荒神社 Koujin-sha


人が生活するに当たり、食物を得る事 住む所を得る事 流行病を防ぐ事 社会の決まり事を 守る事が重要です。荒神は 荒々しい神で これらに 反する行いをすると違反者に 激しく祟り、これ等を 重要視すれが 幸福をもたらします。即ち竃 水回り 便所を清潔に保ち、火を守り 田畑を 耕す牛馬を大切にし 田畑や 屋敷を守り 作物を護り 地域との関わりを 大切にしなければいけません。 それ故に これらの場所に 荒神を祀り 心を正します。家の中に 祀られる荒神を 内荒神と呼び、屋外に 祀られる荒神を 外荒神と呼びます。内荒神は 火の神 火伏の神 飲み水の神 厠の神等の性格を持ち、外荒神地荒神は 屋敷神 同族神 部落神 地の神 牛馬の守護神 作物神等の性格を持ち、多くは 宮荒神(神社の摂社或いは末社としての荒神社) 産土荒神の形態をとります。吉備中央町では 荒神として 三宝荒神 竈三柱神 土公神Doku-jinが 祀られます。三宝荒神には  内荒神 作物神の性格があり「仏-寶-僧(仏教)厄神である 牛頭天王Gozu-tennou素戔嗚命Susa-no-o-no-mikoto(神仏混淆SinButu-konkou) 土公神である猿田彦命Saruta-hiki-no-mikoto(賀陽地区のみ)を祀ります。神道の荒神社には 竈三柱神 即ち竈の神である奥津日子神Okutu-hiko-no-kami 奥津比売命Okutu-hime-nokamaiと 火の神である軻遇突智Kagututi火産霊命Ho-Musubi-no-mikotoを 祀ります。陰陽道の 土公神は 土を司る神で かまど神としても祀られ、季節ごとに 春は竃 夏は門 秋は井戸 冬は庭へ 移動すると考えられている。宮荒神は神社内に祀られます。産土荒神は 誕生地に関るので 同族神 部落神の性格を持ちます。To get foods stably, to get the place of residence stably, to protect from sicknesses, to obey the rule etc. are important extremely to live human happy life    Kou-jins are violent gods  So Kou-jins will give punishments violently to the offenders against the Important Matters , and Kou-jins will bring happiness to the persons who treats with good care to Kou-jins  The keeping sanitary the cooking stove sections, the well sections, the lavatory sections etc, the taking good cares of fire , the treating lovely animals for agriculture tenderly, the maintaining cultivated lands and the premises, the growing agricultural crops well, and the treasuring the bonds with others are important for the happy life   Therefore, we will enshrine Kou-jins on these place to correct the looseness of the heart ourselves The Kou-jin enshrined indoor are called Uti-Kou-jin/indoor-koujin, and the Kou-jin enshrined outdoors is called Soto-Kou-jin/outdoor-Kou-jin   Uti-Kou-jins have characteristics as god of fire, god of prevent fires, god of drinking water, god of toilets etc Soto-kou-jins have characteristics as god of houses, god of the same family , god of the community, god of the land, guardian god of animals for agriculture/cattle and horse, the god of farm products etc  Almost of Soto-Kou-jin-syas/shrines are Miya-Kou-jin-sya or Ubusuna-Koujin-sya   Sanpou-Kou-jin or Kamado-mihasira-no-kami or Doku-jin are enshrined in the Kou-jun-syas of Kibityuuou-tyou Sanpou-Kou-jin have characteristics as Uti-Kou-jin and gods of farm products Buddhist Sanpou-Kou-jin are Buddha, treasure and bonze  Sannpou-Kou-jin in mixture of Buddhism and Shintoism is Gozu-tennou/Susa-no-o-no-mikoto who is god of pestilence Sarutahiko-no-mikoto/Doku-jin was enshrined as Kou-jin frequently in Kayou area of kibityuou-tyou   Koujins of Shintoism is Kamado-mihasira-no-kami "Okutu-hiko-no-kami and Okutu-hime-no-kami who are gods of cooking stove, and Kagututi/Homusubi who is god of fire"  Kou-jin of the principle of Yin and Yang is Doku-jin who is god of earth and god of cooking stove   Miya-Koujin-sya is enshrined in the main shrine's ground   Ubusuna-Kou-jin-sya is enshrined in the birthplace of the village folk , thence it has characteristics as the guardian god of the same family and the guardian god of the community     ㊟荒神社の前に付された地名は他の荒神社と区別する為に付けられていて、荒神社の正式名称でない場合があります。


粟井谷 粟井谷上荒神社 Awaidanikami-koujin-sya 

高梁旭線(49号線)を尾原町中から 北上すると 粟井谷山神前1076-2番地や 粟井谷幸平928番地に 至ります。その北 粟井谷山ノ神1013番地の東の三叉路 北緯34度55分54秒東経133度45分35秒に 茂八十八ヶ所霊場巡礼44番粟井谷上札所弘法大師堂が 建っています。境内に荒神社と地神碑が祀られています。   山神・山ノ神:粟井谷1012・1066番地等 墓東:粟井谷1015番地 山ノ神:粟井谷1016-1018番地 道鎭タワ:粟井谷1027番地     平成29年(2017年)6月23日

 

案田 案田上組荒神社 Anda-kamigumi-kojin-sha  案田下組荒神社 Anda-simogumi-kojin-sya  焼谷荒神社 Yakitani-koujin-sya 実方荒神社 Sanekata-koujin-sya

案田の4荒神は 一度 案田公会堂に集められ、後に 案田稲荷神社 北緯34度54分20秒東経133度49分2秒に 移されました。稲荷神社拝殿内に 祈祷所を挟み、5組の神社が 祀られます。中央の社は 稲荷神社でしょう。左には 御崎宮(荒神社)惣御崎社Sou-Misaki-jinjya(荒神社)が 祀られ、同時に 稲荷大明神 幽冥大神Kakuriyo-no-ookamiが 祀られます。右には 八坂神社(荒神社)祇園宮(荒神社)が 2社祀られ、同時に 稲荷神社が 祀られます。御崎社には 石が数個祀られ、惣御崎社には 六助御崎大明神が 祀られます。    六助御崎大明神:平賀祐継Hiraga-Suketigi(平賀六助)は 関ヶ原合戦に関わり、慶長7年(16 02年)清武城Kiyotake-jyou(宮崎市清武町加納甲776・777番地 北緯31度52分2秒東経131度23分4秒)の城主稲津掃部助重政InaduInadu-Kamon-no-suke-Sigemasaの乱の時、掃部助と 共に 切腹しています  それとも 地元の六助と言う人が 恨みを 以て死んだのでしょうか    案田公会堂:北緯34度54分14秒東経133度48分44秒    稲荷神社:北緯34度54分206秒東経133度49分2秒    荒神川:案田810・952(北緯34度54分22秒東経133度48分256秒)・962番地等 地蔵脇:案田875番地 地蔵前:案田863・981番地等    荒神前:案田940・946番地等 荒神之脇:案田949番地     平成25年(2013年)5月23日


案田 化氣神社の荒神社 Koujin-sya of Kegi-jinjya

北緯34度45分19秒東経133度49分22秒 案田氣喜i5番地に 化気神社が建ちます。本殿の右手の化氣神社桜會の碑の奥に 一宮が2社建っています。左の社は 荒神社で、右の社は 水上神社です。   舟ケ乢:案田3・4番地 氣喜:案田5番地 林:案田52番地 堂山:案田69番地 墓下:案田70・101番地等     平成29年(2017年)10月9日

 

井原 天神堂の火産霊社荒神社 Koujin-sya oTenjindou

 井原出シ上943番地の西 約70m 井原田幸羅田967番地の北東約150m 北緯34度53分50秒東経133度45分26秒に井原天神堂が 建ち、その堂内の右の一宮社は 荒神社であり 火産霊Ho-Musubi-shaで、独鈷Tokkoと思われる物を 両手で 腰辺りに持つ 怒髪した3面の荒神像が 祀られます。かつての荒神祭りでは 神輿Mikossiを 繰り出し 倉ノ木池迄 お旅をしたそうですが、現在は 神輿を担がないそうです。    倉木:井原1008・1052番地等 天神山:井原1024-1032番地    狐水:井原1035・1038番地等 汲川上:井原1054番地 北平三枚:井原1036番地    平成25年(2013年)3月10日

 

井原 上井原の荒神社 Koujin-sya in Kami-Ihara

井原登喜屋654番地と井原後口向683番地の間の林の中  北緯34度53分18秒 東経133度45分39秒に 周囲の小神社を集めた建物が 地神碑と 共にあります。堂内には 松尾神社 若宮社 荒神社 祇園社が 祀られます。    神子田:井原732-735番地 神免:井原840番地    隠坂:井原507・509番地 カクレ坂:井原511-520番地 鐘突免:井原635・642番地等 登喜屋:井原643・656番地等    尾龍谷:井原651・668番地等    祇園山:井原658-665番地    胡魔坂:井原701・713番地等 ホイトウ坂:井原531・532番地    後口向:井原670・682番地等     平成25年(2013年)8月18日

 

上田西 国近三宝荒神社 Sanpou-Koujin-sya in Kunitika  

上田西祇園山1381-3番地 「飛躍の郷 ひだまり」の北に 北緯34度53分3秒東経133度47分51秒に 国近祇園社Kunitika-Gion-syaの入り口 北緯34度53分4秒東経133度47分51秒に建つ 小さい社は 昭和41年9月、にここに遷宮Senguuされました。三宝荒神が 祀られています。祭神は 厄神 等である 素戔嗚尊Susa-no-o-no-mikoto 火の神等である火産霊命Ho-Musubi-no-mikoto 病の神等である少彦名命Sukuna-hikona-no-mikoto 土の神等である埴安比売命Haniyasu-hime-no-mikotoの他、地神Tijin  即ち天照皇神Amaterasu-sume-kami 倉稲魂命Uka-no-mitama-no-mikoto 及び大宮比売命Oomiya-hime-no-mikotoらしき神が合祀されていますので、地神社と荒神社とが 合祀されていると思わます。    祇園山:859・864番地等 胡摩免:上田西700・719番地等    石堂比良:715番地等 才ノ神:721・747番地等 薬師堂:748・754番地等 国近:755・796番地等     平成25年(2013年)5月28日

 

上田西 国近荒神社 Koujin-sya-in Kunitika

上田西祇園山1381-3番地 「飛躍の郷 ひだまり」の北に 北緯34度53分3秒東経133度47分51秒に 祇園社Gion-syaが 建っております。祇園杜の東側の茂みの中に ご神幸のお旅立ち所国近荒神社 が建ちます。荒神祭には 以前は夜籠りYogomoriをしたそうですが、現在は 祭りを簡略化し 夜籠りはしないそうです。それでも 荒神の左の夜籠窯Yogomori-gamaに 灯明が灯されるそうです。氏子は かつては 10軒程でしたが 現在は4軒となっています。「上田西黒杭の祇園神社は 秋祭りとして9月26日、午後9時頃より 真夜中に祭りをしていました。  氏子の男衆が 神社に集まると、松尾神社の宮司が お祓いOharaiをし、当屋が準備した 酒と肴Sakanaで 身を清めます。  氏子の家族全員が揃うsorouと 祭典が始まり、宮司のお祓いをし、宮司の祝辞Noritoが 述べられた後、太鼓を打ち 御神幸Go-Sinkouを 行います  神輿Mikosiは 櫓状Yagura-jyouで 笛太鼓を 従えます。  当屋送りを 済ませ、宮司の挨拶で 祭りは 終わります。  祭は 近くの祇園社と2社とで 交代で 行います」と 旧加茂川町の資料に有りましたが「この神社では 夜祭はしない」と 村人は言います。荒神社の夜籠りと 混同しているのでしょうか。円城医王院の祇園社の神輿は  櫓神輿です。    祇園山:859・864番地等 国近:755・796番地等     平成25年(2013年)5月28日

 

上田西 皿井野荒神社 Koujin-sya in Saraino

皿井野上組荒神社Saraino-kamigumi-Koujin-syaは 新しく建て換えられました。旧荒神社は上田西坂ノ奥1641番地の北 北緯34度52分49秒東経133度47分57秒に建ち、御崎様と併設されます。皿井野上組荒神社と皿井野下組の荒神社Saraino-simo-gumi-Koujin-syaが合祀された新しい荒神社は 上田西皿井野1714番地の西 北緯34度52分46秒東経133度47分56秒に 建ちます。新しい荒神社の社内には3社が 祀られています。向かって左の一宮社の荒神社には 一面二臂の立像が 祀られ、冠に角らしき物を付けた半球型の飾りが有り両腕は 胸で合わせられ 棒状の物を 二本持っています。

右の三宮社の左の厨子には  一面六臂の着席像が祀られ 一対の手は 胸で合掌し 一対の腕は 宝珠らしき物を持って高く掲げています。中の厨子には 手足の無い 八面の荒神が 祀られます。右の厨子には 両荒神幸霊串のお札が 納められています。幸霊は「さきみたま/sati-mitama」と読むのでしょう。この木札は 両荒神の幸魂の拠所を望むものでしょう。幸魂と表されるのであれば、神道系の荒神でしょう。   幸霊:神や人には 和魂Nigi-mitama 荒魂Ara-mitama  奇魂Kusi-mitama 幸魂Saki-mitama の四つ魂Mitamaがあり、これ等を 直霊Naobiが 制御し 精神活動を司っていると されます  人では 和魂は調和(平和や調和を望む力)を、荒魂は活動(勇猛 強制力 忍耐力)を、奇魂は霊感(観察力 分析力 理解力等の知性力)を、幸魂は幸福(愛し育てる力 思いやりや 感情を重んずる 相互理解力)を 各々司り、直霊は 省みる機能を 司るとされます。神では 荒魂は 過ちを犯した人 に罰を与え、和魂は 幸魂と奇魂からなり 荒魂の働きを制御するとされます  幸魂は 善良な人に恵みを与え、奇魂は 奇跡的な力で苦しむ者を 助けるとされます。https://ja.wikipedia.org/wiki/一霊四魂」     荒神上:上田西1135番地  平成25年(2013年)3月9日

 

上田西 石堂荒神社Koujin-sya in Isidou

円城下土井線下土井下加茂線(372号線)の冠者河内池kajya-kout-ikeの南から 百姓王国の門を潜り 南に進み 上田西石堂606番地の西の百姓王国の案内板のあるT字路を 右即ち西に曲がり 上田西石堂573番地の東の 進んで来た道の左手 北緯34度53分10秒東経133度47分46秒に 石堂荒神社が建ちます。三面四臂の荒神が祀られています。三面四臂の荒神は珍しいと思います。 冠者河内池:北緯34度53分21「秒東経133度47分51秒 百姓王国の門:北緯34度53分17秒東経133度47分49秒 三面四臂:3面の顏と4本の腕の事で、臂は肘と言う意味です 神子免:上田西516・623番地等 船口:上田西562・568番地等 石堂:上田西573(北緯34度53分10東経133度47分4133度47分44764番地等  平成25年(2013年)5月26日

 

上田西 立石上組荒神社 Tateisi-kami-gumi-Koujin-sya  立石下組荒神社 Tateisi-simogumi-Koujin-sya 

立石に祀られていた荒神社等は 共愛公民館Kyouai community center に 集められました。下土井下加茂線(372号線)医王院前の5叉路を南西に 立石に向い下り 上田西公会堂の3叉路を西に向うと、北に向かう細い道とのT字交叉点の右側 北緯34度52分53秒東経秒に 共愛公民館が建ちます。上田西立石1066番地の北西に当たります。T字路交叉点の左に 2尊の石仏が 立ち北に向かう道の左手に かつて神社が建っていたらしく 石柱門の遺構があります。共愛公会堂(公民館)の館内には 一宮社が 4社祀られています。

1番左の社は 三宝荒神社で 八面六臂の荒神が 祀られます。次の社との間に 三宝荒神金比羅社 祇園社 御崎社の名が示された木札と 三所神社のお札が 納められます。次の社も 三宝荒神社で 三面で 腕が隠れた三宝荒神Sanpou-koujinが 祀られています。次の小さい社は 金比羅宮で 右端の社は 祇園宮です。祇園宮には 祇園牛頭天王像等が 祀られています。   祇園山:上田西859・864番地等    立石:上田西1032(北緯34度52分49秒東経133度47分16秒)・1066番地等 鳥泊リ:上田西894・915番地 石塔鼻:上田西1112・1114番地 免田:上田西1124-1130番地 荒神上:上田西1135番地  平成25年(2013年)5月30日

 

上田西 光則の荒神社 Koujin-sya in Mitunori

光則荒神社は上田西公民館の西 上田西奥1331 番地の西の畑に面した 北緯34度52分56秒東経133度47分42秒 に建ちます。堂内には 端の小さい一宮社と 五宮社が 有ります。一宮社は 木山神社山王様が  祀られています。五宮社の左端の社は 八幡大神天神宮菅原道真の像が 祀られます。2番目の社は 木山宮で 八幡大神 木山神社大神 天神社大神を祀ります。

