三谷 日名 岩目翁 old men in Iwame

著\祖保の弟が 著者に 悪さをしてはいけないと、昔話をしてくれました。「三谷の村外れに 亜世と言う場所がある。あの世と この世の境だ。そこから マツタケ好きの 目玉だらけの  悪を嫌う妖怪が やって来て、岩目に 住み着いた。中倉山のマツタケを 食べては、大岩の上に立って 悪をしようとする者がいるか  千里眼と 先見眼で 見張っていた。悪をしようとする人が いると 更生眼で じっと見つめた。するとその人は 誰かに 悪事を見られているような気がして、悪事が 出来なくなるのだ。だから昔は 三谷の近くに は 悪い人は  一人もいなかった。ところが 岩目翁は 翁と呼ばれるが  妖怪の仲では 男盛りだったので  村の娘と 恋をした。子供を 娘が孕むと 父親は 跡継ぎができたと 大変に喜んだ。それを 千里眼で見ていた岩目翁は 無数にある全部の目で うれし涙を 流した。うれし涙で 全部の目が 曇っているうちに、娘の父親は「妖怪の子は産ませないと  怒り 堕胎させようとし  誤って 娘を殺して しまった。岩目翁が 涙を拭くと  死んだ娘の姿を見つけた。いたたまれなく あの世に 帰りたくなって、住処の岩を持ち帰ろうとした。引っこ抜くと、勢い余って 岩ごと岩目翁は 太陽に 飛んで行って、太陽の黒目 になった。いまでも 太陽から 地球を見ているが、余りに 遠いので 更生眼の力は 届き難いんだ。それで  悪さをしようとする者を 確実には 止められ無くなった。お前もお天道さんに恥じないように生きろ。」

太陽の下で 悪さができぬ訳 Reason why one can't do wrong under sunshine

昔 昔 三谷の山中に亜世Aseiと言う地が有り、あの世と この世の境を 作っていました。この世でもなく あの世でもないと 言うのが地名の由来です。そこに 穴が沢山空いた 大岩があり、この岩を 岩目岩と 村人は呼んでいました。この岩の穴が あの世の吹き出し口です。この出入り口を知っていたのは、岩目翁Irame-no-okina/Iwame-ouと言う、妖怪だけでした。妖怪の食べ物は 松茸臭Matutake-syuuのある茸Kinokoだったので、秋に 三谷の中倉山Nakkagura-yamaに松茸 白松茸Siro-matutake 馬鹿松Baka-matu 早松Sa-matu (時期違いの松茸) 椎茸Siitake 松茸擬Matutake-modoki 松翁茸松旺子Matu-ouji))等を 食べに やって来ていました。岩目翁は 中倉山 に昼寝床 と見張り台を 作っていました。

