北 妙本寺 無言問答 Silent questions and answers


見延山の西念兼喧Kenkenと名乗る修行僧 が 雲水となって 諸々の寺に 寝所を求 めながら 全国行脚し、修行の一環として 無言問答を していました。これまでに 対戦した住職は 悉く その僧侶の無言問答の 仕草Sigusが 理解できなかったので、問答に 敗れ 住職の席を 追われました。ところが その天下に名の知れた問答修行僧が 妙本寺を 訪ねてくると言うのです。日具上人Nitijyou-syouninが 番神問答で 卜部兼具に 認められ全国的な 評判を得ていたので 妙本寺の住職は 代々 問答に 長けている との評判が 高かったからです。しかし その時の住職は 無言問答を した事が 無かったので 勝てる自信 等 全くありませんでした。兼喧が 同じ宗派の僧であっても 西の身延と呼ばれていた 妙本字の先輩達の成した評判を 落とす訳にもいきません。その当時 妙本寺に かなりお馬鹿な色呆けIrobokeしている 頓菩Tonboと いう小坊主志望の小僧が 通っていました。住職は「頓珍漢Tontimkan振りで  理解しがたい面を持つ頓菩なら 兼喧を 少しは惑わすかも知れないし 負けたとしても 小坊主志願者なので 寺の名に傷が付かない」 と 思い、やけくそになって 頓菩に 兼喧の接待を任せる事にしました。おつむに 若干の問題を持つ頓菩は 和尚から信頼を得たと 勘違いし 喜んでその大役を 引き受けました。兼喧が 悠然と現れ「我は 兼喧と言う雲水成り  住職殿に 無言問答を 申し込む」と 申し出るとと 頓菩が「これは これは 旅の雲水様  和尚さんが わざわざお相手する事でもありません  わてが お相手いたします」と 挨拶に応じました。兼喧は 年端もゆかない少年が 相手と知ると愚弄Gurouされたと思い 怒りを感じ「コテンパンにやっつけて 妙本寺に 恥をかかせてやる」と 思い 鼻息を 荒くしました。早速 兼喧は 民間の隠語である 銭zeniを 示す 法印を 結び「仏法の奥義Ougiは いかにと 問いました。

自分の気になっていた事しか頭にない 頓菩は「そぎゃぁにおちんちんは 細くねぇ 違う 違ぅ」 と 手を細かく振りました。

冷静であれば 少年が 勘違いして 問答を 返したかも知れないと 疑う筈ですが、頭に血が上っている兼喧は 考え違いし「そんな 当たり前の問答は 止めろ」と 言ったのだと思い、片手の指を 5本立て両手を広げて見せ「孫悟空の五本の指の物語に出て来るように 釈迦の手の平は 無限に近い広さだが 小坊主の心の広さは 釈迦の世界の広さより 広いと言おうとしているのか」と 尋ねました。頓菩は 両手の指を広げて突き上げて見せ「5人だと  あんごう言うな10人以上に 口説かれた」と 答えました。兼喧は「仏陀の10倍よりも多くの仏の世界を 知っている」と 答えたと思い、3本指を立てた後 銭の指型を作り3回繰り返す仕草を見せ「3000尊の如来に迫るお人なのか」と 尋ねました。頓菩は 5本と1本指を立て激しく 3回降り「ろくでもねぇ事ぅ聞くな  1日に3度が 限界かと言うんか  1日5回の日もあったがぁ」と 答えました。兼喧は「釈迦の前後 6000尊の如来を 越え て全宇宙を支配しておる」と 答えたと思いました。今までの問答の相手は 緊張し恐れを持っていたのに、この少年は 全く億びれず 自身満面で 笑みさえ浮かべていたので、さすがの兼喧も「小坊主様の仏の知恵は 無限の大きさに違いない  これ以上の問答は 恐れ多くて出来ない  一宿一飯も求め難い  小坊主ですらこの実力だから 和尚は さぞかし知識深いのだろう」と 思い早々に 別れの挨拶をし、コソコソと 退散し見延山に戻り 西の見延に 手を合わせ 毎日拝んだそうな。「妙本寺山門を訪れていた老婆より口伝」少しばかり尾籠な話ですが、語りべの老婦に免じて許して下さい。よく似た物語に 岡山に伝わる饅頭屋 利吉と 雲水 東念の「無言問答」が 有りますhttp://i.prodr.com/zen/z-mugon.html

西念兼喧/頓菩:岡山に伝わる「無言問答」に 出て来る 東念と 利吉を 意識して用いた仮の名前でしょうhttp://i.prodr.com/zen/z-mugon.html」 具足山妙本寺本堂・隋神門・ご本尊・番神堂:北緯34度48分31秒東経133度42分15秒 如来:一説では最高位の仏 釈迦以前に3000尊、釈迦の後に2999尊現れると言われます 他の説あります   孫悟空の五本の指の物語:釈迦如来に「俺は 地の果て迄も 飛べせる」と 宣言し、地の果の5本の柱を見つけた悟空は それに 小便で 署名し戻ってくると 釈迦の指に 証拠の署名がありました  地の果てまで 飛んで行ったつもりが 釈迦の掌を 巡っただけだと 知って 釈迦に恐れをなし 逃げ出しましたが 逃げる間も与えられず 五行山の下敷きに されました。  平成24年(2012年)4月24日