3番目の社は 三寶荒神Sanpou-koujin-syaで 弓と矢を持っている 三面二臂の荒神像が 祀られます。荒神は 素戔嗚命Susa-no-o-nomikotoとされています。三面二臂の荒神が もう一体祀られています。5番目即ち右端の社は 祇園天王Gion-tennou-syaです。    木山神社:真庭市木山1265-1番地 、創建は 弘仁7年(816年)と伝えられており、京都市東山区祇園町北側625番地 京都祇園の八坂神社の分霊を祀っています  家内安全、商売繁盛、交通安全、除災招福、子孫繁栄、学業成就、必勝開運、縁結びがご利益です    圓若:上田西779・818番地等    奥:上田西1331番地 信坂後:上田西797番地 光乗:上田西1295(北緯34度52分58秒東経133度47分46秒)・1570番地等  平成25年(2013年)6月6日

 

上田東 柏尾八坂神社の荒神社 Koujin-sya of Yasaka-jinjya in Kasio

上田東柏尾1155番地の庭先を通り 山道を 北に向かうと 北緯34度53分59秒東経133度48分1秒に 八坂神社が 建ちます。境内に 末社が 建っており 一番奥の石像は 魔法宮で、奥の社は 金比羅宮で、手前の社は 荒神社で、手前に地神碑が 立ます。荒神社に 三面多臂の忿怒荒神Hunnu-Koujinが 祀られいますが、壊れかけていて 手の数は 良く解りません。    柏尾:上田東1057・1089(北緯34度53分53秒・東経133度47分59秒)番地等    荒神免:上田東1110番地 フグリ床:上田東1112‐1114番地     平成25年(2013年)5月20日

 

上田東 貢の荒神社 Koujin-sya in Mitugi

広域農道の三谷貢道の交叉点を、貢mitugiに 入り 直ぐ左手の杜の中 上田東朝日田1224番地や上田東貢1236番地の北約100m 北緯34度54分7秒東経133度47分55秒に荒神社等が 建ちます。左の社は 摩利支天社、中の新しい社は 若宮、右の大きな社は 荒神社です。荒神社の堂内に 鏡が祀られています。    貢:上田東11691237(北緯34度54分4秒東経133度47分57秒)・1559番地等    貢口:上田東1183・1021番地等 朝日田:上田東1106・1224番地等 荒神免:上田東1110番地 フグリ床:上田東1112-1114番地    柏尾古屋敷:上田東1139番地 家門岩:上田東1150番地 塚曽祢:上田東1166・1174番地等 貢向:上田東1186・1214番地等 小豆飯田:上田東1193-1201番地  平成25年(2013年)5月20日

 

上田東 松尾神社荒神社 Kojin-sya of Matuo-jinjya

上田東御前506番地 松尾神社の境内の西に 末摂社が 建ち並んでいます。その1番左の新しい小さい社に 御崎社大神が 祀られています。その右の2番目に大きい社は  田口荒神社です。集落の中の林の中 北緯34度53分38秒東経133度47分54秒の近くに 祀ってありましたが、参詣に不便なので 3年前に この地に 遷宮senguuされました。村人は 八大三宝荒神社であると語りました。八大三宝荒神社御崎社素戔嗚大神Susa-no-o-no-ookami 天御中主神Ae-no-Minaka-nusi-no-kami 罔象女神Mizuha-no-me-no-kami 五帝龍神 武器を持った多面多臂Tamen-tapiの忿怒hunnu姿の荒神像と 一面二臂の穏やかな顔の女性的姿の 粗末な衣を着た 荒神像が祀られています。その右の社は 宮荒神で 三宝荒神が 祀られています。その右の四宮社は 山神社で 左端の厨子は 大山神社 次の厨子は 八幡神社 次の右端の厨子は いかなる神社かわかりません。一番大きい社は  稲荷神社でしょう。右端の社は 正建宮ですが、祭神を知りません。八大は海や雨を司る八大龍王の省略です。 宮前:上田東484番地 御崎前:上田東489・494番地等 御崎・御嵜:上田東501・506番地等 御崎山・御嵜山:上田東505番地 荒神後口:上田東536・538番地  平成26年(2014年)7月6日

 

上田東 湯武荒神社 Yubu-koujin shrine

上田東京免1365番地の北 北緯34度54分5秒東経133度48分10秒 湯部公民館Yubu public hallの隣に 地神碑 等と一緒に 荒神社が 祀られています。隣にある祠には 壊れた石仏が 祀られていました。    神嵜免尻:上田東1725・1726番地  湯部公民館:北緯34度54分5秒・東経133度48分10秒 神嵜免:上田東1727番地 馬場:上田東1775番地(北緯34度54分7秒東経133度48分22秒) 湯武:上田東1814(北緯34度54分7秒東経133度48分26秒)・1819・1821番地  平成26年(2014年)7月3日

 

円城 円城寺の荒神社 Koujin-sya of Enjyou-ji

円城寺屋敷742番地 北緯34度53分31秒東経133度48分22秒に 本宮山円城寺が建ちます。円城寺本殿の裏側に 一社宮が 2社建ちます。大きい社は 日吉神社で、小さい社は 荒神社で 三面二臂sanmen-nipiの荒神らしき神が祀られています。    寺屋敷:円城740・742番地    堂ノ後・堂後:円城741・892番地等    休石:円城669・674番地等 森神田:円城671・672番地 森免:円城682・690番地等 角輪:円城692・718番地等 矢ノ上:円城704・724番地等 松本:円城721番地 茶屋:円城726・728番地 搭楽坊:円城853-855番地  平成28年(2016年)4月8日

 

円城 医王院の荒神社 Koujin-sya of Iou-in

円城寺屋敷742番地 本宮山円城寺の南東 北緯34度53分26「秒東経133度48分24秒 円城720番地に 医王院が 建ちます。医王院境内の北方に 当たる地に 祇園社が 建ちます。祇園社拝殿の南側には 五角地神と一宮社が 5社建ちます。その西の社は 荒神社らしく、僧衣姿の木像立像が 祀られ、遷宮を祝う木札が 有り、八大晶神社の名が記されています。次の一番大きい社は 今宮社です。祇園社拝殿の正面の社は 祇園社の本殿です。一番東の社は 荒神社で、三面六臂Sanmen-Roppi三宝荒神座像が祀られています。    八大晶神社:風化によって印字が読みづらく、恐らく 八大明神社なのでしょう    森免:円城682・690番地等    角輪:円城692・718番地等     松本:円城721番地    茶屋:円城726・728番地    堂前:円城732・772番地等  店:円城733-734番地 寺屋敷:円城740・742番地 平成25年(2013年)8月23日

 

円城 円城東三宝荒神社 Sanpou-Koujin-sya in Enjyou-higasi

429号線から 下土井に向かい 医王院を 右に見て進むと 左手に 石の門が 立っていて 道路よりの斜面に 歯痛地蔵が 祀られています。

歯痛地蔵の上の道の歯痛地蔵側 円城曽根144番地や 円城曽根184番地の北約70m 北緯34度53分24秒東経133度48分16秒御崎宮の石の祠と 何やら解らない金属板製の小さい祠が 建っています。その中には 神様がお留守の小社と 三宝荒神が 祀られています。    番城木:円城28・30番地 田畑:円城42・156番地等    倉ヶ一・倉ヶ市:円城43・116番地等     平成25年(2013年)3月6日

 

円城 井元の荒神社 Koujin-sya in Imoto 

円城郵便局円城小学校の間の道を北東に 井本池を右に見て進みむと 円城中屋838番地の北西隣 北緯34度53分36秒東経133度48分33秒に荒神社が建ちます。境内には 一宮社が 4社有ります。正面の社が 荒神社で 三寶荒神Sanpou-Koujinが祀られます。

荒神は 三面六臂ですが、左の2本の腕が 取れ 無くなっています。一の手は  顎agoの下の正面で 合掌しています。持ち物は 殆ど失われています。右手中央の社は 大社で、手前の社は 魔利支天大神が祀られています。荒神社の右手の石碑の刻字は 地水二神と読めます。    中屋:円城834-840番地    井元:円城827(北緯34度53分33秒東経133度48分335秒)・1092(北緯34度53分32秒東経133度48分35秒)番地等 搭楽坊:円城853(北緯34度53分33秒東経133度48分28秒)-855番地(指定居宅介護支援事業所ヘルパーステーション 北緯34度53分34秒東経133度48分26秒)  平成25年(2013年)5月18日

 

円城 二番荒神社 Niban-kojin in Hata-sone

医王院の南を 南に進み 変則4叉路の左の道を選び 南東に進み、再び 十字路を左に進むと 円城畑曽根466番地の隣地 北緯34度53分21秒東経133度48分32秒に二番荒神社畑曽根荒神社Hatasone-koujin-syaが建ちます。大きな建物が 荒神社です。

荒神社の左奥に 一宮社が2社立っています。手前の社には 森大明神が 祀られています。祭は 医王院裏手の祇園宮の祭に 合わせ行われます。祇園社の神輿mikosが 円城の町を一回りして、2番荒神で 祈祷します。この地は 円城寺の畑の坊の跡地です。円城畑曽根466番地の屋号は 畑hataです。    畑曽祢:円城452・・465(北緯34度53分21秒東経133度48分35秒)・467番地等    長畑:円城452・453番地 森免:円城470-472・474番地     平成25年(2013年)5月18日

 

円城 横倉の荒神社 Koujin-sya in Yokokura

429号の土井橋から 土井横倉方向に入ると 円城横倉960番地の隣 北緯34度53分45秒東経133度48分32秒に 加茂88ヶ所巡礼76番横倉霊場(本尊子安観音菩薩 横倉集会場)と 併設され 三宝荒神社Sanpou-koujin-syaが 祀られます。境内に 地蔵菩薩像 石像 石碑 地神石碑 一番奥に 小社が 祀られています。地蔵には「念仏講中」と 刻まれます。次の石碑の 刻字は 崩し字の知識が 浅く読み取れませんでした。一番奥の小社は 剱御崎神社です。荒神社に 祀られる荒神は ひげを蓄えていますので 男性神のようですが、頭部に 玉等多くの飾り物を付け インドの装束を 思わせる衣装を着、右手に 折れた剣状の持ち物を 持ちます。左手は 折れていますが、杖上の物を握って 反転しています。   横倉:上田東732・828番地等    横倉:円城866・935(北緯34度53分44秒東経133度48分31秒)・1085番地等    魔利支天前:円城1012・1025番地等    魔利支天:円城1013-1015番地     平成25年(2013年)5月18日

 

円城 倉ヶ一の荒神社 Koujin-sya in Kura-ga-iti

円城下土井線下土井下加茂線 372号線)円城倉ヶ市kura-ga-iti/Kura-gâ-ti57番地の西の隣地 北緯34度53分30秒東経133度48分9秒に 荒神社が 建ちます。2尊の荒神像が祀られ いずれも三面二臂です。三宝荒神Sanpou-Koujinが 開帳されていました。隣地に住む青年は「子共の守護神と伝え聞いている」と 言いいます。 西に進むと 直ぐに 倉ヶ一地蔵が 祀られています。

倉ヶ一地蔵は 北緯34度53分28秒東経133度48分7秒に立っています。才の神のような 役割を担っています。 ビクニ久保:上田東653・682番地等 倉ヶ市:上田東681・686番地 圓行坂・円行坂:上田東671・679番地等 堂後:上田東695番地 堂後坂西:上田東698・701番地 齋ノ下タ:上田東751・752番地 番城木:円城28・30番地 堂後:円城70・71番地 倉ヶ一・倉ヶ市:43-57(北緯34度53分30秒東経133度48分10秒)・116番地等 地蔵乢:円城64・84(北緯34度53分29秒東経133度48分16秒)・160番地等  平成26年(2014年)6月29日

 

円城 辻屋敷の荒神社 Koujinsya-in Tera-yasik

円城下土井線下土井下加茂線 372号線)の横倉口を 北に向かう分岐を 進むと 円城横倉1042番地の北に位置する 円城横倉1020番地の北に 墓場があります。この辺りを 辻Tuji 或いは 辻屋敷Tuji-yasikiと言います。その墓場の西側の林の手前 北緯34度53分43秒東経133度48分39秒に 一宮社が 3社 建っています。左の社は 護王神社で 弓矢護王大神を祀り、中の小さい社は 不明の社で、右の社は 荒神社摩利支天社で 護王Goou天児屋根命Ame-no-Koyane-no-mikoto天太多満命Ame-no-Hutotama-no-mikotoと 摩利支天大神Marisite-no-ookamiを 祀ります。 横倉口:上田東 北緯34度53分32秒東経133度48分37秒 上田西1020番地北の墓場:上田東 北緯34度53分42秒東経133度48分37秒 横倉:円城935(北緯34度53分44秒東経133度48分31秒)・1085番地等  平成26年(2014年)8月14日

 

円城 下谷の三寶大荒神社 Sanpou-Dai-Koujin-sya in Simotani

429号線の上田西大只2221-3番地より 岩倉山に向き 120m程 進み 円城下谷423番地で 2本の西に向かう分岐の内の 北側の分岐を 進むと 道は北に曲がり 円城下谷420番地に出ます。その東隣地 円城下谷上433番地の西から始まる 取り合い道の奥 円城下谷420番地の東隣地 北緯34度53分20秒東経133度48分42秒に三寶大荒神社Sanpou-Dai-IKoujin-syaが 祀られています。その後ろに 朽ちかけた社が 放置されています。    下谷:円城383・429番地等    下谷上:円城382・435番地等    大只:上田西2217・2243番地等     平成30年(2018年)2月2日

 

大木 下大木荒神の荒神社 Koujin-sya in Simo-Oogi

 県道豊岡上小森線(371号線)の岩崎橋で 南に豊岡川を渡り 2つ目の交叉点のY字路を 東(右)に折れると、大木長泉寺下1071-1番地 北緯34度54分47秒東経133度47分9秒に下大木集会場lが 有ります。その建物内の西北角上に 小さい一宮社の下大木荒神社が 祀られています。    長泉寺薬師:大木1053番地    長泉寺下タ:大木1056・1094番地等     平成25年(2014年)2月26日

 

尾原 重岡神社の荒神社 Koujin-sya of Sigeoka-jinjya

北緯34度55分8秒東経133度45分6秒  尾原重岡山1102番地に 重岡神社が建ちます。本殿の裏手には 鎮魂碑 若宮 不明の一宮社 及び地神搭 金毘羅神社伯楽神社才の神社稲荷神社城守神社愛宕神社荒神社龍神社祇園神社の九宮社が祀られています。    重岡山:尾原1102・1103番地     平成23年(2011年)7月29日

 

尾原 宮坂田邉の荒神社 Koujin-sya in Miyaazako-Tanabe 

高梁旭線(49号線)重岡山から 有漢に向け進み 途中の分岐を 選び進むと 尾原田邉2194 番地に出ます。その西隣地に 才の神が 祀られています。そこから 取り合い道を 北に進むと 北緯34度55分2秒東経133度44分30秒に 加茂八十八霊場巡礼38番奥の院宮坂札所が 建っています。その北の高台に 田邉の荒神社が 建っています。 宮坂:尾原2209・2267番地等 田邊・田辺:2102・2202番地等 馬ヶ坂:尾原2115・2870番地等  平成29年(2017年)6月23日

 

尾原 須丸の荒神社 Koujin-sya in Sumaru

落合加茂川線(66号線)亀山八幡宮より 北上すると 尾原須丸103番地に出ます。その隣家尾原須丸88番地の北側裏手 北緯34度54分41秒東経133度45分19秒に一宮社が 3社建っています。手前の土塁上の社は 6軒程の氏子が居たそうですが 現在護る人は いないそうです。いかなる神が祀られるか 解りませんが、摩利支天社と言われています。土塁の奥の社は 荒神社で16軒の氏子で 護っています。最奥の朽ちかけた社は 遷宮された跡の古い荒神社です。 湯免:尾原27番地 落岩:尾原45番地 須丸:尾原53・132番地等 紙屋田:尾原80番地  平成29年(2017年)6月19日

 

