小森 白鷺温泉 Sirasagi-onsen   "heron cold mineral spring"


小森温泉伝説

小森温泉の湯元で 鷲が傷を癒し飛び去るのを見て 発見されたとされます。近くの「経ブロ山」に 古くから薬師堂が 龍ことからも 治病の霊泉であったことが 予測されます。小森温泉|岡山県加賀郡吉備中央町小森|池田継政の隠れ湯 (fc2.com)

鷺の巣温泉伝説

この地方の伝説によると 鷺の巣温泉は 白鷺が この泉で 傷を治していたのを見て 傷の治癒に効果のある温泉であると 気付いたとされます。According to local legend, the Sagi-no-su “heron's nest” hot spring was noticed when a white egret healed wounds in this spring and realized that it was an effective hot spring for healing wounds

湯場の冷泉伝説

吉備津彦命が  竹荘の 荒神山に  陣を 張り  鬼共を  攻めてきました。鬼は 強く、昼の戦いで全身が 傷付いても  翌日には  傷が回復するのです。不思議に思い  吉備津彦命は 偵察を送り込み調べさせると、 鬼達は 鷺の巣温泉の湯場で 湯治していました。 吉備津彦命は 神力で  温泉を 冷泉にかえました。「賀陽町史」 

砥石岩伝説

吉備津彦命が  竹荘に来ると  鬼達は  傷付いても 刀が刃こぼれしても  翌日には 傷が癒え 刀は 鋭利になっていました。調査すると 鷺の巣温泉で 傷を癒し、川の石を 砥石代わりにして  刀を 研いでいました。吉備津彦命は  腹を立てて  温泉を  霊力で  冷泉に変え、鬼退治に  成功しました。「サキノスの村人より口伝」 

鼓岩伝説

鼓山の 添山の 小高山の麓近く 北緯34度49分9秒東経133度48分46秒に鼓岩があります。 鬼の城戦の折り 留霊臣命Tometamaomi-no-mikoto(桃太郎物語の雉)は 鼓山(広面広奥の大高山)に 陣を 張り 温羅の鬼神じみた戦いを 見て 怖気付き 敵前逃亡を試みました、それを見つけた 鼓彦命は 影を見せずに追 いかけました。逃げても 逃げても 鼓の音は 追いかけて来て、ついに留霊臣命は 楽々森彦命(桃太郎物語の猿)に 逮捕され、鬼の城戦の最前線に 引き出されて 温羅と直接対決させられました。凄まじい戦いの末 温羅と相打ちになりました。この時 鼓彦命は 留霊臣命を 追い詰めた妖鼓を 大高山Ootakayama(鼓山) の麓(小高山Odakayamaの中腹)に 置き忘れると、鼓は 大岩となり  鼓岩と呼ばれました。「鯉喰神社の案内人口伝」

風穴伝説

風穴は 広面の風神社の南東砂防ダム東岸(小高山の麓)北緯34度49分9秒東経133度48分42秒にあります。遠い遠い昔 崇神天皇Sujin-tennnouの時代に、四道将軍Sidou-syougunn/Yotu-no-miti-no-Ikusa-no-kimiとして五十狭芹彦命(後の吉備津彦命が 面影道Omokage-mitiの鬼の平定に やって来ました。加夜国の鬼達は 激しい風を 起こす不思議な 妖術を使い抵抗しました。将軍の部下である 鼓彦命Tudumihiko*-no-mikotoが 鼓をポンポンと打つと  風の神の志那津比古命Sinatu-hiko-no-mikotoを祀れば 妖術を破る事が できると占なえました。そこで雨坪の山麓に 大和国生駒郡の龍田神社の御霊を 分霊し 雨坪神社の小祠(雨坪神社)を  建てて、級長津比古命 級長津比女命Sinstu-hime-no-mikotoを祀ると 大風は鎮まり 鬼達は 退治されました。雨坪から 開拓し始 め広野を耕地としたので この地を 広面と 名付けました。それからは 広面は 風災を鎮め、害虫を駆除して年穀豊穣の霊験に恵まれていました。「手づくり ひろも今昔物語」また 鼓彦命が あるいは 吉備津彦命が 開拓した処を 鼓田と呼ぶそうです。雨坪神社は雨坪岩の脇に祀られていました。雨坪岩には 拳大の開口部を持つ 深い穴が 風穴に 向って 掘られています。

