円城 円城寺の火事 Fire of Enjyou-ji temple


本宮山正法寺は 鎌倉中期の弘安5年(1282年)に 全堂を焼失しましたが、翌年現在の地に 再建され、円城寺と 改名しました。徳川末期 天保四年(1833年 )民家からの出火で 寺を 含め 町並全部が 類焼し 仏具 仏像 書類も 失いました。「円城寺ホームページ」  円城寺は 円城寺屋敷 北緯34度53分31秒東経133度48分21秒に建ちます。昭和30年(1955年)頃と思われますが 門前の廃屋から 大正15年(1926年)に 行われた会陽の時のものらしいシンギ(神木)が 発見されました。西大寺観音院と同じような 会陽を していたのでしょう。得た シンギを 山門の仁王像に 握られたらしいのです。福男に 当たる者は 米3俵 酒3樽 鏡餅3重 提灯1張りで 讃えられたようです。由来は 解りませんが 円城寺の本尊は 千手観音菩薩ですので、西大寺観音院会陽と同様の由来を持つのでしょう。digioka.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/kenmin/eyo/eyo-jisya-bizen18.ht

 

火を見たら煽げ BEAT AS SOON AS YOU LOOK AT A FIRE

 昔 少しばかり頭の巡りに 問題を持つ少年が 円城に住んでました。ある日 岡山の金陵山西大寺観音院の裸祭りを 見に連れて行ってもらうと 裸のお兄さん達が 鉢巻(hatimakiをして 汗をかきながら 揉みmomi合っていました。お父さんは「鉢巻のお兄さん達ぁ 汗ぇかいとって 暑そうじゃ  水ぅ掛けてあげんせぇ」と 言ったので、水を掛けてあげると 感謝されました。頭のよろしくない子は 汗をかいている時は 水を掛けてあげるものだと 思いました。次の日 円城寺の門前で 鉢巻をした小父さんが 団扇utiwaで 炎の立ちあがる炭火を煽ぎaogi  汗をかきながら  鰻を焼いていました。鉢巻をして 暑そうに汗をかいていたので 男の子は 炭に水を 掛けてやりました。すると 小父さんは「アンゴウたれ  何ぅするか  火ぃつけて焼いとる時ぁ 団扇で煽ぐもんじゃ  今度 火ぃ見たら煽ぎんせぇ」と 叱りました。頭の悪い子は 猛る火を見たら 煽がないといけないものだと 思いました。次の日  あの焼き鰻屋の焼け木抗から 火が 付いたかどうかは定かでありませんが 円城寺が 火事になりました。男の子は 火が付いてお寺を 焼く激しい火が見えたので 大きな団扇で 煽 ぎました。すると皆は「何ぅする  鉢巻ぃして汗をかきしいしい働いとる時ぁ 水ぅ掛けるんをテゴぅするもんじゃ」と 叱りました。薄ぼんやりの子は  頭がこんがらがって 何が何だか分からなくなってしまい、泣いて家に 帰りました。お母さんが 優しく迎えてくれ「お前は お馬鹿さんだから 何をする時も して良いか悪いか尋ねてからしなさい」と 言いました。次の日から「起きても良い」「顔を洗っても良い」「御飯を食べてもい」・・・・・・・・と 何でも尋ねられて困った お母さんは 頭を抱え「いい加減にせられぇ  馬鹿に付ける薬はない」と 言いました。すると男の子は「馬鹿に効く飲み薬は あるんか」 と尋ねると、お母さんは「 馬鹿は 死ななきゃ 無いんじゃ治らないんじゃ いい加減にせられぇ」と 答えました。お馬鹿さんは「いい加減にしてよかったんなら いい加減にすらぁ」と言ってあんぽんたんを 治そうとしませんでした。「三谷野呂の百怪談」