上加茂    三宅の三宝荒神社 Sanpou-Koujin-sya in Miyak

429号線から 加茂川を渡り 津賀小学校の脇を通り 上加茂2556番地の北北東の隣家の空き家上加茂神納2345番地の東北から始まる山道を 竹藪の脇から ドンドン登り、墓場の前を 過ぎ 頂上のやや手前 北緯34度50分41秒東経133度48分30秒の近くと思われる地点に 三宅三宝荒神社が 建ちます。立派な石垣の上に 巨岩を右脇に備える一宮社が 2社有ります。左の小さい社は 祇園社です。右の大き目の社は 三宅荒神社で 三面二臂の荒神座像が 祀られます。荒神は胸の前で合掌しています。宇宙の根源の神 等である大元尊紳Daigen-son-sin 水の神等である象女命Mizuha-no-me-no-mikoto 治水の神々等である五帝龍紳Gotei-ryuujin/5doragon-king godsが 合祀されています。軒札に 三宮神社Sanguu-jinjyaとあります。前記の3神を祀る事に由来する 神社名でしょう。 ちなみに 生田神社(兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2-1番地 北緯34度41分41秒東経135度11分26秒の 八柱の裔神を祀る 一宮から八宮までの神社生田裔神八社Ikuta-eisin-hatijinjya)の内の 三尊目の兵庫県神戸市中央区三宮町2丁目4-4番地 北緯34度41分23秒東経135度11分28秒に建つ三宮神社の祭神は、湍津姫命Tagitu-hime-no-mikotoで, 島根県浜田市相生町1571番地 大祭天石門彦神社Oomaturi-Ameno-Iwato-hiko-jinjya(三宮神社Sanguu-jinjya/Sankuu-jinjya)の祭神は 天石門別命Ame-no-Iwato-wake-no-mikoto 手力男命Tadikarao-no-mikotoです。三宮神社は 沢山あり、種々の神が祀られます。    五帝龍紳:五帝龍王は 盤牛王(盤古)の五柱の子達の事です 青龍 木行 色は青(緑) 司る季節は春 赤龍 火行 色は赤  司る季節は夏  黄龍 土行 色は黄色  司る季節は土用   白龍 金行 色は白  司る季節は秋 黒龍 水行 色は黒  司る季節は冬   三宮神社の棟札:家を守護する護符です 表の上部に天御中主神Ame-no-Minakanusi-no-kami(垂直水平の神・独り神Hiitori-gami) その左右に屋船久久遅命Yahune-Kukunoti-no-mikoto(樹木を司る祖神) 屋船豊受姫命Yahune-Toyouke-hime-no-mikoto(稲の豊穣をもたらす女神)を書き、その下に手置帆負命Taoki-Hooi-no-mikoto(工匠の祖神・技工の神) 彦狭知命Hikosasiri-no-mikoto(工匠の祖神で・技工の神)の2神を書き、さらに火伏の神として 水神である 罔象女神Mizuha-no-me-no-kamiと 五帝龍神 を書きます  永遠に家を守護します  津賀小学校:上加茂札場ノウチ2281番地(北緯34度50分43秒東経133度48分11秒)津賀小学校 三宅:上加茂2166・2317(北緯34度50分42秒東経133度48分13秒)・2322(北緯34度50分41秒東経133度48分13秒)・2353番地等 三宅田:上加茂2171・2190番地等 三宅谷:上加茂2300番地 和田:上加茂2547・2580番地等 神納:上加茂2339・2379番地 上加茂神納:上加茂2378番地  平成25年(2013年)6月17日

 

上加茂 清経荒神社 Kiyotune-koujin shrine

 429号線津賀小学校の前の橋を渡り、清経集落の峠となっている辺りの上加茂山白Sannpaku811番地の横の山道を 少し登ると Y字路に 出ます。左を選ぶと 左手奥に 植林地が有り、加茂八十八ヶ所霊場7番清常阿弥陀如来の清経札所が 建っています。これを廻るように登ると 清経山頂上に達する山道に出ます。その少し前の平坦地 北緯34度50分55秒東経133度48分2秒の近くに 清経荒神社が 建ちます。この荒神社は 祇園宮ですので 祀られる神は 牛頭天王Gozu-tennou(スサノオでしょう。右手の極小さい社は 菊の紋が付此れもいていて、これも祇園社です。大きい祇園社の10月の祭の1週間後に 小さい祇園社の食祭をするそうです。荒神祭りは 秋に藤井禰宜が 司り行います。当屋は 荒神の小祠を持って来て お祓いを受け、酒席食席でお弁当を頂き 次回当屋を決め、仲人を置いて 当夜送りをします。小祠は 床の間に安置され 毎日神饌sinsenとして ご飯を供えます。正月には 山の荒神社で 御祓いと 祈願を行います。    清経・清常:上加茂846(北緯34度50分52秒・東経133度48分11秒)・1011番地等    清常荒神:上加茂906・909番地 山白:上加茂808・828番地等 仮屋:上加茂861・902番地等  平成25年(2013年)5月3日

 

上加茂 臼井荒神社 Koujin-sya in Usui

429号線の臼井橋から 臼井橋を上り、上加茂臼井清水1495番地の上を 北東に登ると 上加茂臼井329番地の北 北緯34度50分31秒東経133度47分46秒の近くに荒神社が有ります。三寶荒神Sanpou-koujinが 祀られています。 臼井清水:上加茂1306・1518番地等 臼井:上加茂1326・1577番地等 草木谷:上加茂1385・1409番地等 梟:上加茂1410・1448番地等 黒見:上加茂1435・1444番地等  平成26年(2014年)6月27日

 

上加茂 奥谷の荒神社 Koujin-sya in Okutani

429号線から 奥谷に向い 上加茂薬師267番地の北の山道に入り、Y字路を 右に入り上ると 北緯34度51分22秒・東経133度48分22秒に奥谷の荒神社が 奥谷大師堂の手前に 建ちます。    奥谷:上加茂213・392番地等    薬師:上加茂185・279番地等    錢亀:上加茂290・291番地    矢代小屋:上加茂141・144番地等 高雄:176-184番地 冷ヶ谷:282・284番地 高尾:上加茂283番地 觀音堂:上加茂400・438番地等 宮ノ上・宮上:上加茂402・516番地等 宮米:上加茂408・491番地等     平成26年(2014年)6月27日

 

上加茂 鴨神社の荒神社 Koujin-sya of Kamo-jinjya in Kamigamo

北緯34度51分6秒東経133度49分22秒 上加茂宮坂471番に 鴨神社が建っています。通称 加茂大明神と呼び 旧郷社です。氏子地域は平岡の一部 上賀茂 広面の一部です。本殿へ続く左手の階段の上に 荒神社 御崎神社の境内社があり、境内の右手の金刀比羅宮が有ります。金比毘羅宮はかつて稲荷神社でしたが、明治末年に金刀比羅宮に変わりました。木山神社 地神社 川上神社 素盞嗚神社 番神社 今宮社 系普神社 御玉神社 幸神社Sai-no-kami-sya 祇園神社 山神社 加茂神社 水神 武甕槌神社 大山社 愛宕神社 厄神 森神社 龍神社 神納社が 合祀されています。米:上加茂408・491番地等 宮ヶ市:上加茂683・715番地等    宮坂:上加茂443・471(鴨神社)・481番地等    仮屋:上加茂861・875(北緯34度50分54秒東経133度48分15秒)・876(北緯34度50分55秒東経133度48分15秒)・902番地等    大鼓町:上加茂2139-2141番地    神納:上加茂2339・2379番地等    上加茂神納:上加茂2378番地 大明神屋敷:上加茂2834-2841番地(北緯34度50分53秒東経133度48分44秒)    大蔵殿:広面341・430番地     平成25年(2013年)1月13日

 

加茂市場 日名荒神 Hina-koujin-sya in Kamoitiba

加茂市場久方701番地の西の山の北緯34度52分2秒東経133度45分6秒 加茂市場藤沢城の城地跡に 日名荒神社が 祀られています。祭神は 奥都彦神Okutu-hiko-no-kami 奥都姫神Okutu-hime-no-kami 火産霊神 Ho-Musubi-no-kamiです。宇甘川より臨み  左手の尾根から  登山道が登ります。頂上に近付くに 空堀がありますが、侵食されていて 痕跡程度になっています。その上に 比較的新しく作られたと思われる 石垣を伴う平坦地が有り、日名荒神社が 祀られています。その上が 頂上の比較的広い平坦地で、奥下に 小さい平坦地が有り 空堀を挟んで 下に小さい平坦地2段が 重なります。その奥から 左に2段の曲輪状構造が 続きます。上の曲輪状構造 日名荒神の祀られる平坦地に繋がります。    馬場田:加茂市場658番地    久方:加茂市場900・907番地 縄手頭:加茂市場679番地 薬師段:加茂市場682番地    日南:加茂市場718・1031番地等 小山口:加茂市場732・898番地等    陳山:加茂市場752番地    

 高梁御津線(31号線)の宇甘川の浜崎井堰の辺り 加茂市場清水田929-2番地から西に登り、加茂市場久方904番地の分岐を南西に折れ 金比羅神社の参道を登ります。その途中加茂市場神原上944番地の手前の東北に向かう取り合い道の奥 北緯34度51分57秒東経133度45分10秒に 日名荒神が 建ちます。周辺に 祀られていた小神社を 集め 参詣を 容易にしたそうです。前述の荒神社は 当番だけが参詣し、荒神祭は ここで 行うそうです。社内には 五社宮が 有り 左から順に 小山神社 権現神社 妙権神社 日名荒神社 火雷神社です。山神社の祭神は 不明です。大山祇命Oo-Yama-tumi-no-mikotoでしょうか。権現神社には 大山津美神Oo-Yama-tumi-no-kamiが 祀られます。妙権神社には 天御中主神Ame-no-Minaka-nusi-no-kamiと 経津主神Hutu-nusi-no-kamiが 祀られます。日名荒神社には 竃三柱神Kamado-mihasira-no-kamiが 祀られます。火雷神社には 火雷神Ho-no-Ikaduti-no-kamiが 祀られます。 竈三柱神:奥津彦神Okutu-hiko-no-kami 奥津姫神Okutu-hime-no-kami 火産霊神 H-Musubi-no-kami 城山:加茂市場772・877番地等 明現:加茂市場708・800番地等 権現谷:加茂市場754766番地等 神原梅木坂:加茂市場909-911番地 神原:加茂市場912(北緯34度51分56秒東経133度45分14秒)939番地等     平成25年(2013年)1月3日

 

加茂市場 加茂総社の荒神社 Koujin-syas in Kamo-soujya

 高梁御津線(31号線)の日之御崎橋の交叉点を 南に進み、貫抜橋を越えると 加茂市場町1527番地隣地の北緯34度51分54秒東経133度45分30秒に 加茂総社宮の社叢が 見つかります。加茂市場には 元兼荒神社 日名荒神社 宮荒神社 後田荒神社の4社が 其々の集落の山等に ありましたが、明治の初め頃に 加茂総社宮の境内に 末社として 遷宮されたと 言われます。日名荒神は 何らかの理由が 有って 元の加茂市場藤沢城山に 再遷宮されました。現在では 加茂総社に 元兼荒神社Motokane-Koujin-sya  宮荒神社Miya-koujin-sya 後田荒神社Usiroda-kouji-syaが 祀られています。 明現:加茂市場708・800番地等 日南:加茂市場718・742番地等 権現谷:加茂市場754・766番地等 小山:加茂市場772・877番地等 暁山:加茂市場775-777番地 後田:加茂市場410番地 後口田:加茂市場387・426番地等 町:加茂市場1500・1558番地等 宮ノ前:加茂市場1560・1577番地等 惣社:加茂市場1567番地 宮ノ下モ:加茂市場1569・1585番地等 宮ノ下:加茂市場1583番地 宮ノ西下:加茂市場1584番地 宮谷:加茂市場1411番地 宮ノ谷:加茂市場1412-1415番地 ミヤタ二:加茂市場1568・1578番地  平成25年(2013年)1月3日

 

加茂市場 元兼荒神社 Motokane-koujin-sya of Kamo-soujya

 高梁御津線(31号線)の日之御崎橋の交叉点を南に進み、貫抜橋を越えると 加茂市場kamoitiba町mati1527番地隣地の北緯34度51分54秒東経133度45分30秒に加茂総社が建ちます。恵比須神社の北側に、地神碑と供に2つの社が並べられて建ちます。右の三社宮の右の社には 五住若宮 荒神 熊野神社のお札が納められています。中の社には竈三柱神Kamado-mihasira-nokami  即ち火産霊命Homusubi-no-mikoto 奥津彦命Okutuhikono-mikoto 奥津姫命Okutuhime-no-mikotoが 祀られています。左の社は若宮社で 火之迦具槌命Hi-no-Kagututi-no-mikoto 経津主命Hutunusi-no-mikoto 建ミカ槌命Take-Mikaduti-no-mikoto 素戔嗚尊Susa-no-o-no-mikoto 菅原大神Sugawara-no-ookami  高オカ神Taka-Okami 闇オカ神Kura-Okami 今宮神Imamiya-no-kamiが祀られ、三宝荒神Sanpou-koujinのお札が納められています。元兼集落の荒神社です。町:加茂市場1500・1558番地等 宮ノ前:加茂市場1560・1577番地等 惣社:加茂市場1567番地 宮ノ下モ:加茂市場1569・1585番地等 宮ノ下:加茂市場1583番地 宮ノ西下:加茂市場1584番地 宮谷:加茂市場1411番地 宮ノ谷:加茂市場1412-1415番地 ミヤタ二:加茂市場1568・1578番地  平成25年(2013年)1月3日

 

加茂市場    宮荒神社・町荒神社 Mati-koujin-sya/miya-koujinsya of Mamo-soujya

加茂総社宮境内の北側に7社の一社宮が祀られています。右端の社は 火御崎社、次のやや大きい社は 森神社、次の社が 疫神社Yakujin-syaです。左から三番目のやや大きい社は 宮荒神社です。宮荒神社には 須佐之男神Susa-no-o-no-kamiを祀ります。宮の谷等総社宮に最寄りの地域の荒神社です。    札場:加茂市場1495・1496番地    町:加茂市場1500・1558番地等    町寺川:加茂市場1503番地 祝祠免:加茂市場1509・1513番地等 町禰宜屋敷:1524番地等 宮ノ前:加茂市場加茂市場1560・1577番地等    惣社:加茂市場1567番地 平成25年(2013年)8月14日 

 

加茂市場    後田荒神社 Usiroda-koujin-sya of Kamo-soujya

 

 高梁御津線(31号線)の日之御崎橋の交叉点を南に進み、貫抜橋を越えると 加茂市場町1527番地隣地の北緯34度51分54秒東経133度45分30秒に 加茂総社宮が建ちます。加茂総社宮境内の北側に7社の一社宮が 祀られています。一番左の社は 後田荒神社です。竈三柱神Kamado-mihasira-no-kami即ち火の神 火産霊命Ho-Musubi-no-mikoto 竃の神 奥津彦命Okutu-hiko-no-mikoto 竃の女神  奥津姫命Okutu-hime-no-mikotoを 祀ります。    馬場免:加茂市場348・356番地等    父御崎:加茂市場352番地 鍛冶屋:加茂市場358番地 車場:加茂市場367・368番地    後口田:加茂市場387・426番地等 三枚:加茂市場401番地     平成25年(2013年)8月14日

 

神瀬 神瀬の荒神社Koujin-sya in Kanse

神瀬子安観音堂Koyasu-Kanon-dou/hallより南に進むと 北緯34度55分27秒東経133度50分24秒近くに荒神社があります。大師堂として 信仰されているので、大師堂に荒神が合祀されているのでしょう。 福三山:神瀬811番地 寺屋敷:神瀬846・847・866番地 龍王山:神瀬859番地 三角山:神瀬860番地 鳴:間瀬861番地   平成24年(2012年)6月29日

 

小森 名梅の荒神社 Koujin-sya in Nabai

供羪名梅荒社Kuyou-Nabai-Koujin-sya摩利支天大神社Marisiten-ookami-syaは 高い山の上に 祀られていました。氏子も 2軒となって 当家制で祭りを行う事に 意味が無くなったので、郷に 下ろしたそうです。429号線名梅集落小森名梅前1828-1番地 小森河原1750-3番地等)の西の交叉点 北緯34度55分21秒東経133度48分-12秒に 両神社が 建ちます。左が 荒神社で、右が摩利支天大神社です。荒神社家内安全守護 摩利子天大神家内安全守護の木札が 其々 納められ、両社に 同じ様な形状の神の象徴が 祀られています。2社の西側即ち左手に 地神碑が祀られ、東側に 左上に穴の開いた石が 祀られています。    名梅:小森1735・2133番地等    小森トンネル:北緯34度55分29秒・東経133度48分22秒    大師山トンネル:北緯34度56分27秒・東経133度48分22秒     平成25年(2013年)7月24日

 

小森 清原荒神社 Koujin-sya in Kiyohara 

429号線沿いの 名梅の小森名梅1762番地の東の道を 登ると 墓場があり、その手前の北緯34度55分26.秒東経133度48分14秒の近くに 荒神社が 建ちます。一面二臂の荒神が 祀られます。現在は2軒だけで守られています。 荒神上:小森1689番地 ゴウゴウ岩:小森1695・1717番地等 宮林:小森1702-1715番地 芋實:小森1719-1734番地 名梅:小森1735・2133番地等  平成25年(2013年)7月24日

 

