竹荘 新谷 新谷崇高の大蛇退治 giant snake killinng by Sintani-Munetaka


 天平宝字6年(762年)は竹荘に 霜の害に 続いた後に 旱魃Kanbatuが 起こり、多くの人が 犠牲になりました。その頃、新谷宗高Sintani-Munetakaの妻は 氏神の神子神社Miko-jinjyaの巫女を していたので、社に籠らせ 雨乞いをさせました。巫女は「神子山が低いの 天に祈りが 通じない」と訴えると、宗高は5段の大仙の高さに匹敵する 櫓\を 組みました。巫女は 櫓の上で 鬼神となり13日間 鈴を鳴らし 祈祷し続ると、鈴は ピタリと止みました。不思議に思い 櫓に登ってみると、神子は 何者かに 食い殺されていました。付近を 捜索すると、櫓の下で 大蛇が寛いで いました。宗高は 大蛇に 挑み、相討ちになりました。すると 大蛇の口から 雲が 湧きだし、野や山は 雨で 潤いました。感謝した村人は 宗高を 新谷荒神社に 祀りました。神子山の麓に 鳴る岩と言う大岩が 有り 大災害 が 起こると 大轟音を出して 鳴るそうです。「岡山の伝説・神子神社」「新谷よりの村人より口伝「吉備中央町の民話(1)」

 

新谷崇高の大蛇退治物語 story of GIANT SNAKE KILLINNG BY SINTANI-MUNETAKA

天平の頃は 酷い冷害 旱魃 洪水が 繰り返し村を 襲いました。中でも 天平宝字6年(762年)は 霜の害に 続いて 旱魃が 起こりました。租税は 免除されましたが、百姓は 困窮を極め、流行病が 蔓延したため 病死や 飢餓死る者が 続出しました。その頃 新谷宗高の妻は 氏神の神子神社の 巫女をしていました。

背が 高く色白で「立てば 芍薬 座れば 牡丹 歩く姿は まるで 百合)の花」の ようでした。それだけに 村人からの親しみも 信頼も 高かったのです。宗孝は 妻の社会的責任を 看破Kanpaする訳に ゆかず、妻を 社に籠らせて 雨乞いを させました。必死の 精根尽きる程の祈願にもかかわらず、雨が 降らなかったのです。巫女は「この社のある高い神子山でも 天からぁ 遼に 遠いけぇ 祈りゃぁ 神に 届きゃぁせん  もそっと 高い所で 祈祷せにゃ おえまぁ」と言うので 宗孝は高い櫓Yaguraを5段に組んで祈 祷を 続けさせました。それでも 雨に 恵まれませんでした。櫓を 次々継ぎ足して大山に 迫る)高さになると 巫女は 大 胆にも大山に 飛び 移り 出雲の神々に 頼んで 水の種 つまり出雲に湧き出る八雲を 貰って来て 櫓の上に祀り 鈴を 気が狂ったのかと思われる程に ジャンジャンと 鳴らして 祈ったのです。その鈴の音は 神子山の大岩に 木霊しKodama-si、村里に 雷のような音として 聞こえました。優しい顔立の目は 血走り 頭髪は 浪打ち 長い間の祈祷の連続で 痩せ衰え、日焼けした顔は 強張ってKowaba-tte あたかも般若(Hannyaの様な 様相に変わっていました。13日間 断食し 休む事なく 鈴は 鳴り続けられました。すると その夜櫓に祀られていた雲が 綺麗に晴れ、パタリ と 鈴の音が 止まったのです。村人 と宗孝は 不思議に 思い、櫓に登って見ると 巫女の姿は無く 血にまみれ た神衣の端切れと 骨の一片が 絡まって見つかりました。無残(にも 何者かに 食い尽くされていたのです。「犯人は 何者か」と 付近を 村人総出で 探索しましたが なかなか 見つかりませんでした。最後に 犯人がいる筈がないと 思われた櫓の下を 探すと「燈台下暗し」の例えの通りに 満腹した大蛇が 気怠そうに 蜷局Toguroを 巻いて 寛いでいたのです。大蛇の目は 赤く 火を噴いているように 爛爛としており、呼く息は 生臭く、2本の舌を 閃かせてHiramekase-teいました。勇気ある者が 退治しようとして 近付くと、息吹Ibukiの毒気で 動けなくなり 忽tsatimati飲み込まれました。宗高は 引くに引けない気持ちに 耐え切れず「こ奴が 竹荘の水気ぇ 全部 吸い取っていたんか   妻の努力で 得た雲の種まで 吸い取ったばかりか、妻まで 食い殺した  妻の仇 民の禍の種だ  許さん」と 叫び、真っ向から 切り掛かりました。しかし 大蛇は 素早く 飛び除け、魔力の息吹を吹くので 毒息を避けるだけでも 精一杯でした。苦戦する 宗高に 隙(ができると その一瞬の機(を付いて 大蛇は 宗高を 鈴の音を 木霊させた大岩に 太く長い体で 巻き付け 締め上げました。呻き声を発しながら 毒息吹を 避けるために 剣で 目前の喉を 何度も 何度も 激しく突きました。大蛇の締め付けに 耐える力も 尽きようとした時、硬くて 突き通せない 鱗と鱗の間に 剣が 食い込んだので、渾身konsinの力で 剣を深く 又 深く刺し進めると 大 蛇の毒気は 止み 大蛇の締め付けも 緩みました。村人達は ここぞとばかりに 宗高の加勢に 大蛇に 切り掛かりますが、硬い鱗の鎧の尾で 跳退けられました。そして 終に 両者は 相討ちして 果てました。戦い終えた 大蛇も 宗孝も 互いの力を 尊敬し合うように 満足そうな表情だったそうです。すると 大蛇の口から 八雲が 空に舞い上がり 棚引く 雨雲に成り 雨が降ったのです。大蛇に 宗高と 巻かれた岩は その後 雨が降っていた 3日3晩に渡り 稲妻 と雷を受けながら 苦しそうに 呻き続けました。そして野山や 田畑の緑は蘇ったのです。

村人は 新谷の地の 新谷荒神社に 宗高の霊を 祀りました。大雨で 池ができたので その池を村人は 施門池と 呼び、この神子山の岩を 鳴岩と名付けました。この岩は 大きな災害が起こる前に 轟音を発し 危機を村人に 報せました。「新谷の村より人口伝」を基にした物語    神子山:北緯34度52分10秒東経133度40分14秒    新谷荒神社:竹荘荒山506番地の南西 約180m 竹荘橋元454番地の南南東 約210m 北緯34度51分34秒東経133度41分26秒    鳴岩:神子山の頂上付近 北緯34度52分11秒東経133度40分14秒と言う人が いましたが 神子山の麓に あるともされます。  平成23年(2011年)9月21日