岩目翁は 全身眼だらけの人の姿をしていました。だから 茸の豊富な秋には 良く肥り 大男になるのですが、茸の生えない夏は 体が 溶けて無くなった様に 縮み蜻蛉Tonboの目玉の様な 丸い塊に手足が付いている様 に見えました。それぞれの眼は 一つ一つ 異なる役割が ありました。例えば 山を透かして千里(約40Km)四方が見える千里眼Senri-ganや、赤外線を感じ 暗闇でも見える闇黒眼Mokkkoku-gnや、寝ている時にだけ働く 夜目Yameや 人が近づくと 気配を感じ その方向に顔の向きを変える人感眼Jinkkan-gan等です。この妖怪の千里眼の霊力は 人の脳に 作用します。普段は 千里四方を 見張岩に立ち 悪い事をしようとする人が 居ないか 見張っていて、悪さをしようとする者が 居ると その者を ジッと見つめます。見られた者が 誰かに見られているような第六感を 感じさせ、悪い事をするのを止めさせたのです。色々の働きをする眼が 有るので、悪者を 見逃す事は 滅多Mettaに 有りません。だから この辺りでは 千里四方に 悪者は 滅多にいませんでした。ところが ある良く晴れた温かい日に 中倉山に 松茸を食べに来て、鱈腹(Tarahuku食べて 昼寝床で 寝込んでしまいました。普段は 夜眼 人感眼 赤外線眼 紫外線眼 等は 眠る事は 無いので 人に見つかる前に 必ず気づき、岩間Iwameや 藪陰Yabukageに 隠れました。だから これまで 人に見られた事は 一度もありませんでした。しかし この日は 違ったのです。あまりの満足に、うっかり人感眼まで 寝てしまったのです。運が良いのか悪いのか、お岩ちゃんという村娘が 茸狩りに 中倉山に登って来て、岩陰に 何か居るのを見付けました。近付くと 目だらけの化け物がいたので、身じろぎも出来なくなり 立ち竦みsukumiました。熟睡(してた妖怪ですが、固唾を 飲み込む 激しい息遣いに 人感眼ヲが 目覚めました。「しまった 人に見られてしまった」と 思いいったんは 姿を 隠そうとしましましたが、眼の前に それは美しく可愛らしい娘が 居たものですから 一目惚れしてしまい、娘を 見続けたのです。その時 霊力が働きだし、娘の良心を 動かしました。娘は「変な身なりや 怖い顔の人であっても 見た目だけで 悪者扱いするのは良くない事だ」と いつも父親から 教育されていたので 気持ちが 落ち着いて来ました。翁Okinaと言っても 妖怪の事、まだまだ若い方です。「お願いだ 嫁に成って呉れ」と 念じながら 娘の顔を 見つめました。娘に 再び霊力が 及び「人の好意を 理由なしに、無視しては いけない」と 教育されており、かつ 突然に 求婚された気恥ずかしさも 手伝って 思わず下を 向いたのです。岩目翁は 頷いてunaduite 承諾したと 勘違いし、感謝の眼差しを 向けました。またもや 霊力が働き、娘は 岩目翁を 好きになってしまったのです。二人は 岩目の吹き出し口を 新居に改造し、幸せな生活を 始めました。そしてお岩ちゃんは 身籠りMimogoriました。生み月が近づくと「里帰りして、両親に報告したい」と 言うので、岩目翁は 承諾しました。里に お岩ちゃんが帰ると、神隠しにあったと 信じていた娘が 身籠って 元気に帰って来たので 大喜びでした。岩目翁は これを見張り岩の上から見ていて「妖怪との結婚を 認めてくれた」と 思い、千里眼から 途方もない量の嬉涙Uresi-namidaが 流れ出て来ました。それを感じた 他の全ての目も もらい泣きし 涙で 目が 曇ったのです。しかし 身籠った子が妖怪の子だと知った父親は「妖怪の子供は 産まさん  産婆Sanbaぁ呼べ」と 言うのです。「岩目翁はとても優しく 良い事をする妖怪です」と 言いましたが、聞き入れられませんでした。娘は嫌がり 岩目に走り帰ろうとし 誤って石に 蹴躓keppandukiき 頭を強く打って 死んでしまいました。岩目翁が 涙を 拭い(nugui 再び見ると、そこにはお岩ちゃんの悲しい姿が あったのです。嬉涙で 眼が曇り 父親の行為を 見逃してしまった事を 後悔しました。今度は 悲しくて 涙が全ての眼から 溢れ出しましたが、目を擦り擦りkoxurikosutriして 成り行きを 見ていました。見詰められた父親は 岩目翁の霊力を 感じ取り、強く反省し「娘を大切に扱ってくれた 岩目翁に 娘を返さなければいけない」と 考えました。お岩ちゃんが 岩目で 生活していたので 岩目に 丁重に 葬りました。 岩目翁は 2人が 幸せに暮らした地に、お岩ちゃんが 葬られた事に 感謝しました。それでも、愛する妻を亡く し悲しくて 何時まで経っても涙が止まらなくかったのです。これでは 目が霞んで 世の中を 見張れません。岩目翁は あの世へ帰る事にしました。あの世の吹き出し口の岩目岩を 全 ての霊力を 集め引き抜くと、その勢いは 凄まじく 岩目翁は 大岩と お岩ちゃんと共に 天に舞い上がり 太陽に向かい飛んで行ってしまいました。そして 太陽の中に入り お陽様の眼に成ったのです。岩目岩が 引き抜かれた跡は 地中から清水が 噴き出し、とても澄んだ 冷たい水の泉になり、湧き出す清水で 雲母unmoの様な砂を 噴き上げていました。この泉は 亜世田ノ池と 呼ばれました。

この泉の水で育った稲は 美味しかったので、急峻な山肌に 村人は 畦だか 田だか 解らないような 小さい田圃Tanboを 沢山作りました。太陽へ行った 岩目翁と お岩ちゃんは 太陽の目(黒点) となって 地球を 毎日見詰め悪さをする人に 霊力を 働かせ続けています。だから 太陽に照らされる多くの人に 霊力は注がれますが、遥かHaruka遠くになったため 霊力は殆ど 地球に 届きません。それでも それなりの霊力が 注がれるので 地上に住む人々は 太陽の出ている時は 悪さをし難くいのです。人々は 悪さをしようとする者に「お陽様(お天道様)に 恥ずかしいと思わないか」と 言って悪さを 止めさせるようとするのは このためです。「三谷陰地 杭坂の村人より口伝」を基にした物語