小森 行森荒神社 Yukimori-koujin shrine

429号線天津神社から 光信に進む途中に架かる行森橋を 左に渡り、行森川 に添って 南東に登ると 何やら四角い施設の左即ち南東隣に 一宮社が2社有ります。何れも 神様は 祀られていません。荒神社とその末社摩利支天神社らしい)が 祀られる予定だそうです。荒神は 右下農家の東の山に祀って有りましたが、弁蔵benzouの林業者が この山の大木を切り倒した折り、伐採に邪魔な荒神等を 先に示した所に移す事を 提案したので 村人が 2社を建てました。現在も 行森荒神は 森の住人が 預かっているそうです。    何やら4角い施設:小森清水1030-1番地の南東 北緯34度55分45秒東経133度48分49秒の チロリン村のシャワー施設でしたが 施設が倒産したため 行き場を失い ここに置かれたそうです    千ロリン村キャンプ場:北緯34度55分28秒東経133度48分32秒で、現在は2つに分かれ経営されています 白南天近くの大師堂:北緯34度55分52秒東経133度48分52秒 大師堂の仮社:北緯34度55分45秒東経133度48分50秒 行森集会場:四角い施設の南西 北緯34度55分43秒東経133度48分52秒 行森:小森1142番地(北緯34度55分43秒東経133度48分57秒)等 清水:小森1030(北緯34度55分46秒東経133度48分48秒)・1031番地等 平成25年(2013年)8月2日

 

小森  二川荒神社 Hutagawa-koujin shrine

豊岡上小森線(371号線)429号線との交叉点二川橋の北の交叉点 北緯34度55分9秒東経133度48分2秒に道標Mitisirubeが有り「提婆宮江右????三十丁???、←気喜神社江三十四丁」とあります。この脇に 北に登る小道、あるいは 西から登る道を 上ると 北緯34度55分2秒東経133度48分9秒に 二川双六公会堂Hutagawa-Sugoroku-Koukai-douが 有ります。

その裏手は 墓場で、公会堂の北側に 地神碑と二川荒神社が 祀られています。荒神は 一面二臂の人型の三宝荒神Sanpou-koujinです。公会堂の西上には 寛政二庚戌四月十一日 供養六十六部搭 日本国六道??の碑が建ちます。    提婆宮:円城寺境内 北緯34度53分33秒・東経133度48分20秒にあり、提婆天が祀られています 供養六十六部搭:六十六部Musorokubu/Rokujyuu-rokubu/Rokuhu-rokubu信仰とは日本全国60余州の寺院を 先祖供養の為、遍歴し 法華経の写経を奉納し 満願結縁(衆生が仏法僧の三宝と縁を結ぶ仏道修行)する信仰です  六十六部廻国供養塔は 六十六部行者(諸国を遍歴する行者・六部行者・廻国聖等)が結縁した(日本廻国の偉業を達成した)記念に 建立された 供養塔を言います  しばしば 経納金銅経筒を経蔵に 納めたり、地中に埋め奉納したりしました  諸国を 遍歴した 源頼朝(頼朝坊) 北条時政(箱根法師)等が 起原であろうと推測されていますwww.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000009108.html」 二川:小森1864・1881(北緯34度55分5秒東経133度48分4秒)・1949番地等    双六・䨇六:小森1838・2157番地等 梨原:小森1950・1974番地等 梨原日名:小森1967・1969番地 双六堂前:小森2016番地 平成25年(2013年)6月9日

 

小森 双六の荒神社 Koujin-sya in Sugoroku

小森二双六Sugoroku22021地 あるいは 小森中皆地2030番地の西北の森の中 北緯34度55分16秒東経133度47-分53秒に 双六荒神社が 建ちます。八面二臂と思われる 木像荒神像が 祀られますが、湿気が 酷く 朽ちかけています。地神碑が 併設されています。    双六:小森2021(北緯34度55分14秒東経133度47分58秒)・2157番地等    双六谷:小森2100・2158番地等 中皆地:小森1671・2044番地等      平成25年(2013年)6月9日

 

小森 天津神社の光信荒神社 Mitunobu-Koujin-sya of Amatu-jinjya

429号線小森トンネルから 北に 江与味に  向い右(東)にカーブした後 天津橋を南に渡り、豊岡川に沿って左(東)に向かうと 南の取り合い道の奥 北緯34度55分44秒東経133度48分39秒に 天津神社が 建ちます。天津神社の境内社として 鳥居から 見て 左より 若宮 愛宕神社 大の字が付く神社 荒神社が 祀られています。光信荒神社は かつて中黒nakaguroの山中にありました。 荒神上:小森1689番地    ゴウゴウ岩:小森1695・1717番地等    宮林:小森1702-1715番地 古明見:小森1551番地    中黒:1556・1695番地     星原:小森1465・1481番地等 三信:小森1482・1541番地等  平成26年(2014年)6月29日

 

小森 神原の荒神社 Koujin-sya-in Kanbara

 神原荒神社と大歳神社Ootosi-jinjya/Odosi-jinjyaは 近年 小森芋實1724-1番地と 小森名梅1732-6番地の間 小森集会に移されました。荒神社としての建物はなく 持ち回りの小社です。429号線の神原橋の近く 北緯34度55分24秒東経133度48分31秒に 小森集会場が 小森金毘羅堂と共に建ちます。 神原橋:北緯34度55分24秒東経133度48分27秒 神原:小森539・540番地 ドウドウ・ドフドフ・ドブドブ・トフトフ:小森484・559番地等    古城:小森406番地 大齋畑:小森421-430番地 大齋・大斎:小森565-568番地  平成26年(2014年)6月28日

 

小森 百坂の三宝荒神社 Sanpou-Koujin-sya in Mouzako/Mozako

冨津の小森中黒1558番地の川向こうの天津神社Amatu-jinjyaの南東の山 即ち 小森城山東平893番地の北西 北緯34度55分36秒東経136度48分4秒付近が 百坂城跡で その頂上に 雨除けの建物が建ち、その中に祀られる 左端の崩れた社には いかなる社か祀られるか 村人も知りませんが、恐らく 廃止された古い荒神社なのでしょう。次の社は 荒神社で 三面二臂Sanmen-Nipi三宝荒神坐像が祀られています。次の社の札には 著者には浮祷社(或いは淳祷社 淳霊社と 書かれているように見えます。その足元に捨てられるように転がる一宮社には 小瀧社と 刻まれた楕円球型の自然石が 祀られています。    三面二臂:3面の顏と2本の臂(肘・腕・うで)を持つ像容    古明見:小森1551番地 城山東平:小森893・895番地    城山:小森894・898番地等     平成25年(2013年)7月18日

 

小森 弁蔵荒神社 Koujin-sya in Benzou

429号線小森弁蔵1268番地の北の山道を 東に登ると 北緯34度56分9秒東経133度48分50秒辺りと推測する場所に あばら家が 建ちます。荒神社跡と思われますが、天除けの建物で 社はなくなっています。この近くに銅採掘の横穴があり、この山の頂上に 稲荷神社が 祀られていると言われますが、探索に至っていません。    弁蔵・弁三:小森1233/1273(北緯34度56分7秒東経133度48分42秒)・1309番地等 鳴瀧:小森1318-1341番地 高ノ巢・鷹ノ巣:小森1354・1395番地等  平成26年(2014年)7月3日

 

笹目 八幡宮の荒神社 Koujin-sya of Sasame-Hatiman-guu 

笹目集落の中心部の笹目乢間181番地に笹目公会堂が建っています。公会堂の西に 2本の分岐があるので 北側の分岐を東に進むと 笹目宮川552番地があり、そこより 細い山道を 北に登ると 北西に折れ1m程で 北に向かう分岐があるので 登ると 北緯34度55分16秒東経13343分9秒に 八幡宮が 建っています。八幡宮本殿の右側に 一宮社が2社  建っています。右の社の方が新しく 荒神社で、左の社は 杵築神社Kituki-jinjyaです。 宮川:笹目551・595番地等 観音マヘ:笹目563・583番地 アジャリ上:笹目567番地 八幡宮東:笹目581番地 堂上:笹目586番地 宮ノ乢:笹目596-599番地 堂前坊:笹目611・624番地等  平成29年(2017年)6月22日

 

下加茂 保木荒神社 Hogi-kojin-sya 吉田荒神社 Yosida-koujin-sya

 429号線の加茂川の対岸下加茂吉田2132-2番地の伊賀建設を過ぎ 下加茂吉田2147番地から 東東南に山道に入ると 北緯34度51分17秒東経133度48分47秒に吉田荒神社が建ち、三面二臂の荒神が祀られています。保木荒神社が 合祀されているそうです。    保木:下加茂1・9(北緯34度51分29秒東経133度48分41秒)・56番地等    田中高尾荒神:下加茂1876番地    久西神社:下加茂2004番地(北緯34度51分33秒東経133度48分55秒の隣地)    愛宕山:下加茂2053番地(牛頭山宗林寺 北緯34度51分31秒東経133度48分51秒)    吉田:下加茂2098(北緯34度51分28秒東経133度48分46秒)・2184番地等 長枠:下加茂2186番地  平成26年(2014年)7月3日

 

下加茂 高尾の荒神社 Koujin-sya in Takao

下加茂の多目的広場のゲートボール場(北緯34度51分28秒東経133度49分8秒)の宇甘川向い下加茂大下1616番地と 下加茂大下1654番地の間の比較的広い 東に登る道を進むと北緯34度51分28秒東経133度49分19秒と予測する所に 野仏と数基の墓石と思われる石柱等が 乱雑に放置されています。その東に 北に向かう細い獣道様の山道が有るので 進むと 北緯34度51分29秒東経133度49分17秒と予測する所にに  若宮大神(若宮大神 氏祖 繁栄 守護:〇勤護境菩薩守〔イ❘文:信でしょうか を祀る一宮社が 建っています。元の道に戻り 東に進むと 右に下る山道が 見付かるので 右の細い山道の始まりから 荒神社参道と並ぶように 始まる尾根を 東に向い登ると かつて社が有ったと思われる処に 北緯34度51分28秒東経133度49分19秒と 予測する所に 石組が有り、東に向け 更に進むと 北緯34度51分29秒東経133度49分20秒に  いかなる神を祀られるか不明の一宮社が有り、更に進むと 谷があり 北緯34度51分29秒東経133度49分20秒と 予測する所の 高台に 一宮社の護王社が 祀られています。東側に 先程まで登って来た比較的広い道が 見え、社を迂回し 北側に進むと その道に辿り着けます。更に 東に向うと 右側 に戻る方向に 広い取り合い道が 分岐しており、その奥に 北緯34度51分29秒東経133度49分21秒と予測する所に 一宮社が 3社 祀られています。元に戻り 更に登ると 北緯34度51分27秒東経133度49分25秒と想像する所に 高尾荒神(平岡神社)が 祀られています。堂内には 大小の一宮社が2社あります。 台・臺:下加茂1519・1586番地等 龍王:下加茂1582番地 大下:下加茂1612・1687番地等 高尾:下加茂1623番地 亀石:下加茂1685・1686番地 横瀧:下加茂1688-1706番地 荒神下:下加茂1727番地 荒神下タ:下加茂2256番地  平成26年(2014年)10月2日

 

下加茂 梅原の祇園荒神社 Gion-Koujin-sya in Umebara

国道429号線を加茂橋から広面に向い 梅原団地の西の梅原橋を 北に宇甘川を渡ると 下加茂梅原818番地が あります。その西北の隣地の北緯34度51分45秒東経133度48分3秒に 祇園荒神社等が 建ちます。そこには 小さい3社と 大きい堂が あります。1番奥の小さい祠には 何も祀られていず 廃止された古い祇園荒神社と思われ、右の小さい社は 祇園荒神社で 牛頭天王Gozu-tennou(スサノオが 祀られるのでしょう。屋根で囲われた小さい社は 祇園神社(祇園宮)です。かつては この社は 鍋山の中腹の大手城に 有りましたが、参詣に不便を感じたので ここに降ろされたそうです。大師堂の脇には 1尊の地蔵菩薩と 極めて小さい二宮社に見える一宮社の祠が あります。極めて小さい祠で 若宮です。    祇園荒神社:祇園信仰に係る事を強調した荒神社 或いは祇園神社を合祀している荒神社であろうと考えます 梅原:下加茂114・130(北緯34度51分41秒東経133度48分10秒)・310番地等 白瀧:下加茂311-316番地 白瀧宇那山:下加茂312番地 梅原出張:下加茂812・814番地  平成25年(2013年)7月8日

 

下加茂 大上の荒神社 Koujin-sya in Ooue

高梁御津線(31号線)下加茂と 加茂市場の中間点の 高谷と 下加茂の境の 大曲の北西に 岡の鼻橋が 宇甘側に架かります。その北東30m程に 右に分岐する未舗装の分岐があり 北緯34度51分38秒東経133度47分32秒に 4社が 祀られています。川向うに 下加茂岡ノ鼻673番地が見え、北東に 下加茂梅原260番地が見えます。 向かって 左の社は 大上荒神社で、その右の社は 祇園神社です。祇園神社には 矢船二柱大神 Yahune-Nihasira-no-ookami と 管理者の先祖神 が祀られているそうです。右側の石製の社は いかなる神社か解りません。    津エノ鼻・津エノハナ:下加茂111・125番地等 梅原:下加茂114・310番地等 梅原:下加茂786・818番地等 梅原:下加茂2185番地 湯谷:下加茂277-294番地 白瀧:下加茂311-316番地 岡ノ鼻・岡鼻:下加茂658・811番地等  令和2年(2020年)5月14日

 

下加茂 和中荒神社 Koujin-sya in Wanaka

 高梁御津線(31号線)を 宇甘川に沿って加茂市場 美原 長瀬和中に進み、宇甘川に沿って31号線が大曲する所、和中橋の北に和中集落から 上田西皿井野に登る分岐があります。下加茂和中488-1番地の北の2本目の山道の分岐を 北に登ると 北緯34度52分14秒東経133度47分20秒と想像する地点に 虚空蔵菩薩尊堂Kokuuzou-bosatu-son-douが 建ちます。虚空蔵菩薩尊堂の1段上に 和中荒神社が 建ちます。坐像の荒神の頭髪は あたかも炎のようで大 きく波打っています。頭髪の額の部分に 何やら模様があります。一面六臂Itimen-roppで しょうか、一面四臂でしょうか。背中から 細い手の様なものが 斜め上に 伸びています。第一の手は 右に白い珠状の物 左に黒い珠状の物を それぞれ肩の上に 掲げています。右の第2の手は 臍の辺りで 3本に分かれた鈷koらしき物を持ち、左の第2の手は 棒状の物を胸の辺りで 持っています。肩より 小さい手のような 器官が 斜め上に出ています。   臂:肘の意味ですが、腕と訳した方がよいでしょう   和中:下加茂461(北緯34度52分5秒東経133度47分22秒)・647番地等 下谷:下加茂540-564・567番地       平成25年(2013年)7月16日

 

下加茂 和中の祇園神社Gion-jinjya in Wanaka 

高梁御津線(31号線)を宇甘川に沿って加茂市場 美原 長瀬 和中に進み、和中集落 和中バス停(高谷の東側村外れの北の宇甘川の大曲の北)から上田西皿井野に登る道を北に、和中川に沿って150m程上田西に向かい登ると、和中川は 東に曲がります。川を渡り 道なりに60m程登ると下加茂和中488-1番地付近から 北に登る急坂の分岐が あります。分岐を50m程登ると 左下に向かう分岐があり、その先の平坦地北緯34度52分13秒東経133度47分21秒と想像する地点に 虚空蔵菩薩堂があり、その北側 一段上に 和中荒神社が 建ちます。元の山道を 更に20m程登ると、北緯34度52分14秒東経133度47分20秒と想像する所に、祇園神社が建ち、 三宝荒神太諄守護Sanpou-koujin-Hitonorito-syugoのお札が 奉納されています。   下谷:下加茂540-561・567番地    和中:下加茂461(北緯34度52分5秒東経133度47分22秒)・488(北緯34度52分8秒東経133度47分223秒)・607(北緯34度52分2秒東経133度47分27秒)・611(北緯34度52分3秒・東経133度47分26秒)・615(北緯34度52分6秒東経133度47分24秒)・622(北緯34度52分3秒・東経133度47分225秒)-647番地等 日名山:下加茂425-435番地     平成25年(2013年)7月16日

 

下加茂 鍋谷の三宝荒神 Sanpou-Koujin-sya in Nabetani

429号線の鍋谷口付近下加茂梅原818-1番地の東約150m 下加茂鍋谷1026番地や下加茂ゴザイ841番地の南約400m)から 鍋谷城山に 登りその8合目 北緯34度52分12秒東経133度48分1秒近に荒神社Koujin shrineが建ちます。合掌する三面二臂Sanmen-nipiの三宝荒神が祀まれています。     城下橋:北緯34度51分57秒東経133度48分8秒    祇園上橋:北緯34度51分47秒東経133度48分8秒    祇園下橋:北緯34度51分47秒東経133度48分8秒    谷橋:北緯34度52分9秒東経133度48分16秒 鍋谷口:北緯34度52分1秒東経133度48分6秒 城ノ谷:下加茂879・1128番地等 鍋谷:下加茂827・1197番地 宮田:下加茂924番地  平成26年(2014年)6月30日

