上田東 足王様のご利益 Divine favour by Asiou-sama


足王様の由来書に「 江戸時代 この辺りは 備前国加茂長田庄上田村と 呼ばれ 足王大権現堂沿いの道は 旧街道の津山 久世 西川 円城 金川 又は 足守 岡山へと繋がり、この地の人々は 足が痛くなれば 足王様へと 言われるほど 皆に 親しまれる神様でした。その頃は 旅人や牛馬の往来が 絶え間なく、ある若武者が 足を痛め 歩けなくなり 籠もり堂で 祈願し 無事お役目を果たした。若武者は お禮に 草鞋を作り 籠もり堂の腔壁に 吊るした と言う話しが 伝わり 広くから 大願成就のNoboriやWaraji草鞋が 足王堂の壁全面に 吊るされていたそうです。その由来は 現在 今も 人々に 受け継がれ 親しまれています。」ここは 江戸時代 備前と作州を結ぶ往来で 交通の要衝として 利用され 旅人の足の疲れや 病を治す神として この地に祀られ、祭神は 足王大権現と 伝えられ 通称足王様と 呼ばれている   近年でも  足の悩みのあるひとは、近遠各地から 訪れ 祈願成就の草履やわらじが 数多くそなえられている」と 書かれています。足王様に 足が悪くお参りできな い人や、参詣の途中に 病気になったり 怪我kegaをする等で 引き返さなければなら なくなった時、草鞋に 添え書きし 道端 に置いておくと 足王様方向に向かう 者が 途中まで 運んでくれました。道が 逸れるsoreru前の道端に 置かれた祈願書は、 こうして 次々に運ばれ 最後には 足王 様に 届けられ 代わりに 祈願したと 伝 えられます。金毘羅代参に 似ていますが、狗代参Inu-Daisan等は なかったようです。「上田東 湯武の旅人より口伝」 

 

足王様のご利益物語 story of DIVINE FAVOUR BY ASIOU-SAMA

44代天明天皇の頃  和銅6年(713年)に 三宅藤麻呂と言う侍が 国史編修のため、長田庄の様子を 見にやって来ると 村人は 鬼に苦しめられていました。強そうな若侍を見て村人は 鬼退治を願い出ると 快く引き受けました。鬼が藤麻呂に 襲い掛かり取っ組み合いとなり、さすがの 藤麻呂も 鬼の強さに 手を余し 不利となると、藤麿の危険を救うために 突然 勇敢な犬が飛び出し 鬼の足首を喰いつきました。驚いた鬼は 犬を 振り払い 投飛ばそうとしましたが、犬は噛み付いた鬼の足首を 離さなかったので 鬼の足は食いちぎられました。動きが制限された所に 藤麿は すかさず太刀を振り止めを刺すと、 鬼は 息絶えました。この戦いで 藤麻呂は 足を 痛め歩けなくなったので 長田庄の検分が 遅れそうになりました。鬼退治した 藤麻呂に 感謝した村人達は 天下の一大事に 責任を感じ、代わる代わる藤麻呂を 背負って足王様に 向かいました。

何人もの村人に 背負われ 足王様に 辿り着きお堂に 篭もり祈願すると、瞬く間に 足の傷は 回復したので 藤麻呂は 大わらじを作り足王様に奉納しました。 こうして足王代参と 履物奉納の習慣が生まれました。いぬはと言うと 左足がバラバラに 折れていて 回復不可能と 思われましたが、買いこい犬だったので 足王様に 平癒祈願すると1か月半もすると 奇跡的 に自由に 足を使えるようになり、怪我が 治った左足を思い切り高く上げて 小便をするようになりました。瓢は足王様の霊験の籠った左足に 不浄な 小便が 掛からないよう 用心して 左足を上げて 用を足していたのです。この姿は とても男らしかったので 雌犬達の憧れの的となり、若い雄犬達は 羨望senbuの眼差しManazasiを 向け 挙っkozotteて真似()し、今では 世界中の雄犬や 男勝り(雌犬もが 片足を上げて 小便をするようになりました。三宅藤麿の鬼退治伝説「上田東 湯武の旅人より口伝」 を基にした物語    平成23年(2011年)8月15日

 

お金のお足 legs of Oasi "Oasi (leg) is another name of money in japan"


 昔、貧乏な宿屋が 有りました。「客が来ん  お足(お金)が 直ぐに飛んで行く」と 宿の女将が嘆いていました。それを聞いた 小さい息子は「お金に 足があって、足が 丈夫じゃけぇ、おえんのじゃ」と 思いました。「ならば、お金の足を 傷めりゃぁ 逃げて行かんじゃろう」と思い、足王様に お参りしました。家から 親に内緒で 持ち出したお金を、お賽銭O-Saisenにし「家のお金の足を 全部使えんようにしてつかぁっせぇ」と 拝みました。お賽銭のお札は 息子が 急いで持ち出したので、グシャグシャになっていました。足王様は 普段は 姿を見せないのですが、息子が お金を大切に扱わず グシャグシャにした事が 許すに許せず、激しく怒り「何じゃ  お金を粗末に扱うて  この罰当りがぁ」と 大声を上げ、うっかり姿を現してしまいました。息子は息子で 必死ですので 一度は 吃驚bikkuriして飛び退きましたが 神様が出て来てれたので 大喜びし「神様お願いします」と 気を取り直し、すかさず 足王様の脚に 縋り(さばり付きました。

足王様は そのあましを喰らって スッテンコロリと 不覚にも転んだのです。足王様は 足の神様ですから、絶対に転んではいけないのです。「あっ  御免なさい  足王様がこけるとは 思わんかった  神様じゃもの 足王様を こけさせた罪を お許しくだされぇ  お許しを」と 息子が 許しを乞ったのですが、以外にも 足王様は「シッし シッし 内緒Naisyoにしてくれ  童Warasi様の手に けっぱんじいて こけた事は 誰にも 話さんでくだされ  足の神として 恥ずかしゅうて叶わ\ん」と 頭を床に付け 息子に頼んだのです。息子が「神様が頭を下げて頼みなさるんじゃ 絶対に口外ばぁしません」と 承諾すると、不思議な事に その日から その貧乏な宿屋の近くの坂に 旅の人が近付くと、多くの人が 何故(nazeか足が俄かにNiwaka-ni怠くなり 休みたく て宿を取るようになったのです。それで、足王様も宿も末永く栄えました。 「三谷野呂の百怪談」  平成23年(2011年)8月15日