三谷 陰地 相撲取り谷口与三郎 a sumo wrestler -Yozaburou taniguti


 三谷陰地に 昭和初期の宮相撲の大関 谷口与三郎が 住んでいたとされます。宮相撲が 始まると、毎日 丸利支天神社で 垢離を取り 勝負に 挑んだそうです。谷口与三郎は 勝負の神として 丸支天を 崇めたのです。「三谷陰地 の村人より口伝」   

 

相撲取り谷口与三郎者物語 STORY OF A SUMO WRESTLER -YOZABUROU TANIGUTI

谷口与三郎と言う 宮大工が 飛騨から三谷陰地に 流れ着きました。相撲が 大好きだったので宮相撲に出るのですが、加茂川には 篠音Sino-no-oto 隅田川 小錦 尾車 旭川 等の強豪が ひしめき合っていて 思うような 成績が上がりませんでした。毎日毎日 相撲の事しか頭に ありませんでした。そんな与三郎の夢に 丸支天が現れ「我は戦いの勝利の神なり 都藤藤四郎Miyakohiji-Hujisirouを 訪ねよ」 と 言うのです。藤四郎は 宮相撲の横綱で 上加茂に住む 吉備津彦神社の神職で 鴨神社禰宜を 務める 大森家の ひいき力士でした。

「憧れの閂部屋の都藤と 相撲を取りたい」と 与三郎は 朝稽古を 見せて貰いました。与三郎の熱心な眼を 都藤が 見逃さず 土俵に 呼んでくれました。与三郎は 喜んで応じますが あっさりと 投飛ばされました。重い材木を 上げ下げ 運びしていたので 腕力に 優れ 足腰は 強靭で 梁の上を スイスイ歩ける程に 平衡平衡感覚にも 長けているのを 見抜いた 都藤は 可愛がってくれました。しかし 与三郎は 激しい稽古を するのですが たいした成績が 上がりません。三谷城山の麓に 祀られている丸支天神社に参り「誰よりも 強くなった筈なのに なかなか勝てません  なぜでしょう」と お祈りしていると、薮に居たが 逃げ 可愛らしい子猫が 現れ じゃれついてきました。すると さわやかな神々しい風が 吹いてきて 木洩れ日が 揺れたのです。その木洩れ日の中の 一つに 特別に明るく 輝き激しく 複雑に揺れるものが ありました。その 猫じゃらしのように 逃げ回る 木洩れ日に 子猫は 興味を持ち 上下左右前後に 見事な身のこなしで 追いかけ 頃合いを見て 素早いパンチを 繰り出しました。与三郎は「剛力で 猪突猛進するだけでは 勝てない   足りないものは この動きだ」と 丸支天の教えに 感謝し 子猫と一緒に 陽の玉との 鬼ごっこを 楽しみました。丸支天神社の前での稽古の おびただしい汗を 三谷川から 汲んで来た水で 流すと キリリと 身がしまり 気力が 充実したのです。

宮相撲の季節になると 谷口与三郎は 丸利支天神社に 参り 三谷川の水で 垢離を取り 土俵に上がり 都藤藤四郎と対戦すると、猪のようにぶちかまし 猫のように動き回り マワシに 手がかかるやいなや 身をひるがえし 投げを 繰り出しました。その技能に 陶酔した 観衆は「都藤藤士郎も 与三郎に 掛かれば タダの トトウ-トウシロウじゃのう」と 話し合う始末です。そして与三郎も 宮相撲 閂部屋の大関になりました。気が付くと 相撲に明け暮れる余りに 大切な本職の宮大工の仕事を 失ってしまっていましたが 猫と猪の彫刻に 優れていたので 神社の修理があると 左甚五郎に 匹敵する腕を 振るったのです。その頃丸利支天は「あのトウシロウめ  わしは 面倒なので 何もしなかったのに 勝手に悟りおった」と 陽炎の中に 埋もれ 笑っていました。「三谷陰地のむらびととの雑談」  三谷陰地丸利支天神社:北緯34度54分48秒東経133度47分49秒 摩利支天:陽炎の化身の天部の仏神で 日天の眷属です 本来は女神ですが 猪に乗る姿は 男性神となります 閂部屋:昭和初期まで有った宮相撲の力士部屋 藤四郎の供養碑:下加茂梅原260番地の西 北緯34度51分41秒東経133度47分34秒  平成24年(2013年)4月15日