高谷 大谷森神社の独立 Independence of Takaya-Morijinnjya shrine


森面 北緯34度51分36秒東経133度46分12秒に 森神社が建ち 素戔嗚命が 祀られてます。森神社は 元 総社宮の末社でしたが 江戸時代中期の洪水で 宇甘川Ukai-gawaに流され 美原江下Mihara-Egeの対岸の森原に 留まりました。一緒に 太鼓も 流れ着いたので ここを太鼓町と 名付けられました。次の洪水で 再び流され 大谷集落の南方の荒神社の上流に 留まりました。そこで 住民は 森神社を 宇甘川から引き上げ 森大明神として 荒神社の地に 祀り)ました。「加茂川町史」 森神社を 宇甘川から引き上げ時 岩に足を取られ辷った者が 住む辺りを 「辷り石」と 呼ぶようになりました。「大谷村人より口伝」 森神社では 粥管祭りをし 作物の収穫の吉凶を 占ないます。

 

独立したかった森神社 Mori-jinjya Shrine that wanted to be independent

昔 昔 加茂惣社宮の神様は 国造りをしていた 素戔嗚尊 Susa-no-o-no-mikotoでしたが、いつの間にか 素戔嗚尊は お稲荷様 Oinari-samaである宇伽之御魂命 Uka-no-Mitama-no-mikotoと一緒に 小さい 摂社の森神社に 閉じ込められ 姉の天照大神 Ama-terasu-oomikamiと素戔嗚尊の跡継ぎの大国主命Oo-Kuninusi-no-mikotoに代わっていました。天照大神の神格の元で 大国主命は 虎の衣を着る狼のように 大威張りして 素戔嗚尊や 宇迦之御霊命を こき使っていました。摂社は みじめなもので 村人に 殆ど 見向もしてもらえず お祭りも してくれません。しかも 大国主の命と宇伽之御魂命は 素戔嗚尊の腹違いの子供で 大国主命は 末っ子とされますので 稲荷様の方が お兄様です。お兄さんやお父さんが 姉や伯母はともかく 子や 弟の下で 働くのでは 面白くありません。そこで お稲荷様と素戔嗚尊は「早く独立して 立派なお宮に 住みたいものだ」と 考えましたが 大国主命は なかなか 独立を 認めてくれません。ある日  嵐の神であり森の神である素戔嗚尊は 不満の余り 天空の雲に登り 大嵐Arasiを 起こさせました。大国主命と天照大神は 嵐に苦しむ村人を 助けるために 大わらわでした。お稲荷様は「チャンス」だとばかり 大国主命の隙を見て 総社から 逃げ出 し 森神社毎 宇甘川に 飛び込みました。お稲荷様は 稲を育てる神様なので 雨と雷がないと 力を 出せません。素戔嗚尊の雨と 雷の力を 借りたのですが 素戔嗚命は 荒ぶる神様でもあるので 加減という物を 知りません。流れは 思ったよりも速く 波は 思ったよりも 激しくうねり 泳ぎのあまり上手Jyouzuでない お稲荷様は 溺れそうになりました。 持って来た太鼓Taikoを ドンドンと 叩いて 助け を呼びました。泳ぎの得意な 素戔嗚尊は 嵐を起こすのに 夢中で お稲荷様の危機に 気が付きませんでした。総社から 天照大御神が お稲荷様の遭難に 気付いて 美原の川岸に 引き上げてくれました。天照大神は甥の大国主命に お稲荷様の独立を 勧めたのですが 大国主命は「民に苦しみを 与え民の苦しみを 見捨てて逃げるとは 何事か」と 叱り飛ばしました。 それでも 天照大神の口添えもあって 稲荷様は 総社に 帰る事が 許されました。素戔嗚命が 太鼓 の流れ着いた所に 戻ってみましたが 稲荷様の行方が 知れないので しかたなくそこの森神社に しばらく 住む事にしました。総社の社から 余り離れていないこの地の人達は 惣社から 無断で 逃げ出した 素戔嗚尊を 崇拝する訳に いかないので 素戔嗚尊の社を 建てるに建てられませんでした。せめてお稲荷様の持ち出した太鼓が 残っていたので そこを 太鼓町と呼んで さしあげる事にしました。町とは言っても 寂しい茂みの地で 危険なため 誰も参詣できません。素戔嗚尊は「もっと 遠くに行かなければ 独立できない」と 気付きました。素戔嗚尊は 再び 嵐を起こし 大洪水となった宇甘川に ぼろぼろの社毎 飛び込みました。ぼろ社は 大谷辺りに 流されました。番見屋敷の者が ぼろ社を見つけ 大声を 上げると 大谷の荒神社で 素戔嗚尊の到着を 待っていた牛頭天王Gozu-tennnou(素戔嗚尊と習合)は その声を聴いて ぼろ社を 岸に引き上げてるよう 村人に 頼みました。その時 滑った石に 足を取られ 転げながらも ぼろ社を 引き上げた者が いました。その人の住む処を「 辷り石Suberi-isi」と 言って 末永くその功が 讃えられました。荒神様は 「素戔嗚尊のために 新しい社を 建ててくれ」と 村人に 頼みました。荒神様は 祟りやすい神様ですから 不機嫌に させると ひどいめに 遭わされます。 しかし 村人は 惣社の大国主命の強い力を 恐れていましたので 惣社に 恐れ恐れ詣で「お素戔嗚尊の社を 建てさせてください  素戔嗚尊様を独立させてあげてください」と お願いしました。 大国主命は「民に難儀を起こした素戔嗚尊じゃ すぐにでも 総社へ送り返せと 言いたい所じゃが、民のために 良い事を そこで 今後 末永く行うなら 許そう」と 言いました。村人は 思い付きで「素戔嗚様は 奥様の櫛稲田姫命の力を借りて 毎年 色々の作物の収穫の良し悪しを 作物を 植えつける前に 知らせて下さると 言ってられます」と 言いました。それを聞いて 大国主命は 素戔嗚尊の独立を 認めました。 村人は 大谷の森に 素戔嗚命の社を建て 森神社と 呼びました。「三谷日名の百怪談」

