下加茂田中 貴布祢様の狐  fox who visits Kihunesama shrine

下加茂 田中 貴布祢様の狐  fox who visits Kihune-sama shrine

 下加茂の倉庫街Soukotyouの田圃辺りに来て、川下 右岸の田中の貴布祢様に 参ってみると、誰も火を 点さなかったのに 灯 が点っていました。狐か 神様が、お参りの為に 火を付けてくれたのだと 話し合ったそうです。「吉備中央町の民話(1)」


昔 下加茂田中が 開墾されました。農業には 水が大切で 水の供給によって 収穫が 左右されます。そこで 田中集落の水田脇の用水路に 大倉神社と 貴布祢神社を 建てました。貴布祢神社の祭神は 高オカミ神Taka-Okamo-o-ksami闇オカミ神Kura-Okami-no-kamiです。村人は 闇おかみ神と言う位の神様ですから、燈明し 辺りを明るくすると ご利益が 得られないと考えたかどうかは 解りませんが、年一度の荒神祭の日 以外は 火を点す習慣は ありませんでした。昭和9年(1934年)室戸台風が 下加茂を襲うと 宇甘川 此谷川は氾濫し 下加茂の原は まるで湖のように  全面が 水没しました。大倉神社 貴布祢神社は 勿 論流されました。

そこで 田中の村人は 大倉神社 貴布祢神社を 高台に 遷宮しました。この洪水で 川上から 溺死した人が 流れ着いたので 田中 大寺 安井の人達は 遷宮した大倉神社と 貴布祢神の脇に 御崎神社を 建て 身元不明の御霊を 祀りました。河原文太郎は 信心深い人でしたので 宇甘川 右岸に 流れ着いた二人の御霊を 貴布祢神社の近くの岸上に 祀り、毎日 大般若経転読を してました。下加茂山根の安井さん家Tiの母ちゃんと 姉妹Kyoudaiの3人が 遠くから見ていると 貴布祢神社辺りに 狐火が 毎日のように 現れるので、倉庫街の田圃辺りに 来て、川下 右岸の田中の貴布祢様に 参ってみると 煌々Koukouと 燈明で 辺りは 明るくなっていたのです。その明るさは 暖かい気持ちにさせたので「大倉神社の稲の神様である 下照姫Sita-teru-hime-no-mikotoと 貴布祢神社の水の神である闇オカミ様は 協力して 稲を育てたくて 狐火を起こし 貴布祢神社に 火を点してくださった」と 3人は 話し合いました。貴布祢神社に 燈明を点 し続けられると 田中は 豊作となり倉庫町の倉庫は お米が 溢れるようになりました。「下加茂大寺の村人より口伝」 実は 河原文太郎さんが 灯明を続けていたのです。

創庫町:北緯34度51分44秒東経133度48分39秒 大山堂に 大智明権現碑が 祀られていました 田中:北緯34度51分27秒東経133度48分52秒付近で 大倉神社が祀られます。 山根久西安井:北緯34度51分39秒東経133度49分10秒 屋号山根:北緯34度51分44秒東経133度49分17秒    田中水田脇の大倉神社下加茂田中1915番地の南東 北緯34度51分29秒東経133度49分4秒 宇甘川右岸の高台の大倉神社貴舟神社御崎様:北緯34度51分26秒東経133度48分59秒

河原文太郎の祀った供養の祠:北緯34度51分27秒東経133度49分3秒 室戸台風の時の水嵩は この祠まで 届く勢いだったと されます  豊岡下岩崎685番地の北の崖上 北緯34度54分54秒東経133度47分2秒に川神と 大日如来が 祀られています。いつの頃か 解りませんが、昔洪水があり この位置まで 水嵩が 増したと伝えられます。そうであれば、室戸台風の折りの下加茂と同様に 豊岡下でも多くの家屋は 水没した事になります。

平成24年(2012年)5月4日

 

豊岡下 岩崎の川神 Kawa-kami in Iwasaki

豊岡上小森線(371号線)沿いの豊岡下岩崎685番地即ち 常江田山の麓の豊岡川側の畑の奥の大岩の張り出しの上に 川神の石碑が あります。かつては 大岩の下が 深い渕だったそうです。南無阿弥陀佛 享保二酉(?)歳の横に 丁と刻まれており、両脇に 小石碑があります。一基は 大日如乗、一基は 中連と 刻まれています。岡山に、享保元年と 5年に 大洪水が ありました。その時 川に流された少年がいて  水の犠牲者に なりました。その少年を 祀ったものが 川神だそうです。昔、洪水で この高さ迄 浸水した事を示しているのだと 村人は 語りました。北緯34度54分54秒東経133度47分1秒 A stone monument of Kawa-kami ”god of river” located on a large rock overt at the back of a field on the Toyooka-gawa/river side where is the foot of Tune-eda-yama/mountain   It is said that there is a deep pool under the large rock in the past   Namu-Amida-butu “we will rely on buddhas that we can't know quantity”, Kyouho 2 Tori “1717”, ? years old and Tyou are engraved on the monument surface  There is a two small stone monument on both sides  One is engraved Dainiti-nyojyou “dainiti-nyorai/tathagata, Vairocana” and another is engraved  Tyuu-ren-kou  The big  floods happened in Okayama in the first year and fifth year of Kyouhou era  A villager told me that 「At that time, a boy was carried away by the flood and the boy became a victim of water  A memorial stone monument erected for the repose of the dead boy's spirit here  It shows that it was flooded so far at the time of the flood」  平成23年(2011年)3月2日

 

北 大和神社の狐 Fox lived in Yamato-jinnjya shrine


昔 大和神社の牛像の奉納物の近くに 住み着いた狐は 化ける術を 身に着け、参詣者に 悪さばかりして 困らせていましたが、歳をとり 悟りを開くと お宮守を 始めました。術を使い 埃 雑草や 枯れ葉を 管理し シロアリや キツツキの害を 防いでいましたが、神職の者も 参詣者も 全く気付きませんでした。神社が汚れたリ被害があれば それは自然の出来事であり、きれいに保たれていれば それはそれで 当たり前に 思えたからです。それが 悔しくて なんとか 自分を 認めてもらいたかった 狐は「困っている人を 助ければ 自分の存在を 認めてくれると 思いました。そこで夜に 大和神社の近くを 歩く人の提燈の火が 風で消えそうになると 術を使って 防いでやり。消えてしまって 火打石を 出し付け 木に火を付けようとすると 提灯の火を 付けてやりました。村人達は 勝手に 火が付くので 恐ろしがり 夜に神社に 近づかなくなりました。参詣者が 減った事に 気付いた 勇気ある神主が 火を付けていない提燈を持って 夜回りをし「やい狐  わしの提燈に 早う火ぃ灯しんせぇ。」と 言うと 狐は嬉しくなって 提燈の火を点して やりました。神主が「歳をとっても 悪さを止めんのか。姿ぁみせなされ。説経してくれる。」と 言うと、白狐は 姿を現し  事の成り行きを 話しました。神主は「そうだったのか  話は聞いて見んと 解らんもんじゃ。とんだ誤解をして 悪かったもう牛しわけmou-si-wakeない。」と 言って 毎朝 狐の住処に 夜守りの報酬の油揚を 届けてやりました。それからは 狐の悪さは 無くなり  狐が神様に 召される迄 大和神社は綺 麗に管理されたとさ。「それで 時々 牛の像の前に 神饌が 供えられるのです。「大和神社のお祭の準備をしていた人との雑談」     平成24年(2012年)10月30日