円城 提婆宮の怨み釘  Driving with hatred a nail into the sacred tree of Daibaguu shrine


 「加茂の堤婆は人をとる」とか「加茂の是婆は打穴の亀御前Utano-no-kamegoze」とか「円城の娘を離縁すると是婆が走る」と 言われ 真夜中に 円城寺提婆宮境内の神木に 貴船神社と同じ作法の呪の釘を 打つと 提婆のつかわしめの白狐が 相手に取り憑iいてtorituite殺すと されます。「加茂川町史」「円城村人より口伝」「円城 円城寺の提婆宮 Daiba-guu in Enjyou-ji - okayama-yaso ページ! (jimdofree.com)

 

松本動輪の反省 Reflection of  Matumoto

昔 岡山市の城下町に 松本動輪と言う商人が 住んでおりました。競争相手がいなかったので 大儲けし 人も羨む(分限者でした。ところが 難波から若い商人の福蔵が やって来て 近くに店を開いたのです。難波で磨いた 競争主義の商法を 駆使したので、見る間に 独りよがりの商法しか知らない 動輪の店の売り上げは 減ってしまいました。そうなると 商売敵が 憎くてたまらなくなりました。動輪は 福蔵を呪い殺そうと 決断しました。提婆宮の恨み釘の打つ作法を 勉強し、死装束を縫うのですが 裁縫 等した事がない男にとって それは難儀な事でした。和釘 櫛 護り刀 鏡 五徳 蝋燭 お歯黒 白粉 口紅を買い求めましたが、知名度が高い上に 大工らしくもない男が 不審がられず 買い揃える事は 特に女性用の化粧道具等を買い求める事には 難儀しました。細工物をした事がなかったので 藁人形を作る事にも 多くの時間を 費やしました。やっと 一揃いの準備ができたので 具足を整え 丑三時 提婆多宮に出かけました。五寸釘を 素手で叩き 指でグリグリと 圧し込み、藁人形を太い釘で 神木に止めようとしても 釘は容易に 刺ささりません。傷付いた手を 血だらけにして 2週間も刺し続けました。この作業を人に見られれば 呪術は 無効になるとされるので 人目を忍ぶ事に 細心の注意を 払い続けねばならず 精神的にも 大変な苦痛でした。その夜から 手の傷は 手を切り落としたい程に 痛みましたが、秘密を守るために 祈祷師を呼び寄せ 魔除を祈願してもらう事も 医師の治療を受ける事も できませんでした。自棄酒Yakezakeを 呷れば 手は 激しく疼くばかりで 体調を崩し 食欲も意欲も 失い 床に臥しました。

激しい手の傷で 伏せているとの噂が 世間に広まると 商売敵の福蔵が 病気見舞いにやって来て「お陰様で儲けさせて頂いております 円城寺千手観音様は 千本の手で悩みを解決してくださいます  千手観音様を拝んで見たらどうでしょう」と 気遣ってくれました。動輪には この何気ない言葉が 耳から離れません。そして「わしは 恨み釘を打った   人を 恨んだ事に 仏様達が 罰を与えているのかも知れない」 と 思い 10回の千手観音堂の百度参りを 満願させました。更に7日7晩の荒修行をする事を 提婆宮に誓い、朝晩 観音池の霊水で 垢離を取り 飲食を断ち 読経しながら円城寺の広大な境内を1日1回走り通しました。既に 衰弱していた道林にとって この修業は 自殺行為と言って良いようなものでした。満願の日  今までの最大限の努力の過程が 走馬灯のように 薄れる意識に中を 駈け巡りました。すると 恨みに凝り固まっていた心が 不思議に解れ 素直に事態を 分析できたのです。

