上田東 正法寺蓮池 金の茶釜 Golden teakettle on hasuike " lotus pond"  in Syouhou-ji temple


神瀬の本宮山正法寺の蓮池Hasu-ikeに 石橋が架けてあって、その橋の裏に 金の薬師如来を溶かし 鋳造した茶釜を 埋めてある 場所が 示されています。金の茶釜は「朝日差す 夕日が裏に綱一本の届きたき 三つ葉うつぎの下にあり」の 所だそうです。元日には 金の茶釜が 鶏)になって鳴くそうです。「吉備中央町の民話(1)」昔 本宮山に 現在の円城寺の元寺の正法寺が有り、毎朝 鐘を鳴らし 時を報せ、毎夜燈明し 夜に方位の便りとしたので  旅人や 村人は 助かったそうです。「高富柿山の村人のより口伝」 正法寺が 火災にあった折り 蓮池の側の五輪塔の下に 宝物を 火から守るために 埋められたそうです。埋められた所と 埋められた物を示した〔朝日差す 夕日が浦に 縄一本の届きたき ミツバウツギのその下に 小判七甕 漆七甕」と 言う歌が 残されました。何人もの人が これを頼りに 宝物発掘を試みましたが 発見した人はいません。「円城寺寺稚児行列の肝煎より口伝」  「旭かがやく 夕日が浦に 綱一本(二十尋)の その中の ミツバウツギのその下に 小判七甕 朱が七甕」と 詠まれたとされる伝説もありました。「岡山「臍の町」の民話 岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備人出版 p132」「村人口伝」

 

金の茶釜物語 story of dolden tea kettle

昔 本宮山正法寺の住職の悩みは 稚児(修業中の若い僧侶)達が 朝早くから 夜遅くまで続く 激しい修行に疲れ 居眠りする事でした。思い悩んだ住職は 金の薬師如来像を 溶かし金の茶釜を 鋳造し 本 堂の屋根に 据え付けました。朝日が昇ると 湯を沸くでもないのに 湯が沸いた時のように蓋が 踊り  チンチンとなるのです。その音は 迦陵頻伽Karyoubingaの声そのものでした。この釈迦の語るような声の音で  山や 里の鳥達は 目覚め 一斉に 鳴き出しました。稚児達も 朝早く シャッキリと 目覚め、読経中も 眠る者は 無くなりました。日が落ちる と輝き出し 灯台の役割を 果たしました。道行く人 農作業をする人達にとって この灯は良い道案内であり、良い時報となって 喜ばれました。しかし  住職も 年を取り 余命が 少なくなった事を 悟ると「自分亡き後 この法力の籠った金の茶釜を 邪Yokosimaな目的で 使う者が 手にすると 世に邪悪が 蔓延るhabikoruだろう」と 心配しました。そこで 人知れず 地中に埋め、蓮池の橋の裏に「朝日差す 夕日が裏に綱一本の届きたき 三つ葉うつぎの下にあり」と 難解な歌を 刻み 埋めた場所として 標しました。この難解な歌 を読み解く程の知恵者であれば、金の茶釜を 正しく使うだろうと 信じたからです。歌を刻み終え 読経を唱え「長鳴き鶏Naganaki-doriに なって、毎年元旦に鳴いてくれますように 燈明を 稚児達が 続けるように」と願いました。

それからは 元旦に 正法寺の本堂の屋根に 金色の鳳凰Hououが現れ 新年の始まりを告げ、霊光を放ち 貴い志を抱く者の心の病を 癒したのです。住職が 涅槃Nehanに 旅立つと 残された僧侶達は 長鳴き鶏の力強い鳴き声に励まされ お正月の行事に 参加し、宝物の在り処Arikaの判じの書かれている橋を 渡り「朝日差す、夕日が裏・・・」の 謎を論じ合うのですが、余りに 難解なので 謎は解けませんでした。勿論 宝物を狙う悪者も 度々 宝探しをしますが 宝探しに成功した者は おりません。今だに 何処かで 世の為に使われる事を 望んで その時 を待っているのです。高富柿山の村人のより口伝」を 基にした物語

本宮山蓮池跡:北緯34度54分17秒東経133度50分44秒らしい 医王院・旧松本坊:北緯34度53分25秒東経133度48分24秒 迦陵頻伽:雪山Setu-zan/Se-ssen または 極楽に住む上半身は 美女 下半身は鳥の姿の仏のような美声で鳴く想像上の鳥です  美しい芸妓、美声の芸妓に 例えられ用いられます   共命鳥:極楽浄土には 美声の色鮮やかな鳥として、白鵠(Byakkoku(白い水鳥) 孔雀Kujyaku  鸚鵡Oumu 舎利Syari(九官鳥) 迦陵頻伽 そして 共命鳥Gumyou-tyouが 住んでいます 共命鳥は 双頭一身なので 命を共有するのですが、仲が悪く 命を懸けて 喧嘩ばかり し続けます       平成24年(2012年)11月14日