 

下土井 幸元の荒神社 Koujinjya-in Yukimoto

落合加茂川線(66号線)下土井鰯屋448番地付近で右に折れ 下土井下加茂線(372号線)に入り、幸元集落に南端 下土井幸元701番地の下 北緯34度53分4秒東経133度45分57秒の加茂八十八ヶ所霊場幸元札所の中に 幸元荒神社が 祀られており 祭神は 丸い石だそうです。    城平:下土井539・573番地等 寺角:下土井556・559番地等 寺南:下土井557番地 幸元:下土井596・812番地等     平成25年(2013年)4月15日

 

下土井   八社の荒神社 Koujin-aya in Hassya

下土井下加茂線(372号線)幸元大師堂の南 下土井幸元808-1番地から 細田川を渡り  南東々に270m程進むと 下土井八社 1052番地や下土井八社1057番地が 八社池の東にあります。その東は Y字路になっており 道に挟まれた所 北緯34度52分57秒東経133度46分10秒に 荒神社が建っています。堂内には 一宮社が 2社あり、いずれも 三宝荒神Sanpou-koujinを祀ります。

荒神社の東奥の山中に  字の刻まれていない石碑 と祭神が解らない社が建っています。   八社:下土井1030・1092番地等    矢ノ坂:下土井1063・1300番地等    花屋:下土井1134・1155番地等    荒神前:下土井1152番地    八社後口:下土井917・974番地等 岩屋:下土井943・946番地等 禰宜免:下土井986-988番    倉城:下土井1008・1029番地等 小風呂:下土井1015・1360番地等 八社門ノ下モ:下土井1072-1082番地  平成30年(2018年)3月12日

 

下土井 谷口荒神社 Taniguti-koujin-sya in Simodoi-Taniguti

落合加茂川線(66号線)より 高尾橋を渡りると 下土井郵便局の北 下土井谷口172番地の裏手 北緯34度52分37秒東経133度45分27秒に谷口荒神社が 建ちます。三面六臂の荒神が 祀られています。堂守の方は 天王様Tenou-samaと 表現されていますので、牛頭天王の像容と異なりますが 厄神である牛頭天王Gozu-tenou(素戔嗚尊Susa-no-o-n-omikoto)であるかも知れません。荒神様のお祭りは 秋の収穫祭として行います。当家は 順番に担当します。土井神社の宮司が 天王様をお祓いし、かつては 当屋の奥様の指揮の元、近所のご婦人方が 手伝いし 持ち寄った食材で料理し、買って来た鰤で刺身 煮物 焼き物を作り 神酒で祝いしました。宴酣En-takenawaになった所で 荒神様に参った後、当屋送りを済ませ 小さな祠が 次の当屋に 渡されます。「かつてのこのお祭りの一番の盛り上がりは 鰤を捌く時で、参詣者は こぞって 見入ったそうです。付近に 2軒の魚屋が有り、適宜 代わる代わる頼むと 魚屋の若い衆が 来年の注文を取りたいのと 技術に賞賛の声を浴びたくて 張りあって手伝ってくれたと」と言います。 谷口:下土井121・163(北緯34度52分34秒東経133度45分25秒)194番地等    地蔵上:下土井196番地 荒神曽根:下土井501・509番地    堂免:下土井313(北緯34度52分35秒東経133度45分28秒)-315番地等    甚作田:下土井82・83・102番地 石佛:下土井84番地    土佛:下土井96-98・101番地  平成24年(2012年)12月24日

 

下土井 倉屋の荒神社 Koujin-sya in Kuraya

落合加茂川線(66号線)下土井下加茂線(372号線)の交叉点の北鰯屋公会堂の近く下土井袴田475「番地の東 北緯34度52分54秒東経133度45分38秒付近に 倉屋荒神社が 建ちます。中央の大きな祠が  荒神社で  祀られる荒神座像は 五面の上に三面 計八面で、臂Hi つまり 腕はなく、両足裏を 正面で 合掌状に合わせています。荒神社の右隣向かって左の祠に 一面の仏らしき立像が 祀られています。公会堂脇に 小さい輪塔が 立ちます。倉屋荒神は 七軒で 管理されています。かつては 正月にその年の豊作を願い、10月頃に 稲の収穫を感謝し、夜籠りし 酒1升程を 飲み干すそうです。最近では 12月 第2火曜日に 素盞嗚神社和田129番地 北緯34度53分31秒東経133度44分50秒)の宮司が 司り、荒神祭りを行います。 袴田:下土井418・486番地等 倉屋:下土井507(北緯34度52分53秒東経133度45分42秒)・553番地等    荒神曽根:下土井501・509番地    倉屋久保:下土井506・507・512・515番地  平成24年(2012年)12月20日

 

下土井 高尾の荒神社 Koujin-sya in Takao

落合加茂川線(66号線)下土井南平1-2番地から北に 下土井高尾31番地迄 登り下土井31番地の右手の山道を少し登るって所に 萬人講の石碑が立ち、その西南下土井31番地の北側の平坦地  北緯34度52分24秒東経133度45分19秒に 高尾の荒神社が建ちます。堂内には 牛と思われる置物と 厨子が祀られています。北緯34度52分25秒東経133度45分14秒近くの加茂八十八ヶ所霊場巡礼高尾大師堂の札所に 併設されて 疫痢の犠牲者達の供養塔が 立っています。    天明の大飢饉:天明2年(1782年)から天明8年(1788年)の日本史上最大の飢饉

万人講:主に西日本三尾蹴る牛の守護神として 大日如来の信仰です   縁日には 牛を連れて 参拝し 境内の草や 樹枝を 牛舎に刺したり 護符を牛小屋に 貼りました  また農民は 大日講 万人講等の講を結び 会費を集め 講員の耕牛を 順次購入しました  また耕作牛馬を 貸借して 小作料に相当する代価を 支払う制度(牛馬小作)も 設けられました「https://kotobank.jp/word/万人講-1421530」    高尾:下土井15・31(北緯34度52分24秒東経33度45分19秒)・81番地等 土佛:下土井96(北緯34度52分27秒東経33度45分22秒)-98・101番地 石佛:下土井84番地  平成25年(2013年)8月20日

 

下土井 定ノ坊荒神社 Teinobou-Koujin-sya  石賀荒神社 Isiga-Koujin-sha

落合加茂川線(66号線)の丸山橋の南西に位置する鋭い角度を持った分岐を上り 横山様を過ぎ 東に進み、道なりに北に向かうと 下土井定ノ坊1503番地に出ます。その北隣地の高台に 一宮社が3社建っています。右の小さい社が 石賀荒神社天であり 天御中主命宮Ame-no-Minakanusi-no-mikoto-syaで 三面二臂の荒神像と 天御中主命Ame-no-Minakanusi-no-mikoto 手置帆負命Taoki-Hooi-no-mikoto 彦佐知里命Hikosatiri-no-mikoto(彦佐知命Hikosasiri-no-mikoto)が 祀られています。中央の大きい社は 定ノ坊荒神社天御中主命宮で、石賀荒神社と同じく 三面二臂の荒神像と 宇宙の神の根源の神等である天御中主命 大工の神等である手置帆負命 大工の神等である彦佐知里命(彦佐知命)が 祀られています。地蔵菩薩像を前に祀る左の中位の大きさの社は 定ノ坊大師堂で、弘法大師像2尊と天御中主命 手置帆負命 彦佐知里命(彦佐知命)が 祀られています。 石賀:下土井1255・1479番地等    石賀山:下土井1279番地 石賀池尻:下土井1338-1342番地    石賀谷:下土井1344番地 阿彌陀堂:下土井1366番地    地神高下:下土井1393・1581-1584番地    五リン段:下土井1408番地    定ノ坊:下土井1414・1503(北緯34度52分44秒東経133度45分56秒)・1515(北緯34度52分42秒東経133度45分55秒)・1561番地等    石賀乢:下土井 1441番地 石賀池:下土井1435番地    定ノ坊端:下土井1529番地     平成28年(2016年)5月11日

 

杉谷 杉谷東荒社神社 Sugitani-higasi-Koujin-sya

落合加茂川線(66号線)の杉谷口から 西に進み 杉谷八王神前51番地で 北に進み 直ぐにあるY字路を 北に向かうと 杉谷松本276番地に出ます。杉谷276番地には 供養塔が立っています。そこを回り 北東に進むと 三叉路になるので 西に折れると 直ぐに 北緯34度56分35秒東経133度45分20秒に建つ荒神社に向かう 取り合い道が 有ります。本殿には 荒神ノ大神と丑寅両社ノ大神が 祀られます。    仁王堂:杉谷2・4・25番地等 宮ノ前:杉谷26・944番地等 八王地:杉谷37・56番地等 八王神前:杉谷50・51番地 丑寅両社ノ大神:艮の金神UsiTora-no-Konjin神国常立神Kuni-no-tokotati-no-kami)坤の金神HitujiSaru-no-Konjin (国常立神の妻神 豊雲野神Toyokumono-no-kami) 平成24年(2012年)8月23日

 

高富 加財神社の荒神社 Koujin-sya of Kazai-jinjya

北緯34度55分12秒東経133度48分54秒 高富天王山n667番地 則ち 429号線 小森温泉の1500m東に 加財神社が 建ちます。鳥居の右手に荒神社があります。「荒神社には13社が 祀られているが、いかなる神々か 記憶にないし、誰も調べようとした事もない」と 村人は言います。境内の一段下の平坦地に 財宝の神等であるである毘沙門天Bisyamonn-tenの搭が 建っています。毘沙門天は 商売繁盛の神等である 事代主命Kotosiro-nusi-no-mikotoと 習合しています。    地蔵向:高富529・541番地等 花ノ門:高富605番地 寺屋敷:高富619番地 ビシャモン:高富620・627番地等 ヒシャモン:高富664・666番地 天王:高富624番地 平成24年(2012年)8月25日

 

高富 重信の荒神社 Koujin-sya in Sigenobu

小森温泉から 五明や柿山や毛気神社に向かうと 交叉点が 北緯34度54分59秒東経133度49分11秒にあり 「気喜神社へ十四丁」と 刻まれた道標が 立っています。柿山Kakiyamaに向かい 原下橋を渡り 下ると 高富公民館が有り、桜の植樹の並木に出ます。桜並木に添って 4叉路を右に進むと 左手 高富2088番地の東 約120m 高富2684番地の東北東 約120m 北緯34度55分21秒東経133度49分47秒に 森神社Mori-jinjyaが 建ちます。境内には 地神碑 荒神社が 祀られます。また境内には いかなるものか解らない石碑と 風化の進んだ力石と 思われる丸い石と 河原翁頌徳碑が有ります。    原下橋:北緯34度55分11秒東経133度49分24秒 五明と柿山を結ぶ中間点    高富公民館:北緯34度55分25秒東経133度49分40秒 五明より柿山への入口    桜の植樹の並木:北緯34度55分22秒東経133度49分47秒    チロリン村:北緯34度54分43秒東経133度49分37秒    重信・重延:高富1619・2684(北緯34度55分30秒東経133度49分46秒)・2695(北緯34度55分29秒東経133度49分46秒)・2715番地等    堂脇:高富26954番地(北緯34度55分28秒東経133度49分45秒)        平成27年(2015年)7月27日

 

高富 柿山中西荒神社 Tyusei-Koujin-sya in Kakiyama

高富中曽根2108番地の庭から 北に登ると 北緯34度55分34秒東経133度49分40秒に中西荒神社が建ちます。祇園社 御崎社と 共に 祀られます。 案面荒神:高富2051番地 案面乢:高富2074番地    中曽根:高富2088・2138番地等 コウジンマヘ:高富2100・2130番地等    ドウメン:高富2145-2148番地    牛王:高富2149・2150番地       平成25年(2013年)9月12日

 

高谷 大谷の荒神社 Koujin-sya in Ootani

高谷カウ子ごKou-nigo2306-1-12-1番地の南西 約150m 高谷カウ子ご2306-1-7-1番地の西 約150m 北緯34度51分36秒東経133度46分12秒の高谷森神社の境内に 四宮社が建ちます。その左端の厨子に 荒神が 祀られています。右の3厨子に 祀られる神は 不明です。荒神木像は 比較的に簡素な結髪姿をしていて、仏像に似ています。   大明神前:高谷2193-2196番地 森:高谷2228・2274番地等 森面:高谷2281・2347番地等 森免:高谷2341番地 平成27年(2015年)7月10日

 

高谷 木の実の荒神社 Koujin-sya in Ko-no-mi

加茂総社宮から 竹部加茂市場線(366号線)を上り吉備高原のびのび小学校の北で 高谷松尾714-2番地に向かい、その北のY字路を 左に上り 高谷木の実745番地(廃屋)に出ると 福山城公園に向かう道から 北(右)に向かう山道が あります。山道の東側は 壁をなすように 切り取られています。北緯34度51分51秒東経133度46分22秒辺りが この山の頂上で 自然の丸みを持つ地形ですが、作平された位置に 一宮社が 建ち 付近に 多くの岩が 配置させています。一宮社には 荒神Koujinらしき 木像が祀らています。    高谷松尾714-2番地:北緯34度51分39秒東経133度46分28秒    高谷木の実745番地:北緯34度51分44秒東経133度46分22秒 堂﨑:高谷935-938・1005-1020 福山城跡:北緯34度51分48秒東経133度46分4秒 木ノ實:高谷730・859番地等 木の実:高谷731・775番地等 湯谷:高谷930-934番地 堂﨑:高谷935・1020番地等 陳納:高谷939・1213番地等  平成27年(2015年)11月25日

 

高谷 大高下荒神三 Three Koujin-syas in Okoge 竈三柱神社Kamado-mihasira-no-kami-sya 素戔嗚神社 Susa-no-o-jinjya 猿田彦神社 Sarutahiko-jinjya 

県道 竹部加茂市場線(366号線)加茂市場惣社567番地 加茂総社宮から登り、高谷オフコゲOokoge139番地近くの大高下集会場のバス亭から 山手に向かう道を 登ると 北緯34度51分31秒東経133度45分55秒付近に3社が見つかります。その近くの南に 導通様が 祀られます。導通様には3社があり、左の祠に台所の神としての竈三柱神Kamado-mihasira-no-kamiすなわち火産大神Ho-Musubi-no-kami 奥津比古大神Okutu-hiko-no-ookami 奥津比女大神Okutu-hime-no-ookamiが 祀られ、中の祠には 荒ぶる神としての 素戔嗚尊Susa-no-o-no-mikoto(建速素戔嗚尊Takehaya-Susa-no-o-no-mikoto 早素戔嗚尊Haya-Susa-no-o-no-mikoto)が 祀られ、右の小社には 土公神Doku-jinとしての 猿田彦命Saruta-hiko-no-mikotoが 祀られています。いずれも 祟りの強い神で、荒神と言われる神様達です。お祭りは 8月と11月に行いますが、日は 決まっていません。他の荒神祭りのように 夜籠りはしません。荒神社には 吉備中央町文化財指定のアベマキの大木があり、近くに 地神碑が有ります。    道通様:北緯34度51分44秒東経133度45分36秒辺 八坂神社:北緯34度51分37秒東経133度45分36秒辺 西谷御崎免:加茂市場127番地 馬立:高谷63・244番地等 オフゴケ:高谷87・176番地等 大高下:高谷88・220番地等 大芝:高谷111・177番地等 ヲフコゲ:高谷206・218番地等 明對:高谷112・127番地等 平成24年(2012年)9月7日

 

竹部 乗木荒神社・護王神社Noriki-koujin shrine

484号線の乗木下橋に地神碑等が有り、その近くの竹部石塔945-2番地から 北西に登り、竹部ノリ木895番地の右の山道を 進むと 北緯34度50分19秒東経133度47分44秒に 乗木荒神護王神社が 建ちます。近くの小さい社の神様は お留守です.ノリ木:竹部844-848(北緯34度50分19秒東経133度47分46秒)906番地等 荒神:竹部860-868番地 荒神ノ前:竹部869-870番地 乗木山:竹部1009(妙福寺 北緯34度50分7秒東経133度47分37秒)-1010番地 石塔:竹部918・957番地等 平成26年(2014年)6月27日

 

