美保神社 Miho-jinjya

 島根県松江市美保関町美保関608番地 北緯35度33分44秒東経東経133度18分22秒に建つ美保神社の祭神は 大国主神の子の事代主神と 大国主神の幸魂奇魂Saki-mitama-Kusi-mitamaである「大物主神」の后の三穂津姫命です。事代主神は商売繁盛の神徳 漁業海運の神 田の虫除けの神 鳴り物の神様として信仰されhttps://ja.wikipedia.org/wiki/美保神社三穂津姫命は稲農業の神 子孫繁栄の神として信仰第八番 美保神社 | 出雲国神仏霊場 (shinbutsu.jp)されます。恵比須神社を参照ください。 神社の前に付された地名は他の神社と区別する為に付けられていて、神社の正式名称でない場合があります 


下土井 土井神社・玉井神社 Doi-jinjya in Simo-doi

土井神社の 旧社格は 村社で、愛称は玉井宮Tamai-guu玉井神社Tamai-jinjya・玉藻神社Tamamo-jinjyaです。勝山城跡の丘の上が 横山様(腰にご利益のある地蔵菩薩で その裏の山道を登り、最初の分岐を 右に回ると 北緯34度52分41秒東経133度45分52秒 下土井大坂1746番地に 土井神社が建ちます。 八重事代主命Yae-Kotosiro-nisi-no-mikotoと 美保津姫命Mihotu-hime-no-mikotoが 祀られています。高飛山の土井神社には 玉雲石Tamamo-isi/Tamamori-isiが 祀られています。備前 備中の境である津高郡加茂市場の藤沢城に 安芸国の毛利勢が 大軍で攻めて来ました。虎倉城伊賀久隆 伊賀伊勢守に 加勢するため 美作国の高田の笹山城から 三浦源左衛門貞兼が 下土井に 駆け付けました。この時 三浦家の鎮守の玉藻神社玉藻前霊神を 携帯して来て、文亀2年(1502年)2月に この地に 社を建て 祀りました。霊石が 祭神で この時から土井の人達は 霊石を 敬い祭っていました。備前 虎倉城-城郭放浪記 (pei.jp)の城主 伊賀兵庫守の家老の土井次郎右衛門の妻は 美作の国の 勝山城主の三浦能登守の娘でしたので、その土井次郎右衛門は 天正6年(1578年)寅4月に 新たに小社を建て、高田玉藻神社御祭式を改め 加茂38ヶ村の鎮守としました。正月19日 6月19日 9月19日 正午神事を執行します。当地の第一の御社です。「加茂川の民俗」

