矢倉神社 yagura-jinjya


矢倉神社は かつては 矢倉山の添山 北緯34度50分50秒東経133度41分53秒に 元久二年(1205年) 矢倉畦城主 竹井正廣が 播州室津の室野明神を 同年九月十七日に 勧請し 建てられていましたが、(恐らく地盤の悪さによって 元久3年(1206年)四月 現在の地に 遷宮されました。矢倉神社の社名は  矢倉の地名に由来する と思われます。矢倉山は 城山で 備中兵 乱に 巻き込まれ 落城した矢倉城が 建っていました。そうであれば 櫓が転訛して 矢倉となったのかも知れません。しかし 倉の付く地名は 目のくらむような急峻な地形や 製鉄黒鉄Kuroganeが倉 鞍 蔵に転訛に関る地に しばしば付けられます。納地集落と 矢倉山の間にある人為的に 掘削されたように見える 室納矢倉1577・1594・1597-2・1594・1597-2番地、西に 納地北ノ砂砂は砂鉄を表す地名にしばしば付けられます2026-3・2029-1・2033番地、東に 納地品砂1548番地の地番があり、それらに囲まれており、この3方は 崖に囲まれています。矢倉山と 旧矢倉神社の間の峠を 勝負乢(納地2318-2319番地 ソブの乢の転訛と思われ・菖蒲や勝負 祖父 祖母地名は 製鉄地名に多く認められますと 呼びます。近くに納地イモ畑芋は鋳物の転訛と思われます1498番地、納地ホウソ乢(ホウソやホウソボ 箒 鶯は伯耆の転訛と思われ、製鉄地に多く命名されます2303番地、納地コザザ原小砂砂の転訛と思われます・砂はしばしば砂鉄を表します2326番地、 納地久曽金糞の転訛と思われます1291・1307番地納地黒ガ子くろがね・鉄の転訛と思われます1333・1388番地、納地廣草田くさ 種Kusaは 砂鉄を表していると思われます1197-1202番地の地名があります。納地乢1322番地 納地の北の日切り堂の裏 北緯34度50分18秒東経133度42分3秒の庄屋の墓は 大変立派ですので 恐らく鉄生産で 顕著な財を 成したのでしょう。