竹部 吉尾の荒神社 Koujin-sya in YosioYosio

吉備高原都市から 484号線を南下し 投打川に沿って進み、竹部加茂市場線(366号)との交叉点の 手前の北に位置する 竹部田元1539-1番地の分岐を進み、直ぐに北に進む分岐に入り、竹部田元1555番地の東を 道なりに山道を登ると 2枚の平坦地の上の段 北緯34度49分46秒東経133度46分53秒に 一宮社然とした社が 見つかります。社内には 一宮社が2社有り、大きい社は 菅原道真Sugawara-no-Dousinと思われる神を 祀る 吉尾荒神社で、小さい右の社も 荒神社で 優しそうな顔をした荒神が 祀られています。かつてこの地に 法福寺が 建っていたとされます。    的尾谷:竹部1347-1353番地 京面:竹部1354・1417番地等    城納:竹部1429-1456番地 妙見平:竹部1468-1476番地 田元:竹部1477-1560番地    札場:1561-1594番地 石堂:竹部1757・1793番地等 辻堂:竹部1815・1845番地等    神子屋敷:竹部1904-1908番地     平成25年(2014年)4月10日

 

竹部 愛宕神社の荒神社 Koujin-sya of Atago-jinjya in Takebe

北緯34度50分14秒東経133度45分55秒  竹部祇園下2073番地に 愛宕神社が建ちます。 本殿の右方向に 建物に護られた一宮社の祠が 5社あります。左より4番目の社は 荒神社で 三面二臂Sanmen-Nipi三宝荒神と 複雑な様子をした神が 祀られております。    守屋:竹部2012-2044番地 祇園下:竹部2069-2075番地  平成25年(2013年)4月16日

 

竹部 阿波良の荒神社 Koujin-sha in Awara 水神社 DSuijin-sya of Koujin-da

岡山賀陽線(72号線)きびプラザの向かいに 阿波池があります。池の東側の道を東に下ると 竹部阿波良2156番地が有ります。その南の田の中  北緯34度50分1秒東経133度45分51秒にコンクリート製の一宮社の水神社が 建っています。その脇に 水源が有ります。現在は 見つかりませんが、平成23年(2011年)9月18日には 田の畔に 木製の一宮社が 建っていて 荒神が 祀られていました。圃場整備の前は この辺りは竹藪で、その中に 荒神と 水神が 祀られていたそうです。   祇園下:竹部2069-2075番地    阿波良:竹部2154・2191番地等 大草田:竹部2192-2203番地 小草田:竹部2204-2228番地    投打:竹部竹部2251-.2273番地 山ノ神:竹部2283・2300番地等    山神:竹部2301-2359番地     平成29年(2017年)7月15日

 

富永 貴船荒神社と三宝荒神 Kihune-Koujin-sya and Sanpou-Koujin-sya

落合加茂川線(66号線)の長田ふれあいセンター前バス停の交叉点 富永牛蒡田1426-3番地の南から北西に向かう分岐を進むと直ぐに長田ふれあいセンター富永有ノ前1403-1番地)が あります。センターの南の道を 南西に進むと 直ぐに 長田地区農村公園が あります。公園の南西側に 山道があるので 木船池に 向い 進むと 池の手前の高台 北緯34度53分0秒東経133度45分24秒に 社が 建っていて 貴船荒神社と 三宝荒神社の一宮社が2社 祀られています。祭神は2社とも 奥津比古神 火産霊神 奥津比女神です。 令和5年(2023年)3月3日

 

富永 丸山荒神社 Koujin-sya in Maruyama

富永行安1711番地 北緯34度52分56秒東経133度45分16秒に大王公会堂Taiou public hallが有り、加茂霊場 大王観音堂 大王祇園神社が  併設されています。境内に入る手前に もう一社の一宮社丸山荒神社が建ち、素戔嗚命Susa-no-o-no-mikoto 建速素戔嗚尊Takehaya-Susa-no-o-no-mikoto 速素戔嗚Haya-Susa-no-o-no-mikotoが祀られており 本殿の裏側は 墓地になっています。    瀧山:富永706番地    猪之尻田西:富永715番地 猪之尻之山:富永716番地 丸山:富永719・1213番地等    圓山:富永773・1214番地    丸山:富永1764番地    行安:富永1763・1793番地 呉久文場:富永1772番地 神子田:富永17941808番地 神子田屋敷:富永1803・1805番地 堂ノ下:富永1809番地 行者脇:富永1811番地 墓ノ後:富永1812番地     平成24年(2013年)3月13日

 

富永    逗留田の屋代荒神社 Yasiro-Koujin-sha in Touryuda

富永井坂1001番地の南から登る山道から 右に分岐する細い道を進むと 北緯34度53分15秒東経133度45分8秒の林の頂上に 屋代荒神社が 建ちます。一面二臂の木製荒神立像が 祀られていま す。両手首は 折れており、長い袖のゆったり とした衣装を 纏っています。    逗留田上池ノ内:富永1011・1039番地等    井坂:富永933・1001番地(北緯34度53分13秒東経133度45分7秒)等    逗留田:富永1021・1085番地等 逗留田上池:富永1040・1041番地 若宮河内:富永1060番地  平成26年(2014年)6月28日

 

富永 森上の荒神社 Koujin-sya in Moriue

落合加茂川線(6号線)から 森上や和田に向かう鋭い角度の坂道を登ると 富永奥ノ前1176番地の北 北緯34度53分23秒東経114度45分17秒に 森 上公会堂が 建ちます。加茂霊場 不動堂 第二九番の札所の看板が 掲げられます。お堂が 建てられた時、森上集落の森神社 森上荒神社 不動堂 地神碑が ここに 集められ祀られました。「村人口伝」  不動堂と荒神社は 富永畝ノ上1818番地の北の林(東山)の中 北緯34度53分19秒東経133度45分13秒に有りましたが、現在は 全ての施設が 取り除かれています。 森神社は 富永芝屋向2022番地から 芝屋池を通り南に山道を登るか、富永池ノ下1951番地の西から 山道を登り 交叉する山道を左に回ると 北緯34度53分27秒東経133度45分3秒に 現在も社が 残ります。荒神社の社は 残っていません。              

 奥ノ前:富永1095・1183番地等    荒神前:富永317番地 荒神前:富永458・459・466番地    森元:富永354-355番地 森田:富永富永356番地    東下ノ段:富永403番地 東:富永404番地    東山東:富永700・701番地    灰屋ノ段:217番地    土取場:富永338・428番地 ヒジリ:富永339番地 ヒジリ:富永939・967番地 日ジリ:富永967番地 比志“リ:富永967番地 樋尻:富永96番地 有漢坊:富永273-276番地  平成25年(2013年)8月15日

 

富永 小阪荒神社 Koujin-sya in Kozako

 富永宗時1580番地の近くの 小坂公会堂の近くの北緯34度53分15秒東経133度44分55秒の藪の中に 小阪荒神社が 建ちます。火の神である火産靈命Ho-Musubi-no-mikotoと 竈の神である沖津彦神Okitu-hiko-no-kami 沖津姫神Okitu-hime-no-kamiが 祀られています。怒髪し 渋い表情ですが、穏やかな一面も見せます。三面二臂に見えますが、肩のやや下に 腕が取れたような穴が 空いていますので 四臂であったなのでしょう。その社の脇に 大歳様Dasâ-sama 後様Kou-sama/gou-samaが 祀られます。11月 12月 1月に 素盞嗚神社の宮司を迎え お祭りをします。11月 12月の荒神祭では 祭りの1週間前より 夜籠りをします。11月の祭で 当夜渡しが行われ 摩利支天に お参りします。 宗時:富永1576・1588番地等 池床:.富永1580番地 假社:富永1648-1650番地 神子田:富永1658・1663番地 墓曽祢:富永1559・1597番地 5法相:富永1563・1593番地等    平成25年(.2013年)1月12日

 

富永 柴谷の荒神社 Koujin-sya in Sibatani

富永集落の北西部の和田と井原に接した富永の突出部に柴屋池があり、直ぐ北に富永柴谷2022番地と富永窪kubo2031番地に 挟まれたY字路が あります。Y字路の東に 北に向かう山道が あるので 70m程登ると 比較的太い道と三叉路を作ります。そこより  30m程西に進むと 右手岸上に 何も刻まれていない 石碑が立ちます。少し西側に 取り合い道があり その奥 北緯34度53分37秒東経133度45分2秒に荒神社が 建っています。堂内には 3社あり 両側の社には 神が祀られず、中央の大きい社 に 三面二臂の荒神が祀られています。    才ノ乢:1840・1869番地等 斎ノ乢:富永1852・1863番地等    烏田:富永187・1904番地等 墓仁后:富永1880-1882番地 油免:富永1885・1975番地等 地獄谷:富永1908・1948番地等    石トウ:富永1915番地 宮内:富永1917・1920番地 柴屋谷:富永1989・2086番地等 柴屋:富永2006・2007番地     平成30年(2018年)1月16日

 

富永 小阪後の後様(仮称)Gou-sama in Kozako

富永の小坂公会堂 の近く富永池床1580番地の近く 北緯34度53分15秒東経133度44分55秒付近の藪の中)の小坂荒神社Kozaka-koujin-sya境内に建ち、その境内に「ごう様」が 祀られています。村の女性は「”後様”と 記述され、女性を守護してくれる神様だ」と 言います。祀られる神名については 答えが ありませんでした。護様 御王様 豪様 江様 牛王様 御御様Ogou-sama等が 訛った可能性があります。   護様:岡山県久米郡美咲町両山寺454番地 北緯34度58分27秒東経133度53分54秒二上山両山寺Hutakami-san-Ryouzan-ji護法実Gohouzaneは、護法善神が守る地を 見回りるため、護法善神が 村の善男に乗り移り、不届き者を探させ 成敗させる 護法実Gohouzane (護法祭)と 呼ばれる祭りをします。護法善神 或いは 護法善神が乗り移った善男を 護法実 後様Kou-sama/Gou-sama/Go-samaと 呼びます。祭りに 心身不浄の者が 混ざっていると 護法実に追われ、捕まえられると 三年以内に死ぬと されます。護法実に追われ 逃げおおせれば 免罪されますので、祭りに 参加した 身に覚えのある者は 罪を咎めtogameられないようにするため 護法実に 捕まらないよう 逃げないといけませんが、大抵の場合 護法実は 態wazaと悪人を 見逃してくれ、例え捕まっても 罪を祓ってくれます。護法善神とは 梵天Bon-ten帝釈天Taisyaku-ten 四天王金剛力士等 さらに 阿修羅Asyura鬼子母神Kisimo-jin 等の鬼神 本地垂迹Honti-suijyakuの神権現 等 仏法を守護する全ての神の総称です。https://ja.wikipedia.org/wiki/護法祭」  御王様:京都府京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385番地御王神社の祭神は 和気清麻呂Wake-no-Kiyomaro  和気広虫Wake-no-Hiromusiです。広虫は 奈良時代女官 和気清麻呂の姉  日本で初めて孤児院を開いたとされます。災害や戦乱で孤児となった子共達を育てました。利発で慈悲深く、孝謙 称徳天皇や桓武天皇の信頼を受けました。御津郡加茂川町(現加賀郡吉備中央町)で祀られている「ゴウ様」は  床の間に祀られていたり、子育ての為にお参りする神社であるとされますが 祭神は定かでありません。【ゴウ様について】 - デジタル岡山大百科 | レファレンスデータベース (pref.okayama.jp)  平成.25年(.2013年)1月12日

 

富永 畝ノ上の荒神社 Koujin-sya in Une-no-ue

富永集落には 逗留田下池 逗留田上池 井坂池 宗時池等多くの池が点在します。北方の宗時池から 北に進むと 富永畝 北緯34度53分18秒東経133度45分14秒に 荒神社が建ちます。 丸山:富永1764番地 神子田:富永1794・1808番地等 神子田屋敷:富永1803・1805番地 墓ノ後:富永1812番地 行者脇:富永1811番地 堂ノ下:富永1809番地 畝ノ上:富永1818・1825番地等 ウ子:富永1819番地 畝:富永1820番地 才ノ乢:富永1840・1867番地等  平成30年(2018年)1月16日

 

富永 長尾神社 Osao-jinjya in Nagao

落合加茂川線から長尾集落Nagao  communityに向かい、長尾大師堂Nagao-Daisi-douを 右に見て 富永西303番地辺りの 長尾集落の北の峠の山道を 左(西)に進むと 北緯34度52分49秒東経133度44分52秒付近に 長尾神社が 建っています。長尾神社は 荒神社を 兼ねていて、魔利支天社 素盞嗚神社を 合祀しています。Osao shrine is Koujin shrine, and Marisi-ten shrine and Susa-no-o shrine are enshrined  together in Osao shrine

長尾神社の祭神は 火の神 水の神等としての木花咲夜姫命Kono-Hana-no-sakuya-bime-no-mikotoで、祭りは 10月27日に行い 素盞嗚神社の宮司を 迎ます。この時期には あちこちで祭事が有るので 宮司の都合で 祭日が ずれる事が多いようです。いわゆる 荒神祭りです。かつては 神輿mikosiも 繰り出しましたが、人口減少に伴い 神輿の担ぎ手が不足して それもままならないようです。拝殿内に 陶器製の「ん形像」「あ形像」の荒神が 掲げられています。 西:富永303(北緯34度52分48秒東経133度44分56秒)-304番地 荒神前:富永317・466番地等 房ノ川:富永328・425番地等 堂ノ坂:富永296番地 福本:富永310番地 ボウ:富永323・326番地等  平成4年(2012年)8月6日

 

豊岡上 亀山八幡宮の竈神社 Kamado-jinjya Of Kameyama-Hatiman-guu

 亀山八幡宮は 豊岡上亀山184番地 北緯34度53分59秒東経133度45分35秒の亀山に鎮座します。本殿の右側に 大き な一宮社と 小さい一宮社 と三宮社が建っています。大きい社は 竈神社へっついHettui-samaで 斎神社Ituki-jinjyaとも呼ばれます。竈三柱神kamado-mihasira-no-kamiを祀ります。

豊岡上 亀山八幡宮の若宮 Waka-miya of Kameyama-Hatiman-guu

亀山八幡宮は 豊岡上亀山184番地 北緯34度53分59秒東経133度45分35秒の亀山に 鎮座します。本殿の右側に 大きな一宮社と 小さい一宮社と 三宮社が建っています。大きい社は竈神社へっつい様で、小さい一宮社 斎宮Ituki-guuです。三宮社の左の厨子は 若宮社で 中の厨子は  祇園神社です。右の厨子は 護王神社で 天児屋根命が祀られます。 地頭原:豊岡上143-161番地 嵯峨平:豊岡上162・163番地 宮地:豊岡上166・179番地等    宮脇:豊岡上169番地    亀山:豊岡上181・184番地等 宮根:豊岡上185・186番地    城山:井原148-153番地    鯉谷:井原154・155番地  登亀:井原246番地  平成29年(2017年)10月8日

仏教では 竈に 三宝荒神を祀り、神道では 竈に 竃三柱荒神(三本荒神等)を 祀ります。竈三柱神とは 奥津日子神Okutu-hiko-no-kami 奥津比売神Okutu-hime-no-kami 軻遇突智命Kagututi-no-mikoto(火産靈命Ho-Musubi-no-mikoto)です。多くの昔の屋敷では 竈は西側に作られ、座敷は南に 納戸は北に位置して造られます。竈の間(台所)は 霊界(他界)と 現世との境界とし、竈神を 両界の混在部の神として 祀ります。荒々しい神であり 粗末に扱うと 祟られます。竈に乗る等してはいけません。神道では 台所の3方の隅に  祀る事がしばしば認められます。https://ja.wikipedia.org/wiki/かまど神火の神 火除け 火伏せの神であると同様に 農業や 家畜や 家族繁栄の神 家族を守る守護神でもあります。ロックウ様 釜神Kama-gami オクド様 ヘッツイ様 火男様Hyoutoku-sama 火の神Hi-nu-kan 土公神Dokou-sin/Doku-jin土の(土の神)等とも呼ばれます。www7b.biglobe.ne.jp/~boso/genshi/genshi04.html」  平成23年(2011年)1月6日

 

豊岡上 御北小学校の東側に接する荒神社・火産霊社 Koujin-sya/Ho-Musubi-sha on the east of Mihoku elementary school

亀山八幡宮の東側の参道の直ぐ北側に 定光寺上組大師堂 則ち加茂68番奥ノ院霊場があり、八幡宮の南豊岡上亀本上ミ200番地の南の川沿いにある豊岡上正面139-1番地 御北小学校の校舎の東端に荒神社火産霊社Homusubi-syaが あります。火産霊神Ho-Musub-ino-kami 奥津彦神Okutuhiko-no-kami 奥津姫神Okutuhime-no-kamiが 祀られていますが、三寶荒神とも 記されています。上光寺バス停より 相模に向かう道の直ぐ北側の傾斜地の右手上に 荒神が 祀られています。     定光寺上組大師堂:北緯34度53分57秒東経133度45分38秒 御北小学校の東側に接する荒神:北緯34度53分56秒東経133度45分43秒 御北小学校の西の田の中の小堂:北緯34度53分53秒東経133度45分52秒 亀山:豊岡上181-182・184番地等 宮根:豊岡上185・186番地 聖岩ノ上:豊岡上196・198番地 湯田:豊岡上215番地 王地:豊岡上216番地 供養石西:豊岡上224番地 鎮ヶ乢・鎭ヶ乢・鎭ヶ溺:豊岡上219・302番地等 地頭原:豊岡上238番地 平成23年(2011年)1月24日