「9千年を 生き永らえた 白面金毛九尾の古狐が 唐より帰朝する 吉備真備の船で わが国に密航した。約4百年間 身を隠した後 鳥羽法皇の寵妃「玉藻前Tamamo-no-mae」となり 寵愛を 一身に集めた。  その頃 時の帝 近衛天皇は 重い病に伏され ご生母 美福門院Bihuku-monin天文博士 安部康成に 大祈祷を命ぜられると 正体を現し、妖狐は 那須野原に 飛び去った。  三浦介義純 上総介広常両将の大巻狩で射とめられると 石と化して毒気を吐いて 近ず者を斃した  主上玄翁和尚を差し向け 法力をもって調伏すると 石は3個に割れ 越後 豊後 美作の三高田に落下した」「化生寺案内碑」    勝山の玉藻宮の地に 天から石が  二個落ちてきました。その石は 高田城に保存されていました。下土井に 不幸が続いて困った時、高田城の家老 土井氏は 鎮守の森にこの石を分石し 祀った処、難儀が収まったと言われます。「村人口伝」    勝山城丘:下土井山端1632-1-1番地の北の丘城跡が 勝山城で 北緯34度52分40秒東経133度15分40秒付近    船山城跡:下土井小藪南621番地の西 北緯34度52分58秒東経133度45分45秒    横山斎場・横山様(腰痛の地蔵菩薩)北緯34度52分35秒東経133度45分48秒付近 下土井山端1606番地の南東の山の中腹    玉藻石・玉雲石:殺生石とされ 近付く者を 毒気で殺すとされます  土井神社の玉藻石は 多くの凹凸を持つ 不思議な形状ですが、近付いても 毒気を感じません   藤沢城跡:北緯34度51分40秒東経133度44分57秒付近 虎倉城跡:岡山市北区御津虎倉 北緯34度50分10秒東経133度50分4秒です  金川主松田氏の家臣の服部伊勢守 築いたと云われます  城主は 伊賀兵庫頭 伊賀伊勢守 伊賀久隆 長船越中です     笹山城跡:石見篠山城跡は 島根県浜田市下府町 北緯34度55分37秒東経132度6分56秒で、丹波篠山城(笹山城)跡は 兵庫県篠山市北新町 北緯35度4分22秒東経135度13分6秒ですので、高田ではありません 美作の篠山城Sinoyama-jyouは  岡山県津山市皿 北緯35度2分6秒東経133度58分29秒です 勝山城(高田城 大総山城 大津夫良山城)岡山県真庭市勝山城山 北緯35度5分23秒東経33度41分35秒で、城主は 三浦氏貞宗 貞国 貞勝等) 宇山久信 毛利氏 宇喜多氏 小早川氏 三浦氏です    玉藻宮:岡山県真庭市勝山748番地「殺生石」を 玉雲大権現として 創建した 化生寺の鎮守社として 祀られた神社ですが 明治の神仏分離以降は 玉雲宮として祀られています      玉雲山化生寺Kasei-ji岡山県真庭市勝山748番地 北緯35度5分4秒東経133度41分32秒    玉藻前Tamamo-mae藻女Mizuku-meと言う名の子が 子無しの夫婦に育てられ、18歳で 鳥羽上皇に仕え 玉藻前と名乗りました  美貌と博識に引かれた鳥羽上皇は 寵愛し、情を交わす様になると 次第に病に伏せるに至りました  陰陽師安倍泰成Abeno-Yasunariが 真言を唱え祈祷すると、玉藻前は 白面金毛九尾の狐の真の姿を現し 那須野に 逃れました  婦女子の致拉憑依rati-hyouiする等の悪行が 那須野領主 須藤権守貞信信から 鳥羽上皇に伝わると、安部泰成を 軍師にし 三浦介義明 千葉介常胤Tunetane 上総介広常を討伐軍将軍に 任命し、8万余の軍勢を 那須野へ向かわせました  九尾の狐の術に 悩まされたので 将兵は 犬追物で騎射を鍛錬し、九尾の狐を 追い込むと 貞信の夢の中で 娘の姿の狐が 許しを 乞いました  狐の弱り目を突いた 三浦介の矢は 狐の脇腹と 首筋を貫き 上総介が 長刀で斬り、九尾の狐の息の根を止めました  すると狐は 巨大な毒石に 化成し、近付く人や 動物を 殺しました  人々は 毒石を 殺生石Sesyou-sekiと 呼び 恐れました  鳥羽上皇の死後も 毒気は失われず、鎮魂祈祷した高僧達も 毒気当たり 犠牲となりました  南北朝時代 会津の護法山示現寺Jigen-ji(喜多方市 北緯37度43分45秒東経139度53分10秒)玄翁和尚が 殺生石を破壊すると、破壊された殺生石は 各地へと飛散したと伝わりますhttps://ja.wikipedia.org/wiki/玉藻前」    白面金毛九尾:九尾の狐には 悪狐野狐yako)善狐がいます  順調に出世すれば 悪狐は500年かけて妖力を得て 2尾の狐になります  更に500年かけて 3尾の狐になり、計4000年で9尾の狐になります  尻尾sippoが多い程  強い妖力を有します  9尾以上にならないのですが、尻尾の先が赤くなったり、顔の毛が白髪に成ったりし 経年的に ドンドンと能力を高めます。白面金毛hakumen-kingeの玉藻前狐がこの例です  異説では 野狐Yakoが 約300年の後に 金毛九尾となり、更に年を重ね 顔が白くなり 金毛九尾に進化するとされます「https://ja.wikipedia.org/wiki/九尾の狐」「https://ja.wikipedia.org/wiki/玉藻前」    天文博士:定員1名の正七位下の天文教官で、生徒は 定員10名です 天文観察により 日食 彗星suisei出現等 異変が起こると 吉凶を占い  その結果を密封し 天皇に報告する役職です    主上至尊Syujyou-sison天皇を表す敬語です    龍虎田:下土井1673・1692番地等    思案田:下土井1674番地    天神免:下土井1676・1677番地    大日:下土井1701-1705番地    荒神曽根・荒神曽禰:下土井1684・1685番地    大坂:下土井1688・1811番地等宮 宮ノ脇:下土井1749・1757番地等     平成23年(2011年)11月11日