納地 矢倉神社 Yagura-jinjya

高梁御津線(31号線)の正田橋から 南へ「ふるさと農道吉備高原中央線」を 上ると右手に沖池(正田橋より約1300m)が あり 大きな十字路(正田橋から約2600m)の次に180m程で大きなY字路納地角1870番地と 納地中高地1906番地の中間点)に 出るので 左(東)に進路を選び、300m程 進んだ 納地宮ノ前1641番地付近の ロウタリー状の交叉点から 北西に折れ、道なりに 右に右に大きくカーブするように200m程 進むと 納地平分2053番地の東 納地矢倉2043番地 北緯34度50分21秒東経133度41分34秒に 矢倉神社が 建ちます。あるいは「ふるさと農道吉備高原中央線」の沖池の東で 東に折れ 南西に進み 納地集落に出た所(沖池から 約900m)で 西に鋭く折れ 南に450m程進むと 鳥居と 立派な階段が 見付かります。鳥居の左手に 荒神宮の碑と 地神碑が 祀られ、階段の中間点辺りの右手に 石組みの祠が あります。階段を ほぼ上り切った所に 随身門があり、祭神の由緒の説明板が 掲げられています。その奥に 拝殿と 本殿が建ち、左右に末社が 建っています。隋身門の縁起には「縁起 主神 大山咋命Oo-Yamakui-no-mikoto  相殿 玉依姫命Tamayori-hime-no-mikoto 経津主命Hutu-nusi-no-mikoto 少彦名命Sukuna-bikona-no-mikoto  建角命Taketuno-no-mikoto 境内末社奉斎御祭神 五十猛命Iso-Takeru-no-mikoto 若吉備津彦Waka-Kibitu-hiko-no-mikoto 島神 猿田彦命Saruta-hiko-no-mikoto 及び若宮 其の他 御主神大山咋命は 天台宗の守護神として 大同貮年少くとも平安朝の頃に 建立された大村寺と共に祀らる 大正四年 龍王山中高地の玉依姫命、矢倉の石砂神社より経津主命、中屋敷島神社より少彦名命、平成貮年九月十七日播州室津明神御分霊、矢倉桝片山Yagura-Masukata-yama矢倉城守護神としたる建角神を天文元年十一月合祀す。明治四十年 五月神饌幣帛料供進神社Sinsen-Heihaku-ryou-kyousin-jinjyaに特定され〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇古文書〇共〇〇四十六年秋新〇し、昭和四十五年十月二日日吉神社より再分霊を請け祀る」と示されています。旧社格は 村社で、連絡宮司との 連絡 0866--54-0061番です。賀陽町史追補版によると、大山咋命 経津主命 少彦名命 玉依姫命が 祀られています。この神社は 氏子が全て大村寺の檀家である事から、天台宗の守護の役割を担っていたと 想像されます。主宰神は 大山咋命で 妃の玉依姫命は 近くの龍王山に 祀られていました。ご祭神から 推測して、日吉神社の分霊社と 思われます。現在は矢倉明神も 合祀しています。岡山県神社庁による由緒には「元久二年、矢倉畦城主竹井正廣が 播州室津の室野明神を同年九月十七日に、矢倉城内に勧請した。建永元年四月、矢倉畦に社地を卜してbokusite(占なって)社殿を 築き遷宮した。元禄十五年と 文化七年に 再造営したが、明治三十年 火災に罹ったので 四十二年一月 造営遷宮した。明治四十五年五月 神饌幣帛供進神社に 指定せられた。大正三年十二月九日、石砂神社、島之神社、玉依姫神社を 合祀した。」と 記されています。更に詳しく知りたいは、賀陽町史追補版をご覧ください。

相殿 若宮

玉依姫命 径津主命 少彦名命 建角命を祀るとされます。

 建角命:播州室津明神御分霊と「縁起」にしるされます。播州室津明神は 播磨室明神播磨賀茂神社の祭神と 即ち 賀茂別雷皇大神Kamo-wake-Ikaduti-koutaijin(賀茂建角身命kamo-Taketunumi-no-mikoto/kamo-Taketunomi-no-mikoto)でしょう 

境内末社

本殿裏の右手に建つ 大きな社囲いの建物の中に3社が 祀られています。左の社は若宮正殿五十猛命社で、五十猛命を祀ります。中央の3宮社は 各々若宮右殿 室納村中祖霊社と 若宮正枝五十猛社と 若宮左殿若吉備津彦命社で、それぞれ 祖霊と 五十猛社と 若吉備津彦命を祀ります。右の社は、末社の火雷神社 島神社(恐らく淡嶋神社)で、島神(恐らく少彦名命を祀ります。矢倉神社 本殿より左に離れた位置に室納下組荒神社が建ち「しの御崎之命」が 祀られています。 

