昔 昔 虎倉城主の伊賀家久は父が不審死すると 上司である岡山城主宇喜多直家を恐れて 虎倉城を捨て、吉川千木の小倉の虎倉山に祇園神社と摩利支天皇社を祀り住み 農業をしながら毛利氏の戦線に従事しました。小倉は未開の地で田畑を開墾しても 害虫の被害に苦しめられました。村人の行っていた
虫祈祷を保護し自らも虫祈祷に参加しました。松明の明かりに引き連れられた虫が 虫祈祷の列に付いて行き、村外れの才の神の祀られる地蔵乢に来、祈祷に用いられた虫の依代が焼かれると 虫達は四方に散り始めました。すると地蔵の元から金色の2羽の鳥が現れ、逃げる害虫を食べつくしました。その年からの小倉を初めとする千木集落は水の 不足もなく虫の害もなく
作物は良く採れ、宇喜多直家の追及も無くなりました。家久は 金の鳥は摩利支天王と素戔嗚命の化身であると信じ 神の加護に感謝し、ますます虎倉山の信仰に熱心となりました。「吉備中央町の民話(1)」「伊賀家久」を参考にした創作物語
虎倉城:御津虎倉 北緯31度50分13秒・東経133度50分2秒 毛利方から織田方に寝返った宇喜多直家領の約3割を占める伊賀久隆の護る城でしたが、天正9年(1581年)久隆は優秀な能力を妬まれ直家に毒殺されました 久隆の子の家久は毛利氏の小早川隆景を頼り、吉川へ逃れました 小倉:吉川7344・7427番地等 虎倉山摩利支天皇社:虎倉山中 北緯34度50分16秒・東経133度45分8秒 虎倉山祇園神社:吉川千木
北緯34度50分15秒・東経133度45分10秒 摩利支天:陽炎を神格化した仏で、または日輪や月光の神格化した仏で、護身 蓄財の仏神です 単独で祀られる事が多いのですが
勝負の神として剣の神である経津主命等と共に祀られます 素戔嗚命:災厄除けの神様 農業紳 疫病神 武神 和歌神 海原の暴風の神です 金星神 月神 龍神でもあります
平成28年(2016年)8月23日