 

目無 八大荒神社の玉藻神社 Tamamo-jinja of Hatidai-koujin-sya in Menasi

下土井加茂川線(372号線)の高平と 大畑の中間点である 目無集落の細田目ナシ2053番地の西側 北緯34度53分47秒東経133度47分27秒に 目無集落の人達で護る 八大荒神社が 建ちます。堂内には 左に小さい社 2社と 比較的大きい社が 祀られています。右に 宝物らしきものが 収納されています。右の小さい社には 八大荒神が祀られ、隣の小さい社には 三宝大荒神が祀られ、中の大きい社は 稲荷神社です。稲荷荒神には 狐の置物と狛犬の置物が祀られ、玉藻神社 金毘羅神社が 合祀ると聞きます。     玉藻稲荷神社玉藻稲荷神社は 栃木県大田原市蜂巣 北緯36度53分12秒東経140度5分18秒等に立つ神社で、稲荷神玉藻前が祀られます 玉藻神社・土井神社・玉井神社:北緯34度52分41秒東経133度45分52秒 下土井1746番地に建ちます  玉藻岩が祀られます     平成25年(2013年)5月23日

 

上竹 大八幡神社の美保神社 Miho-jinjya of Oo-Yahata-jinjya 

北緯34度50分33秒東経133度40分3秒 上竹八幡Yahata3268番地に 大八幡神社が建ちます。その摂末社として 境内に武内神社 若宮神社 男山八幡宮 天照皇大神宮 美保神社 出雲大社が祀られます。美保神社には 三穂津姫命Mihotu-hime-no-mikotoと 事代主神Kotosiro-nusi-no-kamiを 祀ります。    八幡・ヤハタ:上竹3258・3371番地等    宮ノマヘ:上竹3319番地     平成24年(2012年)8月16日

  

豊野 吉倉稲荷神社 の 三穂大明神碑 Monument of Miho-daimyoujin of Yosikura-Inari-jinjya 

豊野吉倉Yusikura鍛冶屋Kajiya1846番地や 豊野タワ1862番地の南に 吉倉生活改善センターが 建ち、その東に鋭い角度を持った分岐が あります。本道と分岐に 挟まれた所 北緯34度52分59秒 東経秒に 稲荷神社が 建っています。 境内には 稲荷神社の他に 王子社が、王子社と稲荷神社の間に 焼火大権現、稲荷神社の右に 地神碑と三穂大明神の石碑が 祀られています。 三穂大明神:三穂津彦命(大国主命)三穂津姫命美穂津姫命) 漁業及び商業の守護神https://ja.wikipedia.org/wiki/御穂神社」    才介西:豊野1828番地 吉倉乢:豊野豊野1861番地 カジヤ・可じや・カシヤ・鍛冶屋:1844・1888番地等 タワ:豊野1862・1899番地等 桑ヶ市・枽ヶ市:豊野1906・2063番地等     平成29年(2017年)8月11日

 

豊野 殿畑の地の御前様 Ti-no-Misaki-sama in Tonohata

豊野天田Tenda殿畑731番地の 南の道向かい 北緯34度51分58秒東経133度42分22秒に 地の御崎様が  建ちます。左に供養碑と地蔵菩薩像が立ち、次に 赤い小さい祠が2社建ち、次に地神碑が立ち、石製の祠と大きい赤い屋根の祠が立ちます。一番左の赤い祠と石製の祠は善覚様で 他の2祠は 地の御前様です。 地の御前:美保神社の末社とされる海上の島の名で 航海安全の地蔵菩薩が祀られていたそうです  沖の御前と言う末社の島は 事代主命が 釣りをしていた島とされます  美保神社の祭神は 事代主命と美保津姫命です  美保津姫命は 大物 主神あるいは大国主神の后です  高天原から稲穂を地上にもたらし普及させた神様で 五穀豊穣 夫婦和合等の神です    ネキ・禰宜:豊野4724-4728番地 殿畑:豊野4730・4736番地等    ババ・馬場:豊野4747・4795番地等    御崎山:豊野4774・4797番地等    鳥居場:豊野4775・4782番地等 宮ノワキ:豊野4786番地  平成28年(2016年)11月27日