「こんなにも 過酷な努力した事が無い  これだけの努力を 商売の研究に使っていたなら あの商売敵に 負けずに済んだだろう  なんと意味のない事をしていたのだろう」と 思い 提婆宮に参ると 白狐は 恨み釘を 抜いていてくれました。釘が抜かれ 祟りが治まったのか 意識は戻り 次第に元気になりました。体力が戻ると 店をたたみ、商売敵の福蔵の店の丁稚となり 商売の勉強に励みました。主人はその努力を認め 暖簾Norenを 分けてくれました。二つの店は その後も 栄えたそうです。動輪は 今日も提婆天に 感謝するため 参詣しています。「著者の祖父の知人の岡山市に住んでいた者の体験談】を基にした物語 松本動輪は 刺抜き地蔵伝説の主人公の紀伊国屋道林から発想した仮の名前です    男性による牛刻参り:嫉妬に狂った女性が するもので、男性は 行わないもので 男性がしても 意味がない物と 思っています 本宮山円城寺提婆宮:北緯34度53分33秒東経133度48分21秒    京都の貴船神社 岡山の育霊神社の丑の刻参りUsi-no-toki-mairiの作法: 死装束Sini-syouzoku用の白い着物を自分で縫って それを着、口に櫛Kusi 腰に護刀Mamori-gatana 胸に鏡を携え 頭に五徳Gotoku(金の輪)に蝋燭Rousokuを戴き、できれば頭髪茫々(角に見せるため) お歯黒Ohaguro  白粉Osiroi 口紅姿で、恨みの相手に見立てた藁人形か名前を書いた札を 五寸釘で(近代的な頭の有る釘ではな  古典的な切り口の四角の釘)を 社の古い神木に 指で打ち止めます  これらの行為は 人に見られてはいけません    貴船神社:京都府京都市左京区鞍馬貴船町180番地 北緯35度07分18秒東経135度45分46秒    育霊神社:新見市 哲西町大野部3959番地 北緯34度52分54秒東経133度19分53秒    祟り:恨み釘の作法通りの姿を 整える者はおらず、作法に従うとしても 作法を護る事は 困難で 殆どの人は 途中で反省し 諦めるそうです  円城寺の奥様は 気持ちが少しでも鎮まるのであれば 世間のお役に立つと信じているので 恨み釘の噂は 苦にならないと おっしゃっていました  亀御前:呪い釘・恨み釘についての円城寺の関係者達の対応:丑の刻参りの作法が 守られた事は 1度も経験しないそうですので、恨み釘に 用いられた人形等は 撤去されないままです  釘を抜けば 恨みを 更に強めたり、第3者に恨みが向けられかねないからです  無意味な人形 等ですが 非道徳的行為を 反省し抜きに来るのを 見守っているのでしょう    本宮山円城寺提婆宮の項目を参照ください。 加茂の堤婆は人をとる:加茂郷の提婆宮で恨釘を打てば、恨み相手の命を取ってくれる 加茂の是婆は打穴の亀御前:加茂の提婆宮の恨み釘の釘穴に「亀御前」が 嫉妬から逃れるために 或いは 愛を引き裂いた者を 呪い殺すために潜んでいる 源頼朝亀の前と言う女性と 浮気をしていました  それを知った 妊娠中の正妻の北条政子は 頼朝が怒り狂うのを 無視し 亀の前を 責め続け後妻打ちUwanari-uti」 終に 行方知れず 或いは 尼に 追い込んだとされます  女が嫉妬すると悋気な政子のようになって 恨み釘を 打ち 相手を 呪い殺そうとする 円城の娘を離縁すると提婆が走る:妻の意思をまげて離縁をすれば 女は提婆宮で 恨み釘を打つことになる  する と使わしめの狐が 元夫に憑りつくために 飛び出してくる   平成24年(2012年)3月10日

 

平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。 P48に「火事を知らせる」と言う提婆の狐の話が 載っています。p35に「余野の大津様」と言う民話が 載っています。白髪の老人の大津様が 提婆宮に向かう話です。

 


恨み釘の功名 Lucky hit of Uramikugi

平成31年4月30日 男女の手による恋の怨みが 読み取れる恨み釘が打たれました。恨み合っての所業でしょうか。恐ろしいですね。恐ろしいですね。しかし このように 現代的な五寸釘を用い 金槌を以て 恨み釘を打ったとしても 作法に従っていないので 互いに 相手を恨み殺せません。残念。しかし 同じことを 同時に考えるとすると 気が合っているのかも 知れません。幸せな明日を 信じてこの恨み書きの行く末を 皆で温かく 見守りましょう。

 

