上竹 袈裟掛 毘沙門天 Bisyamonn-ten


袈裟掛けのお百姓さんが 家を整理していたら 毘沙門天像が 見つかりました。お堂が できるまで、とりあえず 蜜柑箱に 祀っていました。お堂が できたので その中に祀ろうとする頃には お百姓さんの家は 豊かになりました。その噂は 村中に広まると、夜に お堂辺りで ガサガサ音がしたので 朝方 確かめると 毘沙門天は 蜜柑箱から 旅に出かけ お留守になりました。近所の分限者が「天井で毎日不審な音がする  鼠か 貧乏神が 居付いた  煩くて寝られない」と 困っていました。お百姓が「家の毘沙門天様が 分限者のあなたの家が気に入って 毎日奥さんの吉 祥天様と 天井裏で 転びあっているのじゃろう」と 言うと、次の日の夜遅く お堂の辺りで 不審な音がしました。朝になって 確かめると 毘沙門天は 長旅から帰って お堂の中でくつろいでいました。「上竹 袈裟掛の村人より口伝」  毘沙門天は インド神話のヴァイシュラヴァナ(神の子)が原点で す。 ヒンドゥー教では クベーラと 呼び  財宝神とされ、武神としてのイメージは ほとんどありませんでした。中央アジア 中国に 伝わると、四天王の一尊として 武神守護神とさ れるようになりました。「よく聞く者」の意味で 多聞天Tamon-tenとも 訳し 呼ばれます。帝釈天の配下で 仏世界を 支える須弥山Syumi-senの北方に 位置する 水精埵の天敬城に 住み、または 地球上の4つの大陸の中の北倶盧洲Hokkuru-syuuを 守護すると されます。夜叉羅刹を 配下とします。日本では 四天王の一尊とする場合「多聞天」、独尊像の場合「毘沙門天」と 呼びます。七福神の一尊とされ、財宝神 蓄財の神として 信仰され 江戸時代以降は 勝負事に 利益があるとして 崇められました。珍しく 妻帯する仏で 妻は吉祥天と されます。https://ja.wikipedia.org/wiki/毘沙門天

 

毘沙門天の旅 JOURNEY OF Vaisravana

毘沙門天は 仏教世界の中心の須弥山を 守っていました。仏の国の仕事を 部下の八大薬叉大将 二十八使者等 に任せて 邪鬼を 閉じ込めた甲冑を着け、片手に宝塔を持 ち 片手に鉾を持ち、一人で旅に出ました。そして 竹荘袈裟掛に 辿り着きました。すると 大雨に合い 大慌てで  近くの家の倉に  逃げ込みました。倉の中には 何もありませんでしたので「すばろうしい家じゃ 一夜の宿の恩にちいとばぁ働いちゃらにゃぁおえまぁ」と 呟いていると 家主の翁が 物音に 気付いてやってきて「あれぇ  毘沙門天様じゃ  毘沙門天様は 北の神様じゃ  北の山にゃぁ 猪や 狼が居る  蛇女房と言う化け大クチナワも 居る  退 治してもらいていもんじゃ  その上蓄財の神様じゃ  逗留してくだされぇ」と 言って粗末な 祭壇を 作り祀りました。家主は 毘沙門天に「狼ぅ退治してを退治してつかあせぇ」と お願いしました。毘沙門天は「おお よっしゃ  世話ぁねぇ  倉の中に居るだけじゃぁ 体が鈍って どうにもおえん」と 言って鋒を振り回 し 助けてやりました。家主は その度に「有り難や 有り難や  良う働きなさるので お疲れじゃろう  すばろうしいお膳の用意で 悪うございます  爺ぃに 免じて許してつかぁせぇ」と 甲斐甲斐しく世話をして 気分を盛り上げてくれるので 旅立つ機会を失って 長逗留したのです。人間にとっては 大事ですが 毘沙門天にとっては たわいのない願い事ばかりです。流石 に飽きがきて「仏使いの荒いお人じゃ  旅立とう」と 思った頃、家主が「毘沙門天様のおかげで 狼や猪の肉や皮が 良ぇ値で売れました  お金も出来ましたんで 倉ぁ立て直し 傍にお堂を こさえますけぇ お入りくだされぇ  お堂が できるまで 相済みませんが この蜜柑箱で こらえてくだせぇ」と 言うのです。毘沙門天は「厨子に祀られては 外出もできん  今のうちに脱出じゃ」と 甲冑を 影武者にして 箱から抜け出しました。

