岨谷 大古屋 天野幽乱 Amano-Yuuran


明治3年(1870年) 高梁Takahasiから 天野幽乱と言う人が 金毘羅信仰を 広めるために 大古屋の山に 流れて来て、小さな小屋を建てて 占いを 始めました。良く占いが当たるとして、また病気平癒の祈祷も ご利益があるとして 近在からも 人が集まり 大繁盛でした。幽乱は 信者を並べ 一人一人の尻や 背中を 蹴飛ばすのが お呪いOmajinaiの手段でした。幽乱は 滝に打たれ身を清め、明治6年(1873年)10月吉日に 丸い輪の中に 磨崖神像Magai-Sinzouを 修業のため彫り上げました。この金剛像を人々は 天野様と 呼びました。金剛の下には 花頭窓Katou-mado型に 窪みが 掘られています。「大和村史」

 

蹴飛ばし幽乱物語 Story of Yuuran's admonition by kick

天野幽乱の占いが 良く当たると言うので、色々の悩みを訴える者が やって来ました。昔 娘だった女達が「若い頃に戻りたいので その方法を教えて下さい」と 言って訪ねてきました。幽乱は「若返りの方法を教えてやるが、やり方を間違えると 赤子になるぞ  大抵の女は 欲張り過ぎて 生まれる前に戻る者もおる  それでも良いか」と 答えました。女達は「うちも 欲張りそうじゃ  止めさせてもらう」と 言うと、幽乱は 女達を一列に並べ「枯れ木に 花が咲かんと気付いたか この愚か(者め等  曲がった腰を伸ばしちゃる」と 言 って、腰を 次々蹴飛ばしました。ある男が「人の財布を拾って盗んだ  人に知られたらと思うと 気になって寝られん」と 尋ねて来ました。幽乱は 庚申堂の話をし「三尸の虫は 騙せん  天帝に 告げ口される前に 虫を捕まえないと 命を 縮められる」 と 言いました。男は「それじゃぁ ますます寝られん」と 反論したのです。幽乱は「欲が 身を滅ぼす事が 解ったかぁ 財布を拾って 懐に仕舞い込んだ この手が悪い」と 言って手を 蹴飛ばしました。ある老婆が「部屋に居るのに 泥棒に 隙を狙われる  泥棒に 悩まされん方法はないもんかのう」と 聞きに来ました。幽乱は 鼠教の話をし「参られたか泥棒殿  入られたか泥棒殿  盗みますか泥棒殿  帰られますか 泥棒殿」と お教を唱え続けなさいと 答えました。老婆は「そんな暇はねぇ  面倒臭いのでできねぇ」と 言うと、幽乱は「何時も 部屋におるだけじゃろう  できん事は無かろう  努力もせんで 願いが 何で叶おう」と 諭しました。お婆は「じゃが 年を取ると尻が重うてならん」と言うと「この怠け)者め  尻を軽くしてやる」と 言って、お尻を 蹴上げしました。ある日 身体障害があり 知能の遅れた少年が「親からの遺伝で 不幸に生まれた  幸せになりてぇ」と 教えを乞うと、幽乱は「確かに 世間の者は お前を不幸の元に生まれたと言うじゃろうのう  じゃが 幸せを見た事が 有る者がおるか  幸せ等 誰にも見えん  見えん物はそこにないんじゃ  今が幸せじゃと考えるだけで お前の頭の中は 幸せになれる筈じゃ  親の遺伝子を 馬鹿にするのは 親を馬鹿にししているのと同じじゃ  お前は 親に感謝しとらんと 言うんか」と 諭しました。少年は「解るには解る  じゃがやっぱり不幸なまんまじゃ」と 不満を言うと「この親不孝者め  目ん玉覚まさせちゃる  味噌汁を 持って来い」と 言って、味噌汁で顔を洗わせました。少年は訳も解らず「出直してくる」と 納得できないまま帰りました。幽乱は「しもうた  蹴飛ばすのを忘れた」と 反省しました。貧乏な老人がやって来て「人生に1日で良いけぇ 金持ちになりてぇ  触るものが 金にしてくだせぇ」と 言って訪れました。幽乱は「触るものが皆 金になるようにしてやらぁ 食べ物を 食べようとすりゃぁ 食べ物が金になって食えんぞ  頭を掻くと お前の頭は 金になって死ぬる  それでも良いか」と 答えました。老人は 恐ろしくなり引き下がろうとしました。幽乱は「この欲張り者め  身の程を知らせちゃる  服を脱いで肩を出せ  欲突く張りの荷を降ろしちゃらぁ」と 言って首筋を蹴下ろしました。ある金持ちが「勝手にお金が増えるので 仕事をしなくて良くなった  退屈で仕方なぇ  退屈の苦痛から逃れてぇ」と 言ってやって来ました。幽乱は「退屈は素晴らしい時間じゃ  無駄な時間ではない  どうしても嫌なら 財産を人に分けてやれぇ  欲しがる者が 押し寄せて来て財産が無くなるまでは 大忙しになるじゃろう  貧乏になれば 働かなければなるめぇ  退屈な時間なぞなくなろう」と 諭しました。「だめじゃ 贅沢を 1度すると 止められん」と 言うと、幽乱は「贅沢が文化を産む  贅沢は素晴らしい事じゃ じゃから 余った金の使い方を 考えて走り廻りねぇ  この贅沢者 走り廻るよう に韋駄天Ida-tenになれぇと 足を後ろから蹴って 突き揚げました。学者が「私は 知識で 満ち溢れておるが、努力した 私よりも 才能の無い者の方が 世のためになっとるように見える  本当は 私に 才能が無いのじゃろうか」と 言って来ました。幽乱は「知識の世界に 埋もれているんじゃな  才能が無いと言ってやれば お前の気持ちは 楽になるだろう  努力に見返りを求めるから お前の心に葛藤が起こるんだ  無理した努力は疲れるだけで  浅い知識でも 良\いので 全体を良く見ろ  1部分を 丁寧\に見ても 良い考えは 浮かばんぞ  希望を持て  希望は目の前にも無いし ましてや過去にもない  明日にしかない  お前の努力は 価値ある物だ  しかし過去の偉業を以って ありきたりの生活の中に価値を見出せ」と 諭しました。学者が「じゃがどうすれば良ぇ」と 尋ねると、幽乱は「応用力を身に付けなされ  まず目標は最初の1歩を踏み出すことです  その後にお前の知識が役に立つ  この頑固頭を柔らかくしてやる」と 言って、頭に拳骨Genkotu代わりの蹴りを 喰ら\わせました。あんなこんなで、乱暴な説法でしたが、贅沢)な苦しみ 或いは 我儘Wagamamaな苦しみから 救われた と言う評判は 評判を呼んで、また面白い説法が 聞かれると言うので 難問奇問を携えて、天野詣Zmano-moudeは 盛況)をなしました。「大和村史」「村人との雑談」をもYとにした物語

摩崖仏: 社賀陽線(57号線)を 吉備中央町から 総社に向かい 豪渓に向き 左に曲が所を 直進して 57号線から離れます。ルミエール病院に向かう道を 右に見て、大古屋川に沿って進むと、大古屋集落があり、集落を通り過ぎると、右下に ペンション[紅]があり、そこから後を振り向くと 右手奥に 左写真の奇岩が見えます。その下の山道の急勾配を 九十九に登ると、天の岩が 見つかり、磨崖仏に 出会います  大古屋4号橋まで行くと 行き過ぎです 北緯34度45分39秒東経133度41分7秒の近く     大古屋・大小屋:岨谷3631・3754番地等      平成23年(2011年)9月27