裸祭り:北緯34度39分13秒東経134度6分 17秒の岡山金陵山西大寺の観音院で毎年2月の第3土曜日の夜に行われます  本堂御福窓から 住職が投下する2本の宝木Singiを 香の臭いを頼りに、裸の集団が 争奪戦を行ないますの宝木を得た者を 福男と呼び、福が得られます。夜には花火をし、2週間のあと祭りをしますwww.city.okayama.jp/higashiku/soumu/soumu_00102.html」    会陽:お正月行事の終了時に 信徒に 牛玉Goou(厄除けの護符)を 配る行事だったようです 岡山県内13ヶ所で 行われています  かつては103ヶ所であったと記録されます https://higashi-okayama.mypl.net/mp/eyou_higashi-okayama/?sid=53559

 

平成23年(2011年)7月31日平成29年(2017年)3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利吉備中央町図書館 吉備人出版】が発行されましたP201に「水谷の酒屋」P264に「住職が白蛇を見ると死ぬ」P201「水谷の酒屋」の話が載っています。P331に「円城寺の庫裡」と言う昔話が載っていて、円城寺の住職宅は神瀬水谷で潰れた酒屋の酒蔵を壊した廃材で建てられた由がしたためられています。   平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。P77に「円城寺の大火事と提婆狐」という物語が載っています。江戸の終わり頃 茶屋を除き 円城寺の門前町が ほぼ焼けました。この時 提婆宮の狐が 鳴いて報せました。地蔵院と医王院は 焼け残り円城寺から独立した由が書かれています。

 

水谷の酒屋  Sake dealer in mizu-tani


旭川に近い水谷に 富永で成功した酒屋が降りて来て 前にも増して繁盛していましたが、将来も繁盛が続くか 心配になりました。祈祷師に頼んで 将来を占ってもらうと「心配はいらん 旭川が 逆さに流れるようにならん限り繁盛する  じゃが もしも逆さに流れた時aぁ 大損するけぇ財を失う前に 廃業しなされ」と 神のお告げを受け間した。酒屋は 旭川が逆流する等等ある筈がないと、その後も商売に精を出していました。酒屋は 清潔な着物で 接客しないと 信用を失うので、大勢の雇人の洗濯物が 毎日沢山出ました。ある日 二人の女中が 旭川の岩場に来て 足踏み洗濯を始めました。

何分にも洗濯物が多いので 数か所に 洗濯物を分け 踏み洗いしては 川の澱で 水の流れを利用して 濯いでいました。すると 澱みに浸けていた洗濯物が 川上に向かって 移動したのです。無事に 洗い終わった 洗濯物を持って酒屋に帰って干していると 店主がやって来て「旭川の流れの様子は どうじゃった」と 尋ねました。女中達は「水嵩も丁度良うて 塩梅よう 洗濯ぅできました」と 答えました。安心したように店の中に店主が入ろうとすると 女中達が「旦那さんは 変な事を気にするのね」「着物が 川上に流れたんを 予期していたんかしら」と 話し合いました。それを聞いた 店主は 真っ青な顔になって 慌てて戻って来て「ほんまか  着物が川上に流れたんか  この事は誰にも言うな  明日にゃぁ酒屋ぁたたんで 百姓になる  お前達だけは 必ず今より良ぇ条件で 再雇用しちゃるけぇ  誰にも言うな」と 念を入れて頼むのです。女中達は「川の澱みは 水が還流する事が 当たり前」と 知っていたので、主人の慌てぶりを 不思議に思いましたが「前より良ぇ条件で雇ってもらえる」と 信じたので 誰にも内緒にしました。次の日  店主は 酒屋を売り出すと、繁盛していたので 買い手が押し寄せ 高く売る事ができました。処が 不思議な事に店主が変わると 客が遠の き 酒屋は破産し、大きな店と 屋敷は空き家となりました。勿体ないと言う事になって 円城寺が火事にあって全焼した時 酒蔵の材木で 再興を図ったそうです。「円城を参詣していた人より口伝」を 基にした物語         平成25年(2013年)6月15日