下加茂 明神山の哀れ touching story at Myoujinyama mountain


昭和50年(1975年)の頃、明神山の奥地獄岩の近くの 雲母鉱山跡の深い坑道に 世を儚んで老人が 投身自殺しました。戦国時代 加茂崩れで 活躍した武家の末裔の頭首が 財産を残して亡くなると、親戚縁者が 多く集まり 相続争い が起こり 収拾がつかなくなりました。つい に複雑な問題 を解決できない 委任管財人の責任の追及に 明け暮れるようになりました。管財人が 突然行方不明になったので 行方を探索すると 明神山の石英採取縦坑道で 自殺していました。村中の者と 駐在の警官 が屍を引き上げようと 懸命の努力をしましたが、埒Ratiが明きませんでした。いくつかの鉱石搬出坑口から 縦坑に 辿り着きましたが これもまた 埒があきませんでした。岡山県警の特殊部隊が 派遣されて来て、大きな自在鉤のような機械で 釣り上げようと 何度も 試みてやっと 屍を引き上げました。「下加茂土手下の村人のより口伝」

 下加茂に戦国時代加茂崩れで活躍した武家の末裔の一族が 商売上手で 大変繁昌し 財を成しました。財産と言う物は 残念な事に 天国だ か地獄に 持って行く事はできません。莫大な遺産があれば、世の倣いNarai通りに 相続を巡って 争いが 起こったのです。貸し借りもあり 正確な財産の総額も 良く解りません。分与したくても 分ける事の出来ない物もあり、皆が欲しがる物も 有れば、誰も欲しがらない物も 有ります。始めの内は 財産の総額 借金の清算 生前贈与 親の扶養 遺言等に関する争いでしたが、次第に 複雑な問題を 解決できない 委任管財人の責任の追及に 明け暮れました。管財人は 毎日針の莚Musiroに 座らせられ、胃が痛い思いをしたのです。血を吐きながらの執務には 限界があります。ある日の親族会議に 管財人の姿はなかったのです。次の日も 姿を見せません。

「自殺したのかもしれない」と 言う事になって、警察に 捜索願が 出されました。警察では 埒Ratiが 明かず、村を上げての捜索が 始まったのです。林の中 川筋 崖下 枝ぶりの良い樹木 物陰 東屋 作業小屋等 考えられる所は 全て探索されました。村の少年が 明神山に 遊びに登り 遊んで帰り、山の上の坑道の深さを 父親に訪ねました。父親は「その深さは 測れない程だ  底に物凄く冷たい水が 溜まっていて、あの雲母採掘穴に 落ちたら絶対に 助からない」と 答えました。「まさか、あの歩くのが やっとの様に 窶れyatureてしまった老人が、あの急峻な山道を 登れるはずがない  体力自慢のわしでも 登りたくない  でも、もしかしてと 言うこともあろう」と 思い、父親が登って見ると 穴の前に揃えられた靴が あり、穴を覘くと 何やら衣服らしいものが 遼Haruka下の水面に 見えたのです。村中の者と 駐在が着物の主を 引き上げようと 懸命の努力をしましたが、埒が明きません。古老が 出て来て  採掘した鉱石の搬出坑の在り処Arikaを 示唆しました。早速 横道から 掘り進み 縦穴に 辿り着いたのですが、これ又 埒が 明かないのです。岡山県警の特殊部隊が 派遣されて来て、大きな自在鉤のような機械で 釣り上げようとしました。何度も 何度も釣り上げを 繰り返し、困難を 極めやっとの事で 釣り上げる事が 出来て作業は終了しました。

管財人の死を契機に 武家の末裔の家の 蜂の巣突きの騒ぎは 収まったそうです。懐に 遺書の他に 当時の少年犯罪に関する新聞の切り抜きを 持っていたらしいのですが、水に濡nureていて開き難く、悪臭が 甚だしかったので 内容を 確認した者は いませんでした。確認しても、恐らく 長く水に 浸かっていたので 墨は流れ落ちていて、何が 書かれていたか 解らなくなっていたでしょう。日本での自殺数:この所 年30000人を 超えていることを 知っておられようか。吉備中央町でも 毎年3名程が 自殺しています。   雲母採掘穴: 明神山の北の岸壁の上辺り北緯34度51分19秒東経133度49分27秒と 予測する辺りに 有ります。坑道縦坑の入り口付近は 落下防止 崩壊防止の構造物はありません。雲母を 掘り出し、第2次世界大戦の折り 利用されたとされます。坑道は あちこちに分岐し、長い物は 宇甘渓近くまで伸びていると 言われ、鉱石の 搬出口は 多数あると言われます。明神山頂上は 北緯34度51分16秒東経133度49分29秒  蝋石や 水晶も取れたようです。最終的には ガラスの材料として 石英を 採取したようです。   雲母:軍事に利用されたようですが 利用法は よくわかりませんが、断熱材 絶縁体 誘電体 切削油の材料 石膏ボード骨材等の可能性が あります。   蝋石:軍事に利用されたようですが 利用法は よくわかりませんが、耐火煉瓦や ガラス繊維 等の原料 耐火性不水溶性筆記用具 等の可能性があります。 石英・珪石・硅石:顔料 火打石 石英ガラスの材料 観賞用として 利用されます。 加茂鉱山:https://ameblo.jp/narivans/entry-12359742393.html」によると、昭和8年(1933年)頃にモリブデン(水鉛)の鉱脈が 現在の赤磐市の人により 発見され、神戸の人が 買受け 採掘が 始まりました。最盛期には 80人ばかり労務の労務者が 働いていたようです。銀屏風を 立てたような 立派な鉱脈で 戦争中であり 兵器にも使い 人気があったそうです。一時はもの凄く 採掘したようで、1日に 4回 発破を かけて 下加茂地域は 地響きがした。しかし、鉱脈は切れたようです。ガラスの原料となる 硅石を 採掘していたが、結局 駄目になり、買受け人の死去により 自然消滅となりました。(昭和20年代の終わり頃?)    平成24年(2012年)2月7日