上田東 藤麿の鬼退治 Ogre extermination by Hujimaro


 昔、長田荘の岡崎山に 鬼が 住んでいて 盗みを 働き 娘を玩ぶ 等の某弱無人な働きをしていたそうです。

44代天明天皇の頃 和銅6年(713年)三宅藤麿と言う侍が 日本書紀を 編集する為に長田荘の歴史 文化 経済 政治を調査するためにやって来ました。大向から 西に 長田庄を見分し 鶴巻に向かうのですが 道に迷い、従者と共に 行く先の安全を 天に祈って 野宿していました。同年4月 28日の丑満の頃に 山はざわめき、雷が鳴り響き、稲光が走り、藤麿のいた辺りは 真昼のように 明るくなりました。その中から 白い海龍に乗った 女神が 現れ「わらわは 厳島神社市杵島姫です  行くべき道に お誘いします」と 言って道案内し  鶴峯に 案内し 蛇里畝と言う地まで来ると 姿を消しました。道を進むと 強そうな侍を見た村人達は 藁にもすがるように「私達を苦しめる鬼を 退治してください」と 地面に頭を こすり付け 頼んで来ました。藤麿は 難儀を知り 戦いを 挑んだのですが、人智を超える術を使う鬼に 叶わず 敗戦色を 否めなくiname-nakuなりました。すると その 憔悴Syousuiした藤麿の夜の夢枕に  美しい少女が 再び現れ「この地には 素晴らしいお酒有ります  美味いoisii酒を 賊に 鱈腹Tarahuku飲ませ、酔い潰れ)て 寝ている所を 裏手の木戸に 水を掛け 音がしないように 開けて、樹齢2000年の槙の木で作った 大弓で 一気に 襲い・・・」と 告げました。藤麿は 村の酒屋に 相談すると 村の酒屋 多輪屋和右衛門は 沢山の お酒を 用意してくれました。地元の 鳥猟師は 大 槇で  千鈞の強弓Senkin-no-goukyuuを作り、矢原の 製鉄業者が 鏃Yaziriを作ってくれ 矢柄の弓師が 石立の矢を 作ってくれました。美しい少女のお告げ通りに 鬼の住処に 忍び込み 酒を置いておくと、鬼は「恐れ慄いたOsore-ononoita村人が 機嫌を 取るために 貢物をしてくれた」と 勘違いし、機嫌よく 最高級の酒を 鱈腹飲み 酔い潰れました。隙を見て 障子の隙間から 鬼を千鈞の強弓で射ると、鬼は危機を感じ 大岩に 変身しましたが 石立の矢の威力は 物凄く 大岩は 大爆発して 飛んで行きました。この時、藤麿は 足に 大怪我をしました。村人達は 鬼退治 に感謝し 藤麿を 足王大権現社に負ぶって運び、怪我の平癒を祈願すると 霊験あらたかにして 完治しました。暫くすると 得体のしれない怨霊Onryouが 現れ村人を 苦しめ始めました。ある夜、再びあの美しい少女が 藤麿の夢枕に立ち「この郷の北に 妖怪の 大岩あります   国中に 災害を齎しているmotarasite-iruので 汝は 怪石を退治すべきです」と 告げました。藤麿は「さては あの大岩は 死に絶えていなかったのか」と 思い 付近の山を 探索し 怪しげな大岩を 発見しました。大岩の周囲の草木は 2本の大松を 除き大岩の放つ 妖毒によって 悉くkotogoytoku枯れていました。一本の松に 身を隠し 矢を放つと 勢いが 足りず そのもう一本の松の木に 掛かりました。そこで 再び 千鈞の強弓(石立の矢)を 取り出し キリキリと 搾り ド―と射ると 大岩は 再び大爆発 し四方に 飛び散り完全に 息絶えました。酒屋さんは 藤麿に 感謝し  和 同6年6月28日、岡崎山峯に 小祠を作り 市杵島姫命を 祭りました。そして藤麿は 大役を 村人の協力で 果たし 都に 帰って行きました。元明天皇は 喜んで この祠の寄進 を受け、天下は平和になりました。年が明け、正月22日に 小社を築き 岡崎大明神と 名付けました。戦国時代に入り 神田Sindenを失い 20石に減じました。寛弘5年(1008年一条天皇京都松尾神社より 大山咋命を 分霊し勧進しました。酒造職 多輪屋敷和右衛門の岡崎山を岡崎大明神に奉納し 松尾神社と 改名しました。「上田東の大月氏より口伝」

松尾神社・御崎様・岡崎山・国埼山:北緯34度53分33秒東経133度47分45秒    矢原:北緯34度53分56秒東経133度46分58秒付近 細田1116・1165番地等    向:神瀬1913・1625、1936番地    大向:細田1681・1682番地    鶴嶺:円城 北緯34度53分42秒東経133度48分38秒付    鶴見谷・寉見谷:211・362番地等 鶴井:上田東1784・1800番地等 釣井:1807・1816番地等 蛇里畝・ジャリ畝・志也里畞:上田西2352・2354番地    三宅藤麿:日本最古の勅撰の正史である 日本書記の編集者    千鈞の強弓:千人で やっと引く事ができる程の強弓    足王大権現社:上田東湯武公民館の近く 北緯34度54分5秒東経133度48分9秒    石立の矢:何事も 必死に努力すれば 必ず 達成できるとの故事に 由来します  楚の熊渠子や 李広が、虎と 大石を 見誤り 矢を射ると、固い岩を 射抜いていました    立石:上田西876・1115番地等  吉備津彦命が 化気神社の駒石から 矢で 鬼を 射ると 鬼が岩となり吹き飛び,枡がその欠片が落ちた所が立石 的岩:松尾神社の近く 円城に向かう道の左手に 落ちる 山道の右手 北 五34度53分46秒東経133度47分45秒の近く  古墳らしいのですが 何も刻されていません  矢掛かりの松の枯れ株が 傍に有ります  吉備津彦命化気神社の伺いの松の近くの駒石から 矢で 鬼を 射ると 鬼に命中し 鬼が岩となり吹き飛びますが、吹き飛ばず その場に残った岩とされます「加茂川町史 松尾神社」  平成23年(2011年)7月20日