納地平分2053番地の東 納地矢倉2043番地 北緯34度50分21秒東経133度41分34秒に 矢倉神社が建ちます。大正4年 (1915年)龍王山中高地の玉依姫命Tamayori-bime-no-mikoto、矢倉の石砂神社より経津主命Hutu-nusi-no-mikoto、中屋敷島神社より少彦名命Sukuna-bikona-no-mikotoを 合祀しました。本殿裏の右手に建つ大きな社囲いの建物の中に 3社が祀られています。左の社は若宮正殿五十猛命社で、五十猛命Isotakeru-no-mikotoを祀ります。 若吉備津彦命第・第1代吉備津彦命・稚武彦命Waka-Take-hiko-no-mikoto・若建吉備津日子命Waka-Take-Kibituhiko-no-mikoto・若日子建吉備津日子命Waka-hiko-Kibitu-hiko-no-mikoto・歯黒皇子Haguro-no-ouji吉備津彦命は 一般に五十狭芹彦命Isa-seri-hiko-no-mikotoを 指しますが、ここでは 異母弟の稚建彦命を 指します 稚武彦命は 五十狭芹彦命を 大吉備津彦命と 敬意を払って呼んでいます  吉備氏の祖紳 軍神です  家内安全 商売繁盛  先客万来 交通安全 厄除け 八方除け等のご利益が有ります    島神・島神社:厳島神社(北緯34度17分43秒・東経132度19分12.秒)に 祀られる、海の神 航海の神である 市杵島姫命 あるいは 大三島の 大山祇神社の御島神である 山の神 武神 魔除けの神 海の神 水源利水の神である 大山祇命でしょうか。 しかし 矢倉神社の島神社の祭神は 少彦名命となっています 淡嶋神社Awasima-jinjya 和歌山県和歌山市加太116番地 北緯34度16分25秒東経東経135度3分59秒にある 神社で、少彦名命 大己貴命Oonamu-ji-no-mikoto/Oonamu-ti-no-mikoto 息長足姫命Okinaga-tarasi-hime-no-mikotoを 祀ります  近くの地名に「〆ノ神」があります 〆ノ神は島ノ神の訛りであるとすれば、〆ノ神は 少彦名命の事でしょう  下加茂の日吉神社の末社 注連神社には 天鈿女命が 祀られています  広島県江田島市沖美町三吉柳の前番地の島神社の祭神は 信行大神天之御中主大神です   しの御崎之命:いかなる神加解かりません  島根県出雲市大社町日御碕455番地 北緯35度25分46秒東経132度37分46秒の日御碕神社の祭神は 天照大御神Amaterasu-oomikami 神素盞嗚尊Kamu-Susa-no-o-no-mikotoです   和歌山県東牟婁郡串本町潮岬2881番地度北緯33度26分20秒東経135度45分14秒潮御崎神社Sio-no-Misaki-jinjyaの祭神は 少彦名命です  広島県廿日市5丁目18−918−9番地の地御前神社の御神体は宮島です   矢倉:納地1577(北緯34度50分32秒東経133度41分40秒)・1594(北緯34度50分31秒東経133度41分38秒)・2043(矢倉神社)番地等 矢倉乢:納地2035番地(北緯34度50分16秒東経133度41分35秒) 宮ノ前:納地1611・2042番地等 廣堂ノ口:納地2048・2061番地等 龍王山:納地2102番地 〆ノ神:納地1366番地 荒神山:納地1261番地  慈眼寺脇・慈眼寺䏮:納地1676番地  藥師:納地2160・2178番地 等 槇ノ乢・槇乢:納地1309・1328番地等 日切:納地1491番地    石ノ砂:納地1564・1570番地等 猿田・サルダ:納地1748・1752番地等 中高地:納地2096・2148番地等 中屋敷:納地1358・1364番地等 中高地ノ上:2100納地 平成24年(2012年)8月22日平成24年(2012年)8月22日

上竹 陰地 御王神社の矢倉神社

上竹丸山前4716番地 北緯34度50分22秒東経133度40分26秒に 御王神社が 建ちます。御王神社は かつては 朝 昼 晩に鉦 太鼓を叩き、神事が 行われたそうですが、現在は、守る人もいないに同然だと 言います。拝殿前には 坤艮金神Hituji-saru-Usi-tora-no-Konjin御歳皇神Mitosi-sumegami 大国主命 言代主命 5柱大神 御王大神 天神(土+心)祇諸神 産土産土大神のお札 矢倉神社の木札が 納められた箱が 備え付けてあります。荒神ノマヘ:上竹4609(北緯34度50分27秒東経133度40分23秒)・4670番地    上竹4716番地 護王神社:北緯34度50分22秒東経133度40分30秒    荒神ノハナ:4672番地 丸山前:4716-4718番地    上竹4290番地:北緯34度50分24秒東経133度40分19秒     加門:上竹5284番地 陰地荒神社:34度50分21秒133度40分26秒     平成26年(2014年)4月23日