 

豊岡上 上光寺下荒神 Jyoukouji-simo-Koujin-sya/Kami-Oogi-Koujin-sya

豊岡上金子Kaneko625番地の隣斜面の中腹 北緯34度54分14秒東経133度45分59秒付近に上大木荒神社Kami-Oogi-koujin-syaと上光寺下荒神社とが 合祀されています。祭神は 三寶荒神Sanpou-koujinとしての 素戔嗚大神susa-no-o-no-ookamiです。荒神祭は 三所神社の宮司が 司るそうです。     三所神社:三納谷若宮1179番地 北緯34度52分37秒東経133度46分21秒 上光寺:豊岡上289・411番地等 愛宕山:豊岡上423・677番地等 荒神脇:豊岡上431番地 御崎松䏮:豊岡上444・676番地等 神道山:豊岡上446・457番地等 地蔵マヘ:豊岡上573番地 金谷:豊岡上586・927番地等 金子:豊岡上624・636番地等 金子谷:豊岡上633・705番地等  平成22年(2013年)1月25日

 

豊岡上 前相模荒神社Maesagami-koujin-sya

北緯34度54分34秒東経133度45分60秒 豊岡上ソバ872番地と豊岡上幸槌1318番地の間の ほぼ中央の北の土手上に 前相模荒神社が 建ちます。八幡宮であると同時に 三寶荒神Sanpou-Koujin-syaです。11月から12月のいずれかの日に 三所神社の宮司が 司り 荒神祭りを 行います。御祓いを 済ませ お料理と酒の席を設け 最後は 餅投げmoti-nageで 終わります。   三所神社:三納谷若宮1179番地 北緯34度52分37秒東経133度46分21秒 前相模:豊岡上806・872番地(北緯34度54分31秒東経133度45分54秒) 御崎免:豊岡上1300-1302番地 荒神後:豊岡上1340番地 丸師天山:豊岡上1344-1346番地  幸槌:豊岡上1317-1319番地 地蔵乢:豊岡上1331・1332番地 前田堂ノ前:豊岡上1333番地 箒坂:豊岡上840-844番地 馬ヶ坂:豊岡上845-850番地 ソバ:豊岡上872番地 天道河内:豊岡上876・882番地等 堂東行免:豊岡上894番地 平成25年(2013年)1月25日

 

豊岡下 天計神社の荒神社 Koujin-sya of Amahakari-jinjya

北緯34度55分31秒東経133度度46分30秒の豊岡下大勝2667番地に 天計神社が 建ちます。拝殿の左に 荒神社祇園神社Gion-jinjya 天神社、右に 若宮が 祀られています。寛弘の頃 舟掘上の3社を 青年達が 背負い 遷宮したと 言われます。天神社は かつて 天神山に 有って、山を神輿が 1周する旅神幸を 行ったと 言います。天神山は 豊岡下市場107番地の南240m程の処 北緯34度54分37秒東経133度46分37秒にあります。「村人口伝」 天神山:豊岡下天神原6-1番地の東 北緯34度54分37秒東経133度46分37秒 往生瀧東:豊岡下2458番地 堂坂:豊岡下2467番地 大日:豊岡下2493・2502番地 カフホフ東:豊岡下2508番地 大勝:豊岡下2510・2772番地等  平成23年(2011年)7月12日

 

 広面 風神社の荒神社 Kou-jinjya of Huu-jinjya

広面奥1269番地 北緯34度49分18秒東経133度48分35秒に 風神社が 建っています。本殿奥に 地神碑が 祀られ、その右手前に 神輿庫が建ち、その右手に 拾二社神社が建ち、その手前に 一社宮が3社並びます。左から順に 金比羅神社 沼名前神社Nunakuma-jinjya 荒神社です。   荒神下タ:広面1094・1160番地等 宮田・ミヤタ:広面1122・1131番地等    納坊河内:広面1211・1247番地等 廣田:広面1224・1233番地等    供養石元:広面1248・1249番地    神幸場:広面1261番地    ミユキバ:広面1264番地    神納河内:広面1262・1267番地等    奥:広面1268・1760番地等  平成29年(2017年)4月1日

 

広面 風神社の荒神社 Koujin-sya in Huu-jinjya 

429号線を 下加茂から 72号線吉備新線に向かうと 左手に 向きが逆の道標があります。この道を左に下ると 右手 広面奥1269番地 北緯34度49分18秒東経133度48分35秒に風神社が建ちます。摂末社に建勲神社Take-Isao-jinjya/Kenkun-jinjya 若宮神社 龍神社 淳霊神社 稲荷神社 金刀比羅神社 雨坪神社 荒神社 等が有ります。荒神下タ:広面1094・1160番地等 宮田・ミヤタ:広面1122・1131番地等    供養石元:広面1248・1249番地    神幸場:広面1261番地    ミユキバ:広面1264番地    奥:広面1268・1760番地等     平成24年(2012)5月7日

  

 広面 岩目の荒神社 Koujin-sya in Iwame

岡山賀陽線(72号線)から 広中の風神社を 超え 広奥を通り 野呂街道に向かうと 岩目集落に 達します。皷田地区生活センターconsumer affairs center of Tudumida areaから 西北に広面岩目2469番地に 向かい、そこより少しばかり坂道を上ると 分岐があり 右の山道を登ると 頂上付近 北緯34度49分49秒東経133度48分59秒に 一宮社と五宮社が 大岩の上に建っています。一宮社は 荒神社と龍王宮です。 岩目:広面1612・2853番地 ミコイワ:広面1661-1663番地  平成29年(2017年)4月1日

 

広面 岩目三寶荒神社 Sanpou-Koujin-sya in Iwame

広面岩目2469番地の北の山の頂上 北緯34度49分49秒東経133度48分59秒の大岩の上に一社宮と五社宮が建ちます。一宮社は荒神社と龍王宮です。五社宮の左端の厨子は 摩利支天宮で、左より2番目の厨子は 祇園神社であり 八社神社 沼名前神社Nunakuma-jinjyaでもあります。中央の厨子は 三寶荒神社で 摩利支天宮 八社神社 愛宕神社 祇園神社 長園神社でもあります。右より2番目の厨子は 愛宕宮で 祇園宮でもあります。右端の厨子は 長園神社です。 稲干場:広面1452-1456番地 ドンドグチ:広面1467・1472番地等 堂ノ下:広面1484-1486番地 モッコク谷:広面1581・1592番地等 岩目:広面1612・2853番地等 ミコイワ:広面1661-1663番地 サイノコ:広面1739・1764番地等 鍛冶屋敷:広面1807番地 荒神上・荒神上ヘ:広面1808・1817番地等 荒神ノ傍:広面1813・1814番地 荒神ノ脇:広面1815・1818番地 荒神ノ西:広面1819番地 堂元:広面1821-1824番地 堂ノ前:広面1825・1837番地 荒神ノ下モ:広面1836番地 荒神ノ西:広面1838・1843番地等  平成29年(2017年)4月1日

 

広面 蕃神大神社九折前荒神社Banjin-Ookami-sya/Tuzura-mae-Koujin-sya

429号線から 臼井橋の東の九折に向かう道を 道なりに進み、途中 虎倉城跡入口の石碑を見ながら 九折集落に進みます。集落とは 言っても現在は 2軒しかありません。広面マエ3251番地の北の西に向かう小道を進むと 墓場が有り、その奥に 九折前荒神に蕃神大神Bansin-no-ookamiが祀られます。更に山道を進むと 九折の人達が 番神山Ban-jin-yamaと呼び、清経の人達が野山No-sanのと呼ぶ山の頂上に辿り着きます。    九折荒神:北緯34度50分27秒東経133度49分17秒 蕃神大神:蕃神Ban-sinとは外来の神(客神Mare-bito)がその地に 定着し信 仰された神を言います。仏教の神を蕃神Tonari-no-kuni-no-kamiと呼びます 摩利支天かも知れません    野山・番神山頂上:北緯34度50分28秒東経133度49分16秒 マエ:広面3251番地(北緯34度50分24秒東経133度49分21秒) 蔵本:広面3330・3331・3333番地(北緯34度50分24秒東経133度49分19秒) 平成26年(2014年)2月14日

 

広面 九折の荒神社 Koujin-sya in Tuzura

臼井から 九十九に向かう道のT字路を 左(北)に折れ東に進み道は北に曲がるので 道なりに進み、次いで 東に進むと 広面Hiromo九折3178―2番地 北緯34度50分21秒東経133度49分16秒の北に出ます。あるいは 岩目から 西谷道を 九折へ約1200m進むと 広面九折313178-2番地に出ます。その南東の地である 広面九折3180番地の西のT字路の近くの北緯34度50分21秒東経133度49分19秒と推定する所に 九折札所が建ちます。則ち 西谷集落から 東に進み、臼井から 九折に向かう道の逆Y字路を 道なりに 北に進みむと 日和hiyoriと九折に向かうT字路に出ます。その交叉点に 聖観音堂が 建ちます。9番札所と九折の荒神社が 合祀されています。かつて 荒神社は 高い山にあったそうです。数年前には 木彫りの弘法大師像と聖観音菩薩の石像が祀られ、荒神社の神体と思われる岩が 祀られていましたが、堂内は何者かに荒されました。天正8年(1580年)上加茂合戦のおり 虎倉城に集結していた伊賀久隆軍は 毛利軍が清経山に陣を張ったのを見て 番神山(野山nosan 清経と番神山と虎倉城は一直線で直下に清経が見渡せます)に 駆けつけたと 予想されます。    宝殿:広面3013・3139番地等    日和・ヒヨリ:広面2943・3083番地等    九折:広面3142・3569番地等     平成29年(2017年)4月22日

 

福沢 福西荒神社 Hukunisi-Koujin-sya

福沢西集落の西方に 幸手橋が 猪木川に 架かります。橋の南が 福沢寺ノ前1388-1番地で、その北の崖上 北緯34度55分47秒東経133度43分44秒に 福沢西荒神社等の3社が建ちます。いずれが 荒神社であるか解りません。2社もいかなる神社か解りません。    寺ノマヘ:福沢1388-1390番地 寺ハナ:福沢1393・1401番地等    寺鼻:福沢1399番地     平成29年(2017年)4月10日

 

細田 雲母の三宝荒神社 Sanpou-Koujin-sya in Unmo

広域農道吉備高原北部広域農道奥吉備街道)下土井下加茂線(372号線)と接近する辺り細田才ノ乢Sai-no-tawa997番-1号地の西側  道路に挟まれた 突き出た平坦地  北緯34度53分51秒東経133度46分に 塞土荒神社が建ち、塞之神の記念碑が 有ります。その他 境内には 不明の一宮社(恐らく廃止された古い荒神社) 2基の宝篋印塔 三宝荒神社 輪塔が 有ります。    雲母:細田955・985(北緯34度53分49秒東経133度46分50秒 酒店)-989番地等    雲母窪:975番地 才ノ乢:細田982・997番地等     平成25年(2013年)4月13日

 

細田 堂ノ上の八大荒神社 Hatidai-Koujin-sya in Dou-no-ue

細田ドフノ上272番地の東 円福寺 西の広域農道の山手側 北緯34度53分43秒東経133度46分24秒付近に 八大荒神社が 建ちます。多面多臂tamen-tapiの荒神像が祀られます。    ドフノ上:細田272番地    藥師:細田242・243番地 マクリ:細田246番地    空ヶ市:細田250番地    空ヶイチ:細田263番地 深砂:細田268・362番地等 深迫:細田327・371番地等 フカサコ:細田328・370番地等 ホフノ乢:細田276 坊ノ乢:細田277・366番地等 ボウノタワ:細田350番地 坊ノタワ:細田353番地  平成24年(2012年)12月20日

 

細田 荒神乢の荒神社 Koujin-sya in Koujin-tawa

広域農道沿いの細田田ノ口816番地と 細田ドフノ上272番地の間の旧道の中央の北緯34度53分43秒東経133度46分30秒 則ち 細田家ノ後255番地付近に 円福寺Enpuku-jiが建ちます。近接地に 仏像 荒神社 御崎社が祀られています。荒神は 三面六臂で 持物は何であるか解らず 頭髪も怒髪ではありません。

荒神祭には 松尾神社の宮司が 出張するようです。 松尾神社・御崎様:北緯34度53分33秒東経133度47分45秒上田東御前506番地 藥師:細田242・243番地 荒神ノ乢・荒神乢:細田181・255番地等 ドフノ上:細田272番地 三王乢:細田821・827番地等 山王乢:細田825番地 平成25年(2013年)1月13日

 

細田 野呂三宝荒神社 Sanpou-Koujin-sya in Noro

細田大ノロ472番地の東南 北緯34度53分58秒東経133度46分42秒付近に 野呂三宝荒神社が 祀られています。入口に 鳥居があり 三宝荒神と 示されています。祀られる荒神は 三面六臂の坐像 忿怒型荒神です。氏子は かつては18軒で、10月25日の荒神祭りの前日に 肝煎りKimoiriが 夜籠りYogomoriをし、25日に 松尾神社の宮司が 司り 祭りをしました。かつては 料理は 鯛Taiの駕篭盛Kagomoriりで 酒と共に 当屋Touyaが 負担したので、当屋に当たると 出費に 苦しんだそうです。現在は 5軒で 10月の宮司の都合の付く日に行い、前夜の夜籠りは 行わないと言います。松尾神社に 宮司が 不在なので 三所神社の宮司が 司るそうです。3000円の会費で パックの料理を取り寄せ、公会堂で お祭りをします。酒と初穂料は 当屋が持ちます。当屋渡しを 宮司が 仲介して 荒神祭りを 終わります。当屋は 荒神の小祠を1年間 家に祀ります。お正月には 当屋が 御飾りを飾ります。    松尾神社:北緯34度53分33秒東経133度47分45秒 上田東506番地    三所神社:北緯34度52分37秒東経133度46分21秒 三納谷1179番地    肝煎り:世話人・仲介人の事です  多くは祭りの世話役を言います    臂:肘の意味ですが、腕と捉えれば良いでしょう    大将軍:細田444・789番地等 徳入墓:細田454番地 大野路:細田466・708番地等 ノロ:細田469番地    野路:細田633・730番地等 号突場:細田488番地     平成25年(2013年)1月8日

 

細田 知連荒神社 Koujinjya-in Tiren

下土井下加茂川線(372号線)の才の乢の東の細田調圧槽の建つ 千連集落に向かう分岐を 右(南)に登り、道なりに西にカーブした 行き止まりとなる細田シブリ1263番地の西側の千連寺跡Ruins of Tiren-ji・不動明王堂Hudou-myouou-douの西 北緯34度53分38秒東経133度46分53秒に 知連荒神社と 毘沙門堂Bisyamon-douが 建ちます。荒神社には一面二臂の荒神立像が祀られます。  シブリ:細田1243(北緯34度53分44秒・東経133度46分58秒)・1386番地等 森谷:細田1225・1282番地等 知連:細田1299・1343番地 鐘突堂:細田1318・1319番地 ボランシ:細田1320-1324番地 木蘭寺:細田1340番地     平成25年(2013年)1月8日

 

細田 目無の八大荒神社 目無の三宝大荒神社 目無の荒神社 Hatidai-Koujin-sha,Sanpou-Koujin-sya and Koujin-sha in Menasi

下土井下加茂川線(372号線)の高平と大畑の中間点 目無集落の細田目無2053番地の西側 北緯34度53分47秒東経133度47分27秒に目無八大荒神社が建ちます。堂内には 左に小さい社2社と 比較的大きい社が 祀られています。右に宝物らしきものが収納されています。

右の小さい社は八大荒神が祀られ、隣の小さい社には三宝大荒神が祀られ、中の大きい社は稲荷神社です。境内には 地神碑荒神社が祀られています。荒神社には 胸で合掌した 三面二臂Sanmen-nipiの荒神が祀られています。八大荒神:出雲市大社町杵築北八大荒神社の祭り神は 龍神玉依姫命です。三宝荒神の眷属の八大荒神は 牛頭天王の眷属である八王子とする説があります 八大荒神は「八大龍王」の事で 荒神と八大龍王が習合したとする説もあります  目無:細田2053(北緯34度53分47秒東経133度47分296秒)・2091番地等 目無地藏下モ:細田2170番地 丸カバチ:細田1957・1969番地等 キョウメン:細田2008番地 目ナシ:細田2053・2199番地等  平成25年(2013年)5月23日

 