三重子と甲の怨み釘 Hatred-nail-drivings by Mieko and Hajime


昔 豊岡村に 三恵子と言う、習字と裁縫が得意な娘が 住んでおりました。村には 木や藁細工と 料理の得意な「甲」と言う青年が 住 んでおりました。ある加茂市場の大祭の時 三重子の草履の鼻緒が切れて 倒れ、その弾みで 甲の半被happi)の裾を つかみ 破いてしまいました。二人は 互いに手際よく 繕う事で、互いに尊敬する気持ちが芽生え 一緒に祭を楽しんだのです。甲の作った祭弁当を 半分に分け食べました。三重子が「ほんにおいしい  うちは料理が苦手なの 教えてちょうでぇ」と 申し出ると、もう二人は 恋人同士になったのです。ふたりの恋は 村中の評判になりました。ある男が甲に「 円城の娘を 離縁すると 提婆に走ると言うぞ 離縁なぞできんぞ」と 忠告しました。しかし「止めとけ」と言う忠告 等その時の甲にとって耳に入らず 結婚したのです。二人の鴛鴦夫婦Osidori-Huuhuぶりは 大変なものでした。しかしある時 三重子が ご飯を炊き損ねると 甲は「相変わらず料理の基本もできん」と 小さい声で 一人言をいったのです。すると三重子は「神道を信じ宮司まで務めた癖に 字が下手で神事のてごをうちに 頼む癖に」と 甲に聞こえないように 呟いたつもりでした。悪口と言う物は なぜか ヒソヒソ話でも 良く聞き取れるものです。二人は こんな些細(sasaiな事で 喧嘩Kenkaになり 互いに相手の欠点を 論いAgeturai「もう一緒に住めるものか」と 甲は自分の家から 家出したのです。友達は 日頃から仲良しの二人に セラっていたので 面白がり「それ見た事か」と 話に尾鰭Ohireを 付けて話し合ったので、アッと言う間に 甲は馬鹿檀那の大宿六に 三重子はダメ女の大鬼嫁にされてしまいました。互いに離れているので 意思疎通がなく 周囲の者も囃しHayasi立てるので「恨み殺してやりたい」と 思う程に 堪られなく 憎悪を 高めたのです。二人は 恨み釘の準備をし 丑年(昭和36年 1961年)丑の月丑の日(土用の丑の日)丑三つ時に 提婆宮に向かうと、バッタリと 神木の前で 鉢合わせHati-awaseしました。互いに丑の刻参りを邪魔した事で 恨み釘神事は 成就しません。張り詰めた心は 一瞬にして 空虚となり、互いに馬鹿らしくなって 笑い出しました。三重子が「なんじゃ そのすばろうしいNariぁ 死装束ときたら御幣Goheiぇ繋ぎtunagi合わせたようじゃ  針で指ぅ刺したんじゃろう  血だらけじゃが  化粧ときたら口裂け女のようじゃ  第一男の怨みぅ 提婆様が 聴いてくれるもんか」と 言うと、甲は「その藁人形ぁ 束子Tawasiに 使うつもりか  五寸釘にゃぁ 釘頭Tyouduがあるじゃぁないか  ほんに 裁縫にゃぁ 苦労した 恨み言葉ときたら  神様も読めん 下手さ加減じゃ  化粧道具ぅ買いに行った時にゃぁ ほんに恥ずかしかった  つまらん事で喧嘩ぁした  離れてみてよう解った  やっぱ わしにゃぁお前が必要じゃ」と 言いました。「ほんに  お前様の彫った人形は うちにそっくりじゃ  うちのどんな細けぇ所も 覚えていてくれんさった  離れてみて解った うちにゃぁお前様が必要じゃ」と 三重子も言い、手を取り合い 寄り添いながら 円城寺を 去 ってゆきました。円城寺の和尚夫婦は 嬉しそうに 二人の後姿を 見送りました。そして二人は なりなりてなりあまるところと なりなりてなりたらぬところを 補い合って 子を三人儲け 幸せになり 暮らしました。甲の彫った彫刻物に 三重が詩を書いた 沢山の作品が 残されました。それらは あちこちの農家の玄関に 飾られています。「語り部の叔母の体験談」を基にした物語     セラう:うらやましがる なりなりてなりあまるところ:長所    なりなりてなりたらぬところ:短所  平成24年(2012年)3月10日

 