妖怪の見張り岩:塚が塔の3基の古墳の内の中央の古墳  北緯34度54分23秒東経133度47分5秒の北の山の頂上 北緯34度54分27秒東経133度47分9秒の南東平にも 南東向きの石室が露出した 横穴式古墳が「吉備中央町の伝説 歴史伝説 古墳 大木 塚が塔の古墳」があります。この古墳の直ぐ北に 大きな岩群がありますが 古墳に見えません。この大きな岩群が 岩目に住む 目玉だらけの妖怪の見張り台と されます。 中倉山の妖怪の寝床 上の左端の写真北緯34度54分27秒東経133度47分17秒 三谷日名集落から 下大木に通じる峠を 塚ヶ乢Tuksa-gsa-tawaと 言います。東西両方に 弥生時代後期の物と思われる 古墳群 等 付近に 10を超える古墳群が 有りました」。総称して塚十Tuka-ga-tou(塚塔)と 呼ばれていました。妖怪の寝床は 東側の中倉山の頂上付近に あります。4つに割られた岩で 中心部はに 隙間があります。寝床辺りに 岩群が有り、東方へ大小の石の列が70m程続き、奥の古墳群に 向います。

亜世田の池跡:亜世田の池は 円城から 下土井 に向かう広域農道の左手で、三谷に 降りる道の手前 北緯34度54分6秒東経133度47分32秒の近く にあります。岩目は 広域農道の亜世の池の反対側の下の地です。広域農道を造るために、両方の地が 半分ずつ 掘削されました。亜世田の池は 埋められ 笹薮になり 輪郭を 残すだけです。亜世の田は池の山手で 畔だか 田だか 解らない 三日月型のそれは小さい田の 棚田で、まるで 笑う時の目の形の田が 積み重なったような地形です。岩目の田は 休耕しています。岩目も 亞世田も 崩れやすい地で 蝮Mamusiが 沢山 石垣に棲息していたので、子供達が 近寄らないようにするため 妖怪伝説が 生まれたのでしょう。亜世田asedaは 正確には阿津井田ajiedaと 言います。あずるとは崩れるという意味です。砂鉄を採取するため土砂が 掘削された場所と思われる急峻地です。 文化財指定 の塚ヶ搭の古墳・見張り台:北緯34度54分23秒東経133度47分9秒   岩目:細田1725・1951番地等    畦高:細田1733・1930番地等    畦高・あせたか:細田1733・1930番地等    阿津井田・亜世田:三谷570-575番地    岩目:三谷686-689・691・695・696・703-736番地 北緯34度54分5秒東経133度47分29秒 墓場鬼太郎の著者 水木しげるさんが 目の付く地を 訪ねて来て、妖怪の寝床 妖怪の見張り台 岩目(三谷 細田 広面) 亜世田 鐘の穴 こそこそ岩を 視察したそうです。「三谷野呂の百怪談の参加者」「この物語の口伝者」等が案内したと聞いています。この時の別の案内人は「鬼太郎は 桃太郎鬼の温羅の名の合成名で 桃は鬼が食べた。鬼太郎の3大武器である赤毛 下駄 上着Uwageが ゲゲゲの由来だ  鬼太郎は 桃太郎から 温羅の鬼のパンツを もらって チャンチャンコを 作った 温羅(矢でいられた)も 鬼太郎 も 左目(たまに右目)が 悪く、温羅は 岩屋に 住み 鬼太郎の母の名は お岩岩子 鬼太郎を妊娠したまま亡くなる)で、艮御崎(温羅)も 鬼太郎も 墓場から 生まれ、嫁さんは 温羅阿曽媛も 鬼太郎メリー) も異邦人だ」と 冗談を語られました。「ゲゲゲの鬼太郎」の漫画では チャンチャンコは 幽霊族の死者の霊毛(一人につき1ッ本〉で編まれており、閻魔大王から プレゼントされた事になっています。

太陽の目・黒点: 左写真は2012年(NASA)の提供した巨大黒点の映像です。地球の大きさは()位の大きさです。世界中の通信網に 影響が出ました。右写真は 群馬天文台 が提供した巨大黒点です。通信網に 影響等は 戦争を初めとする人類の諸悪を 絶やさない事に対する 岩目翁の怒りによる現象でしょうか。  平成24年(2012年)8月20日