豊岡下 大勝 けけろう祭・鶏鳴祭 Kekerou-festibal・cocks-crowing-festival

豊岡下 大勝 けけろう祭・鶏鳴祭 Kekerou-festival・cocks-crowing-festival


天計神社は 元 天岩山にありました。丹波国愛宕神社を分霊して 大勝山Ookati-yamaに 勧進しました。手置帆負命Taoki-Hooi-no-mikoto 彦狭知命Hiko-Sasiri-no-mikoto 天御鳥命Ame-no-Mitori-no-mikotoが 祀られています。霜月祭に 鶏鳴祭(1月12日、11月12日)と言う 奇祭 をします。鶏鳴祭では 小さい桶)に 酒糟を入れて 水でよく溶き 粘り気を持つ粥状態にし、大きな杓子Syakusiで 掬いsukui上げ 拝殿の棟木に 打ち投げます。棟木に 糟粥が 上手く当たれば 吉です。これが 終わると、氏子は 無言で 帰途に立ち 道中の声を 出しません。式が終わると 神官は 扇を広げ、鶏の羽打ちの 仕草をして 扇を拍きます。「加茂川町史」

天計神社:豊岡下大勝2667番地 北緯34度55分31秒東経133度度46分30秒 手置帆負命:大工の神 建屋建築の際の上棟神 地鎮紳であり 林業守護 建築業守護 武器製造業守護 航海安全等の御利益が有ります  帆掛け舟の帆を 立てる神で 造船の技術を 用い 家も作りますtamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1510.html」「www.genbu.net/saijin/taoki.htm    彦狭知命:工匠の守護神 大工の神 建屋建築の上棟神です 天照大神天岩戸に隠れた際、手置帆負神と協力し 天御量Ame-no-Mihakariを 用いて 木材を集め、瑞殿Mizu-no-Miakaraを 建造しましたwww.advice-navi.com/oshiete/god/02hikosasiri.html」 天御鳥命:父神である 天菩比命Ama-no-Hohi-no-mikoto(天穂日命)は 天照大神の命令で 大名持神Oo-Namoti-no-kami大国主命国作之大神)の治める葦原中国高天原に 開け渡すよう 交渉するために再度 天之夷鳥命(天御鳥命大背飯三熊之大Oosobi-no-Mikuma-no-oo)と共に 天降り 大名持神を 鎮めた、あるいはそのまま 葦原中津国に 留まったとされますwww.genbu.net/saijin/hiratori.htm」 大勝山:豊岡下2825番地 天岩:豊岡下2526番地  平成23年(2011年)9月1日

 天計神社は 中古(奈良時代前後)には 大梵天Dai-Bonten-guuと言いましたが、寛弘の頃 大勝に 移り 若宮荒神社となりました。 3寺を抱えていましたが 池田光政の神仏分離政策で 孤立の神社となり、明治2年に 愛宕神社に 改名 明治3年(1870年)に 元の名前に戻しました。 寛文年中に改築されましたが 間もなく全焼し、建築業者が 責任を取り 延宝6年(1678年)余材を使って再造営されました。そのため 建物に 柱節が 多くみられます。天計神社が焼けたのは 昭和12年(1937年)4月29日で 神社前斜面下の民有林で行われていた炭焼きが 火の元で 風に煽られ 瞬く間に 社殿に移りました。この時 本殿の厚い扉を 傍にあった石で壊し 御神体を持ち出し 裏山に一時 祀りました。文化(1804年)以前の事と思われますが、江与味八幡宮が 加茂大祭に向かう途中 真地乢で待ち合わせていた 大勝宮(現在の天計り神社)は 酒が入り過ぎて 遅れに遅れた八幡宮を待ちきれず 先に加茂総社宮に 向かっていました。加茂大祭に 遅れた責任を問い合い 八幡宮氏子と加茂総社(八幡宮氏子同士戦とも言われます)とで大喧嘩になり 八幡方7人が 死にました。死者は その場に葬ら れ供養塔七人御崎が 立てられました。大勢のけが人を出し引き上げた 八幡方は 真地乢の一本松(現在は跡形もありません)の赤く濁った泉(血の池 周囲は赤土なので生まれた伝説でしょう)で 血刀や傷口を洗いました。「朝日町の昔話」「朝日町史」

 社の前を 天垣地Tento-gaiti/Tentou-gâti(天計神の居する垣内)と言われます。明治43年9月 境内外にあった29末社を 若山荒神社に 合祀しました。後 天計神社と 改名しました「大木の村人より口伝」「加茂川町史」  拝殿の左に 荒神社祇園神社天神社) 右に若宮が 祀られていす。寛弘の頃 舟掘上の天神山に 祀られていた3社を 青年達が背負い  遷宮したと言われます。荒神社は  かつて天神社天神山に有って 山を神輿が 1周する旅神幸を 行ったと言います。 天神山は北緯34度54分37秒東経133度46分37秒にあります。往年の加茂大祭では 午前2時に 80貫を超える欅造りの神輿が「お立ち」し、江与味八幡宮と大勝で待ち合わせ 屋根尾鼻の大梵天宮愛宕神社の鳥居を潜り 加茂市場に向かいました。加茂大祭からの帰りは 豊岡下の輿休で休み、枯竹を松明代わりにして 神輿を引きながら 屋根尾鼻から 急な坂を登りました。天計り神社 屋根尾鼻の大梵天宮の鳥居 輿休の輿休殿と天神山は 南北に一直線に並びます。「豊岡下船堀下 大木の村人のより口伝」