破談の訳を知りたい Want to know the reason of your breaking off an engagement

ある庄屋の息子が 年貢を納めに 城下町にやって来ました。大役を果たし 急いで村に帰ろうとしていると、娘が 岡山城近くの旭川岸に 気怠kedaruそうに 腰を掛けて「1掛け2掛け3掛けて 4掛け5掛け6掛け7掛け8掛け 橋の欄干Rankan腰掛けて 遼haruka向こうを眺むれば 178の姉ちゃんが 筍かかえて泣かしゃんす 何も悲しゅはないけれど 七くや淡竹Hatiku)孟宗竹Mouspudake 孟宗竹まで生えたのに 私のにや 真竹が生えぬ トコドシコメ ドシコメ」と 相撲甚句を 歌いながら 溜め息を頻りに 漏らしていました。男は 顔立ちが整った 梔子kutinasiの香りが漂うような 色白の娘を 見て、胸をときめかし「どぎゃぁしてそねぇに 憂鬱Yuuutuそうなんじゃ」と 声を 掛けました。娘は「奉公していたお店Tanaの若旦那様と 縁談が決まりかけたんに 逃げられたんじゃ」と 弱々しい声で答えました。「そぎゃぁに別嬪さんなのに 何故で 破談になったんじゃ」と 尋ねると「その訳ぁ申し上げられません」と 答え、俯くutumukuばかりでした。男は この娘の秘密を 知りたくなりました。「そんなら 私の家で 雇って上げましょう」と 言って 娘を下働きにさせました。良くできた娘で てきぱきと働き 非の打ち所が有りませんでした。安兵衛は 完璧すぎる娘に 何やら恐ろしさを感じ 取りますが 秘密を知りたいと 思う気持ちは 日に日に増して 心にもなく「お前が好きじゃ」と 言ったのです。その日から娘は 喜び情熱的になりました。情熱過ぎる女には 男は尻込みする物で 偽りの恋は 嫌悪に変わり「結婚の準備ぅするんで買い付けぇ行く」と 偽って 派手な紋付を着て 当てのない旅に出ました。男は 円城村の提婆宮は 呪釘Noroikugiを 打つと 呪われた者を 使わしめの狐が 殺してくれる事を知りました。「あの疎ましいutomasii女と 縁を切るにゃぁ この方法しかねぇ」と 思い 呪釘を 打ちました。娘は いつまでも 戻らない男が 気になり、安兵衛の後を追う事に しました。娘が 道行く人に尋ねると「派手な紋付の者はそっちへ行った」と 教えてくれたので 自ずと 円城村に 辿り着きました。提婆宮を訪れ 神木を見ると 恨み釘が 打たれていました。「裏切られた」と 娘は 目を血走らせ 憤怒の形相をして 男を探しました。その姿を見た村人は「美しいあの娘ぁ 又 阿修羅Asyuraになった  けぇから地獄にでも 乗り込むんか」と 噂しました。当然 安兵衛も この噂を聞きました。安兵衛は「娘の激し過ぎる情熱ぅ 知りゃぁ 妻に迎え入れる者 等いねぇ   娘に恨み釘ぅ打たれる」と 思い逃げ出しました。それを知って 娘は追いかけます。

草履Zouriは 擦り切れ 衣服を乱し「うちを捨てないで」と 叫んで追いかけます。その声を聴いて 男は「人違いじゃぁ」と 言いながら 小森の川戸に逃げ込むと 運良く船が 止まってい て 船頭が  煙草を 吹かしていました。男は「般若じゃ 鬼女に追われておる  船を出してつかあせぇ」と 頼むと、船頭は「又か」と 言うと 快く岡山城下まで 逃がしてくれました。しかし 娘は「卑怯者」と 泳いで追いかけて来ます。とうとう 娘に追い付かれました。「許してくれ  お前に嘘ぅ付いた  お前が なんで 縁遠いんか知りたかっただけじゃ」と 頭を地面に擦り付け 謝りました。すると 娘は「ふん  そうなん 女の腐ったような 詰まらん男に 又 夢中になった  馬っ鹿みたい」と 言って川のほとりに 腰掛け「1掛け2掛け3掛けて・・・・・トコドシコメ、ドシコメ」と 歌い 気怠そうに 溜め息を付きました。すると、[どうして そんなに 憂鬱そうなのですか]と 旅の男が 声を 掛けて来ました。「三谷野呂の百怪談」  平成24年(2012年)3月10日