粥管祭 Porridge Pipe Festival "Fortune-telling using a tube of porridge and bamboo"

天明の大飢饉にあった時 この地の農民も 凶作に 苦しみました。そこで 農民は 年々の作物の豊凶を 知ろうとして 粥管を使い占いを 始めたとされます。毎年2月第2日曜日に 鍋の中に  洗米と女竹の竹筒を 入 れ炊き粥を作ります。竹筒に 粥の粒の入り具合で その年の作柄を 占います。境内に 四本の竹を 立て しめ縄を 張りその中央に 竃を置きます。水を 7分目入れた鍋の中に 洗米 5勺を入れ 10㎝程の女竹の筒に 早稲 中稲 晩稲 木綿 畑物の符号を 付けて入れ 蓋をしてから 火入20分程 粥を 煮上げます。宮司が 竹箸で 竹筒5本を 取り出し 神前に供えると 氏子の目前で 竹筒を 二つに 割って 粥の入り具合を 調べます。竹筒に 粥粒がいっぱい入る場合を9合 殆どは入らない場合を 零合と 定めます。より多く入った作物を 優先して 作付けします。 加茂総社:北緯34度51分51秒東経133度45分30秒 加茂市場惣社1567番地 境内の摂社に森神社があります 太鼓町:江下付近で 社が 引っ掛かる可能性のある 宇甘川が 大きく曲がり 即ち流れ が岸にぶつかる地形は 大月の淵(老僧淵)しかありません 大月の淵の堰の江下集落の対岸の杜Moriの中 北緯34度52分5秒東経133度46分2秒付近に地蔵が祀られています 町の元の意味は 区切られた所の意味で 人が 多く住む処の意味が 後に生じました 森:高谷2228-2233・2238・2274番地 森面:高谷2325-2333・2334-2340・2345-2347番地等 森免:高谷2341番地、森神社の建つ辺り スヘリ石・辷石:高谷2388-2389(北緯34度51分41秒東経133度47分13秒)・2392・2393番地 森原:美原1301(NEシール美原工場 北緯34度52分8秒 東経133度46分7秒)・1304-1307・1310番地 大曲リ:美原1395番地 早見屋敷:高谷2405番地  平成23年(2011年)11月3日