細田 高平の荒神社 Koujin-sya in Takahira

円城下土井線下土井下加茂線 372号線)から 細田高平集落に入り 大きく曲がった所の左上の墓場の近く  細田スエツギ898番地南西約50m 北緯34度53分54秒東経133度47分15秒に荒神社が有り、三面六臂sanmen-roppiの三宝荒神Sanpou-Koujinが  祀られます。右の社に 金比羅宮(金比羅大権現宮) 祇園宮が 祀られます。    高平:細田1665・1906番地等 荒神マヘ:細田1778・1785番地等    荒神前:細田1786・1899番地等     平成26年(2014年)7月3日

 

溝部 溝部下荒神社 Mizobe-simo-Koujin-sya

落合加茂川線(66号線)を 尾原から 溝部に入り 豊岡川に沿ってY字路を左折し 恩木ダム方向に向かうと 直ぐに中渡橋があり、その西の溝部中田299番地と 溝部屋敷341番地の間の 細い道を 西に行くと 北緯34度56分17秒東経133度44分29秒に 加茂八十八霊場巡礼40番溝部下札所聖観音堂が建ちます。更に その西奥 右手に 金刀比羅神社五角地神塔 奥正面に 五社が 建っています。奥正面の右端の社は 大歳神社、 2番目の最も大きい社は 荒神社、中央の社は 御崎神社、左から2番目の社は 摩利志天王社、左端の最も小さい社は 愛宕神社です。    中田:溝部290・306番地等    湯カミ:溝部304・307番地等    丸山:溝部313・326番地等 堂マヘ:溝部328・337番地等 宮ノマヘ:溝部336・344番地等 宮ノ前:溝部345番地    屋敷:溝部341番地 三寶山・三宝山:溝部346番地  平成29年(2017年)6月23日

 

三谷 三谷の日名荒神社 三谷の陰地荒神社 Hina-Koujin-sya and Onji-Koujin-sha in Mitani

かつて 三谷には 日名に 日名荒神社、陰地に 陰地荒神社が有りましたが 明治の頃、三谷森神社Mitani Mori-jinjya(三谷前替地406番地の南南東約170m 三谷森籔”通称 杭坂”605番地の東約170mの山頂 )に 末社として合祀されました。北緯34度54分25秒東経133度47分49秒に 森神社が 建ちます。拝殿の後ろに 本殿が有り、拝殿の左に 一宮社の2社 を祀る雨除け小屋と 中央に一宮社の2社を挟む三宮社と四宮社(九宮社)があります。次に 地蔵菩薩と思われる石像 一宮社 石碑 地神碑が2石碑 一宮社 3組の灯明用と思われる金属製の祠guroが並びます。

最初の二社の社の左の社には 一面二臂の荒神と思わられる立像が祀られ、右の社にも 一面二臂の荒神と思わられる立像が 祀られています。左の三宮社の左端の社は 健布都社Take-Hutu-syaで、中の社は 荒神社で、右の社も 荒神社です。右の四宮社の左の社は 愛宕神社で、次の社は 大山罪神社で、次の社は 貴船神社で、右端の社は 竃處社です。この内の6社は 明治10年10月12日に 合祀されました。三宮社と四宮社に挟まれる一宮社の左の社は 六面二臂と思われる荒神座像が 祀られ、右の社は 金神社です。    堂坂・トウサコ:三谷154-157番地 地蔵乢:三谷240・248番地等 女郎久保:三谷312・316番地等 落岩:三谷319・346番地等    森坂:三谷375・544番地等     平成25年(2013年)6月7日

 

三谷 森神社の竈處社 Kamado-dokoro-sya of Mori-junjya in Mitani

三谷前替地406番地の南南東約170m 三谷森籔(通称 杭坂)605番地の東約170mの山頂 北緯34度54分25秒東経133度47分49秒の三谷森神社の拝殿の後ろの三宮社二宮社四宮社からなる九宮社があります。右の四宮社の左の社は 愛宕神社で、次の社は 大山罪神社で、次の社は 貴船神社で、右端の社は 竃處社です。これらの神社は各地に建っていましたが明治10年10月12日に 森神社に合祀されました。    竈處社:鳴釜神事を行う神社です    森脇:三谷336・342番地等 隠し田・カクシ田:三谷344-374番地     平成25年(2013年)6月7日

 

三納谷    奥集会場の荒神社Kojin s.

三納谷明見735番地の北東の北緯34度53分7秒東経133度46分38秒に 三納谷奥集会場Minoutani-oku assembly hallが 建ちます。三納谷城の出城とされている場所ですが、それらしくありません。地神宮の石碑等が 構内の入り口の岸に 祀られます。集会場内には 向かって最右の宮は 荒神社で 人の善悪を見極める神等である妙見様 荒ぶる神等である素戔嗚様 恨みを抱く霊魂等である御崎様が合祀され、右から2番目の宮は 妙見宮で、右から3番目の宮は 三宝荒神社三宝荒神が 祀られており、中央の宮は祇園社です。   才門:三納谷319-320・368番地    大師古屋敷:三納谷807番地    明見:三納谷710・735(北緯34度53分5秒東経133度46分36秒)・828番地等

大師:三納谷792・806(北緯34度53分0秒東経133度46分32秒)・1377番地等  平成25年(2013年)3月13日

 

三納谷 三所神社の中尾三宝荒神 Nakao-Sanpou-Koujin-sya of Sansyo-jinjya

下土井仁五ノ前1208番地の遼な東の北緯34度52分37秒東経133度46分21秒  三納谷若宮1179番地に三所神社Sansyo-jyaが 建ちます。本殿の右奥神輿倉の左に 若宮が 建っています。境内には 摂末社として本殿右奥に 若宮、本殿奥の左の社として 龍王宮龍王海宮、中央の大きい社は 斎宮斎神社、本殿奥の左の社は 産土神社Ubusuna-jinjya・中尾三宝荒神社で 厄神等である 素戔嗚命Susa-no-o-no-mikotoが 祀られており、その後ろに 神様が お留守の朽ちかけた社が建ちます。その左手に 燈明用の石の祠Guroと 三所権現が 乗っていた馬の足跡が 石に刻まれたとされる 馬蹄石が祀られています。蹄石碑を 良く観察すると確かに 馬蹄の形をした傷が有ります。    装束面:三納谷1058番地 宮ノ鼻・宮の鼻:三納谷1101・1144番地等 御供田:三納谷1121・1149番地等 金糞:三納谷1145・1165番地等 若宮:三納谷1179-1180番地 堂ノ溺:三納谷1309・1310番地  平成28年(2016年)5月11日

 

三納谷 三納谷東荒神社 Minoutani-higasi-koujin-sya 

三納谷栗ノ木山264番地と三納谷神納232-1番地の中間地点 北緯34度53分18秒東経133度46分56秒に お堂が建ち、堂内に 荒神社の一宮社が 2社と1基の石碑が納められています。お堂の隣に 地蔵菩薩像が 祀られています。荒神社の西の道向 北緯34度53分17秒東経133度46分56秒に野仏が立ちます。

その近くに灯篭と社がありますが、祭神は解りません。 金山尻リ:三納谷160番地 目黒:三納谷166-171番地 摩法松:三納谷183・186番地 神納:三納谷227-235番地 才門:三納谷318・369番地等 栗ノ木山:三納谷263-266番地 西墓前:三納谷400-402番地 城山:三納谷61。87番地等 城山:三納谷1166・1173番地等 金山:三納谷84・175番地等 高見:三納谷130・193番地等 ヒイ高:三納谷190・212番地等  平成30年(2018年)3月12日

 

美原 長瀬祇園社の荒神社 Koujin-sya of Nagase-Gion-sya

北緯34度52分26秒東経133度46分55秒 美原祇園曽根307番地に 能瀬神社が 建ちます。本殿から離れた鳥居の近くの小社は 荒神社で 火の神等である火産霊神Ho-Musubi-no-kami 竃の神等である奥津彦神Okutu-hiko-no-kami 竃の女神等である奥津姫神Okutu-hime-no-kami 山の龍神等である 高オカミ神TaKa-Okami-no-kami 谷の龍神等である闇オカミ神Kura-Okami-no-kami 船の神等である船玉神Hunadama-no-kami 海の神霊等である海津見神Watatumi-no-kamiが 祀られています。 能瀬神社の裏の山道を東北に登ると上田西立石の上田西ホフ子1003番地に出ます。山道に入る前の位置に戻り、美原奥319番地の横を通り、谷沿いに細い山道を登ると 砂防ダムが有り、宇甘川が 望めます。そのやや上の北緯34度52分22秒東経133度46分55秒の近くに荒神社が 祀られ、そのやや上に能瀬神社の鳥居が 立っています。鳥居の右手に、神輿置きの台座らしき石組みが 有ります。鳥居を潜り北西に登ると能瀬神社に 辿り着きます。 竈三柱神Kamado-mihasira-no-kami奥津日子神 奥津比売命両竈紳と火の神の軻遇突智(火産霊) 祇園曽根:美原301・307番地等 荒神林:美原305番地 奥:美原319・580番地等  平成25年(2013年)5月2日

 

美原 長瀬荒神社 Nagase-koujin-sya

美原奥319番地の横を通り 谷沿いに細い山道を登ると 砂防ダムが有り、宇甘川が望めます。そのやや上の北緯34度52分22秒東経133度46分55秒の近くに 長瀬荒神が 祀られます。荒神様は 土蜂の巣に覆われ 封印されていました。    奥:美原319・580番地等   祇園曽根:美原301・307番地等    荒神林:美原305番地 岩屋敷:美原313番地 長瀬原:美原1555番地  宮田:美原1549・1559番地等  車下モ:美原1500番地

青原:美原1501・1681番地等 アワラ:美原1504・1632番地等 五輪下タ:美原1540・1577番地等 割岩向:美原1558・1562番地等 油免:美原1576・1595番地等   平成25年(2013年)5月2日

 

美原 野原荒神社 Nohara-Koujin-sya in Mihara

高梁御津線(31号線)の美原河内橋の西南の分岐を 宇甘川と反対方向に登ると 美原二五畑827番地と 美原中畑551番地の中間点の北緯34度52分20秒東経133度46分21秒に 野原荒神社が 建ちます。即ち 美原袋尻522番地に東高梁御津線沿いの美原集落センターより100m登った所に 建ちます。大きい堂は 加茂八十八ヶ所霊場20番野原札所で、右の小さい社が 野原荒神社です。2つの一宮社が 2祠祀られています。向かって右の荒神様は 一面六臂Itimen-Roppiで 長い袂Tamotoのある衣装を纏い、髷Mageを結い 穏やかな 女性的な姿をしています。両腕が 欠けています。向かって左の荒神は 一面六臂で 上の二臂は 頭上に上げ、中の二臂は 横に保ち、下の手は 胸の辺りで 壺のような物を 囲むように 組まれています。怒髪し 眼を見開き 口をへの字に結び 赤い肌をしており、足の下に 多数の動物の様なものを 抑えていて、 あるいは お尻や 足の裏を 動物の様なものが 支えています。秋の収穫が  終わった頃、素盞嗚神社の宮司が 司り 荒神祭りをします。かつては 当屋は 祭りの中で 希望者が担当し、希望者がいない時は 推薦された者について 相談で決められていました。お堂に 集まりお祓いを済ませ、収穫と1年の無事に 感謝し 御弁当を頂き、酒を飲みながら歓談し、最後に 当屋を決め 祭は終わりました。酒は当屋が用意し、弁当代は 当日に会費として集められました。その頃は 子供祀りが有り お菓子や果物で 祭りを行いましたが、現在は 子供が少ないので できなくなったそうです。荒神祭の大人祭りでは 氏子全員が 荒神堂と 阿弥陀堂で 前日より夜籠りし、酒で語り明かし 早朝は ご婦人達が持ち寄った食材で 酢の物 煮しめ 焼き物 蒸し物 新香が作られ、荒神田で 当屋が育てた稲で作った米を 焚きます。祭りは 以前と同じ手順で行われ、最後に 当屋を決めます。当屋は 持ち回りで 小祠を引き継ぎ、氏子代表数名と 神主に付き添われ 自宅に祀り、1年間 守ります。荒神田は 圃場整備事業の折り消失したそうです。    袋尻:美原521-524番地 中畑:美原550-552番地    隠居:美原566・567番地 宮鼻:美原583・615番地等    學屋:美原628・663番地等 番場田道下タ:美原731番地    奄ノ上:美原790番地 二五畑:美原794・827番地等     平成25年(2013年)5月2日

 

美原 江下の信仰

「江下(えげ)集落は10軒から2軒となった。信仰行事の維持は困難となったので、荒神社も愛宕神社も山に放置されている」との事です。 平成25年(2013年)7月16日

 

和田 末広三宝荒神社 三宝荒神 Suehiro-Sanpou-Koujin-sya and Sanpou-Koujin-sya in Wada-Miyamoto

和田宮本1250番地の東北 北緯34度53分26秒東経133度44分47秒に天神社と 大師堂が建ちます。天神社拝殿の裏手に 一宮社が 2社祀られています。一番手前の小さい社は 江羅末広三宝荒神社です。大きい社も 三宝荒神社で 荒々しい神等である 素戔嗚命Susa-no-o-no-mikoto 速素戔嗚尊Haya-Susa-no-o-no-mikoto 神素戔嗚尊Kamu-Susa-no-o-no-mikotoが 祀られています。 宮本:和田1250番地 天神:和田1251・1252番地 天神:和田1698-1700番地 天満鼻:和田1273番地 燈明田:和田1297番地 茶屋曾祢:和田1298・1299番地 寺高下:和田1304・1365番地等 天馬:和田1323・1325番地  平成25年(2013年)8月19日

 

和田 嗚神社の荒神社 Koujin-sya of Susa-no-o-jinjya

吉備中央町和田青木山129 番地林道宮の谷線の終点 北緯34度53分31 秒東経133度44分 50秒付近に 素盞嗚神社が 建ちます。その摂末社の中に  荒神社があります。火産霊神Ho-Musubi-no-kami 奥津彦神Okutu-hiko-no-kami 奥津姫神Okutu-hime-no-kamiを 祀ります。屋船久々能知神Yahune-Kukunoti-no-kami 屋船豊受姫神Yahune-Toyouke-hime-no-kami 彦狭知神Hikosasiri-no-mikoto 手置帆負神Taoki-Hooi-no-mikoto 等の守護札が納められます。神社の左隣に いかなる神を祀るのか不明の社が有ります。    青木山:和田127-129番地 宮ノ後:和田130-141番地 宗林寺:和田144-159番地 狐岩:和田163169番地等    平成25年(2014年)3月25日  

 

和田 和田上組荒神社 Wadakamikumi-Koujin-sya

和田曽祢454番地の150m程 南の北緯34度53分24秒東経133度44分25秒に和田上組荒神社が 建ちます。伊吹之男神Ibuki-no-o-nokamiを祀ります。 伊吹之男神 :伊吹山で日本武尊に致命傷を与えた神八岐大蛇 或いは白大猪でしょうか 岐阜県不破郡垂井町岩手字伊吹1484-1番地 北緯35度22分37秒 東経136度29分42秒に建つ 伊富岐神社の祭神は 多多美彦命Tatamihiko-no-mikoto(夷服岳神Ibukidake-no-kami気吹男神Ibuki-o-no-kami伊富岐神Ibuki-no-kami伊吹山の神八岐大蛇とも)です    植神:和田372・389(北緯34度53分28秒東経133度44分27秒の隣地)・470番地等 荒神:和田373・374番地 荒神前:和田375・376番地 立路:和田395・396番地  平成25年(2013年)3月17日

 

和田 和田下組荒神社Wadasimokumi-Koujin-sya

素盞嗚神社参道の鳥居のある付近  和田鳥井下タToriisita212番地の分岐点を 左の細い道を上り、舗装が途絶えて 少し登った所の右手石垣の平坦地の上 北緯34度53分11秒東経133度44分36秒の近くに 和田下組荒神社が 建ちます。境内の中に 朽ちかけの祠が有り、近くに 社置きYasiro-okiが 有ります。 火産霊神Ho-Musubi-no-kami 奥津彦神Okutu-hiko-no-kami 奥津姫神Okutu-hime-no-kamiを 祀ります。和田上組荒神社 下組荒神社とも 春と秋にお祭りをします。夜籠りが済むと 一度帰宅し 参詣するそうです。祭りは 素盞嗚神社の宮司が 司ります。    素盞嗚神社・天王様:和田青木山129番地 北緯34度53分31秒東経133度44分50秒に建ち、素盞嗚命Susa-no-o--mikoto 稲田毘売命Inadahime-no-mikotoが祀られています    鳥居:和田235番地 狐石:和田164・165番地 宮ノ谷:和田171・183番地等 岩ノ京:和田181・184番地    鳥居下:和田209・210番地 鳥井下タ:和田211-214番地    節分:和田226・258番地等 五倫曽祢:和田230・233番地等 鳥居:和田235番地 輿休:和田245番地    平成25年(2013年)3月17日