建之」があります。本殿右隣に 鳥居を 備える稲荷神社「〇〇稲荷大明神」が 建ち その左に 木柱「加茂川町指定文化財 建造物 稲荷神社本殿付軒札」が立っています。稲荷神社の前に 不思議な岩が配置されており、右手に 灯篭「奉燈片山〇〇直久建之弘化三丙午ねん中夏吉日」が立ち、稲荷神社の右隣に 小社「天満神社注連神社」と 灯籠「献燈片山貞九朗直久〇化三丙午中奈津吉日」があります。拝殿左に 寄附者碑「平成七年度神輿新調寄附者芳名」が立ちます。本殿左手に 社務所らしき建物と 神輿庫と思われる建物が 前後に建っています。社務所の左手に 簡易トイレが 設置されています。

新嘗祭:宮中祭祀で 収穫祭に当たります  11月23日に  天皇が五穀の新穀を 天神地祇に奉納し、天皇も 食してその年の収穫に 感謝します    加茂東寺跡:北緯34度51分46秒東経133度49分20秒付近一帯    長杵:下加茂33・40番地等 宮田:下加茂924番地    權畑・権畑:下加茂995-1000番地 馬轉シ:下加茂1037・1046番地等    日吉神社:下加茂1128(北緯34度51分35秒東経133度48分50秒)・1129番地    大寺:下加茂1311・1397番地等 宮荒神:下加茂1374番地    稗谷:下加茂1479(日吉神社境内)-1480・1492-1505番地    日名荒神:下加茂1121・1128番地     平成23年(2011年)11月3日