刈尾のコトコト様 Mx. Kotokoto in kario

賀陽地区の吉川刈尾の一部では 結婚の披露宴に 呼ばれなかった若者達は その夜 付近の墓石の笠石を 担いで 新婚初夜の家に 集まり 縁側に放り投げ 笠石を 叩いたり 扉を叩いたりして コトコトと 鳴らしました。すると 新郎新婦は 酒と肴Sakanaを 振る舞い  追い帰します。久世地方にも 同じような 習慣が有ります。「東苅尾の村人より口伝」 昭和20年程迄は 結婚式の夜 結婚式で 祝ってやれなかった新郎新婦の友人達は「鶴亀の祝い物」を 持って 初夜の宿を 訪れ 戸をコトコトと 叩きました。初夜の邪魔者を 追い払う為に 新郎新婦は祝福の礼として 酒と肴を 振る舞いました。酒と肴のふるまいが 無いと 友人達は「お前等 不義理者は 早く墓石のお世話に成れと。」ばかりに 墓石を 担いで来て 戸口に 置いて帰って 行きました。どこから持って来たか 解らないので 墓石を戻せず 困ったそうです。「竹部の村人より口伝」ホトホト(ほとほと)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)https://w.atwiki.jp/eddyworld/pages/32.html」 


昔のコトコト様:藁細工の馬(馬の陽根は逞しい)を作って 初夜の夜に 縁側を叩くと1升を5合益に2つに分けた(枡舛繁盛)酒と肴が 振る舞われました。新郎新婦は 縁側の戸を 開けて待っていたとされます。いつの間にか お地蔵様(双胎地蔵から始まった)に 代わり 更に墓石(地蔵の代わり)に なったそうです。 鶴亀の祝い:長寿の祝い。 倒墓Taosi-baka:昔は 一部の家庭では 屍を 奥深い山中に 埋めました。墓参するのに 不便なので お詣りする供養墓を 家の近くに立てました。埋墓、即ち 先祖墓は 放置され 祭られません。 遺体を 埋めた場所は 解らない方が良いと 考えらていたので 没後33年 或いは 50年に「倒し墓」と言って 墓石を 片づけ 位牌を 仏壇から下ろし 焼く 等する風習が ありました。33年 或いは50年経つと 死者はそれまでの祖霊に 融合し 山の神に なります。 盆に帰ってくる祖霊は 祭り墓や 寺 等からではなく 埋墓のある山から 帰ってくるのです。埋墓(いけばか)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)」「https://ja.wikipedia.org/wiki/両墓制」 清経の埋墓倒墓:上加茂清経 北緯34度50分56秒東経133度48分4秒の清経摩利支天社の上 清経庚申堂の道向かいから その上方に掛け 沢山の墓石が あり 多くは倒されています。     平成26年(2014年)10月17日

 

平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。P74に竹部の「コトコト」の話題が載っています。