爺さんの所を 抜け出したものの 行く当てが ないので、近くの農家の天井に 留まりました。その家主は「天井裏で ゴソゴソ音がする  そう言やぁ 夕べの夢に 吉祥天様が 現れた  毘沙門天夫婦が 転びおうておるんじゃろうけぇ 邪魔ぁせられん」と 言ってお坊さんを 呼んで 木像仏を祀り 経を上げてやりました。すると 翌朝 宝寿のご利益が 発光し 木像仏が 金の仏像に変わっていました。家主は「吉祥天様 毘沙門天様の心尽くしじゃ  有り難い」と 感謝しました。毘沙門天は「泊まってやるだけで あねぇに喜ぶならんなら 村中の家に泊まろう」と 思いました。「爺さん所の毘沙門天夫婦が 泊ってくれるとお宝が貰えるそうじゃ」と 言う噂が 広まり 邑中が 少しずつ豊かになりました。成金の立派な 見越しの松のある家の家主は この噂を聞いて、爺さんの処に 忍び込み 蜜柑箱の中の甲冑を 毘沙門天様と思い込み 盗み出し 封印を切り 自宅の屋根裏に 押し込みました。甲冑に 封印されていた邪鬼が 解かれ暴れ出し、成金の主人も 奥さんも  病気になりました。噂を聞いた毘沙門天は 成金の家に行ってみると 邪気がのさばっていました。甲冑を 着直した思沙門天と 邪鬼が 激しく戦い 邪鬼を 再び甲冑に封じ込めました。疲れを いやすため翁の家の蜜柑箱の戻り「やっぱり ここが一番寛げらぁ」と 休みました。翁は 長旅から戻った 毘沙門天を 見つけ「長旅で お疲れじゃろう  袈裟掛けの蛇女房 退治して貰わんといけんので 蛇女房が 現れるまで 新しいお堂で ゆっくりお休みんせぇ  お堂造りは けっこう草臥れるもんじゃ」と 毘沙門天を 労いました。毘沙門天は 乗りかけた船で 蛇女房が現れるのを「今か今か」と 今も待ち続けています。「上竹 袈裟掛の村人の冗談話」を基にした物語  袈裟掛けの毘沙門堂:玄賓の袈裟掛け岩の隣 北緯34度50分44秒東経133度39分46秒    袈裟掛・ケサカケ:上竹2097・3817番地等  平成24年(2012年)4月24日

  

吉祥天様が七福神でない訳 Reason that Kissyou-ten do not belong to Hitihuku-jin "seven deities of good luck"

七福神恵比寿大黒天毘沙門天弁財天吉祥天福禄寿布袋様でした。男の神様達は 美しい女の仏様が 二人もおられたので 大喜びしました。でも2人の美し過ぎる仏様の虜になり、仏の道の修業を 疎かにする者が 次々出て来ました。男の仏様や 神様達も 女の仏様ばかりが 持て囃されるので 面白くありません。そこで、皆で相談し「美人比べをして 勝った者を 七福神に残し 負けた者を 寿老人様と 取り替えよう」と 決めました。

審判員は 男の仏様や神様ばかりですので、二人の女の仏様は 必死で 美貌 を 磨き上げました。事前運動の最後の日が近づくと 吉 祥天様は 熟女の美しさを 強調し 男の神様や 仏様の男心を 惑わす姿をし 男心を惑わす立ち振る舞いをしたのです。男の仏様や 神様は もうメロメロです。弁財天様は 未婚の若さを 強調し 乙女を装い、且つ「皆様の嫌がるトイレの守り神にも なります」と 訴えました。男の仏様達は「ションベン臭い小娘め」と 言って 興味を持ちませんでした。投票結果は 当然ながら5対0で 吉祥天様が 圧勝しました。それでも弁財天様は 諦めませんでした。弁財天様は おもむろに 歩み出て「皆さまは御存じ無いようですが、吉祥天様は 結婚しておられます  お子様も 5人おられます  そうですよね  毘沙門天様」と 言 い出しました。毘沙門天様は 顔を赤くして 妻である吉祥天様を 慌てて自宅に 連れ戻しました。妻の監督不行届きを恥じ、毘沙門天様は修行の旅に立ちました。それで 吉祥天様は 七福神から抜け 毘沙門天様が 竹ノ荘の袈裟掛におられるのです。「著者の冗談話」「en-park.net/words/7775」 平成24年(2012年)4月24日