 高田姫伝説

楽々森彦命の娘の高田姫は 見目麗しく、賢明で、人の心を 癒す霊力を 供えていました。吉備津彦命五十狭芹彦Isaseri-hiko-no-mikoyto)が サギノス戦争で 温羅の残党に 不利となり 悩んでいると、追い打ちをかけるように 愛する妻の百田弓矢比売命Momoda-yumiya-hime-no-mikotoが 亡くなりました。心落ちして 戦争どころではありません。それを見かねた 軍師の鼓彦命は、吉備津彦命を 鼓山の鼓岩に 案内し、心を鎮めるように 勧めました。吉備津彦命が 鼓岩の上に立ち、瞑想すると 高田姫が 瞼に浮かびまし た、すると 心が静まり、冷静を取り戻すと 次々と斬新な 戦略が 思い浮かびました。鼓彦命の勧めで 高田姫を 後妻に迎えると、サキノス戦争は 一気に 有利に傾きました。「加茂川町史」「村人口伝」

 

サギノス戦争 Battle in Sagi-no-su

昔、引撫Hikinade村の猟師が 兎取りの罠を仕掛けると、白鷺が掛かりました。通りかかった二川村の百姓が、可愛そうに思って 助けてやりました。白鷺は お礼を言って、付近の水溜りに入って 身体を休めました。次の日、気になって見に行くと 元気になって 飛び立つところでした。

引撫の猟師は 二川の百姓が 罠に掛かった鳥 を逃がした事に 激しく怒って、百姓を がまちゅうどやすと 百姓は 怪我をしました。百姓は 白鷺の取った行為を 思い出し、あの水溜りに 入って見ると 温かかったのです。暫く 浸かって休むと、痛みは 和らいで来ました。白鷺は Enjyu-Nikawaを  運んで来てくれ 創口に 塗ると 血が止まりました。次の日も 水溜りに 浸かり体を休めると、いつもなら 膿んでしまうのですが、創口は 綺麗なままでした。ふと 足元の痒みが 薄れている事に 気付き 指間を調べると しつこかった水虫が 改善していました。そして 何日か 経つと 傷も 水虫も 治りました。「小森の山裾に 良い湯が出る  一浴れば 痒みが止まり 傷も治る」との噂が 広まりました。井戸を 掘り 建屋を 建て 湯治場を 作りました。時は 過ぎ、吉備津彦命が 大和朝廷の命を 受け 面影道の征伐に やって来て「加夜国Kaya-no-kuniの鬼が 盗みを働き 婦女子を辱めhazukasime 村人を 苦しめている」と言いがかりを付け 攻めて来ました。朝廷軍が 敵を 傷つけても 住民達は 直ぐに 傷を直し、戦闘に 復帰するので「さては鬼共、鬼ヶ嶽温泉の戦いの時と同じように どこかで湯治でもしているのだろう」と思い、地元出身の楽々森彦に 探索させました。鬼共は 鷺の巣温泉 で 湯治ていたので、月の原に 湯治場を造りました。双方、湯治しての戦でしたが、自軍の兵の武器は 刃こぼれして直ぐ使い物にならないのに、鬼達の武器は 刃こぼれしても直ぐに 切れ味が戻るので 次第に 押されて来ました。吉備津彦命が 偵察隊を送ると、鷺の巣温泉の湯を掛け 鬼達は 宇甘川の石で 刀や槍を研いており、湯を掛ける度に 武器が 輝き増して行くのです。どうも 鷺の巣温泉の熱い湯が、金属疲労や 金属の傷の復活にも 効果が有るよう です。報告を 受けた吉 備津彦命は、占い師で あり 軍師である 知恵者の 鼓彦命に  相談しました。鼓彦命 は 吉備津彦命を 雨坪神社 に誘い 心を鎮め 風神社 の穴の前で 鼓を ポンポンと打ち鳴らすと、その音は 風穴の洞に流れて行き 大音響に 増幅され、どこが 奥底とも解らない程深い 洞窟を 揺るがせました。すると 大地の下は ひび割れて 加夜国の温泉水脈を 破壊し 真水が 混ざって 冷泉になりました。即ち 月原温泉Tukibara-onsen 鷺の巣温泉 小森白鷺温泉 湯の瀬温泉の湯が 冷泉になりました。予期せぬ結果に 驚いた 鼓彦命は 吉備津彦命に  月ノ原温泉を 冷泉に変えた事を謝罪しに 馳せ参じました。吉備津彦命の労いnegiraiを受け、冷静さを 取り戻し 以前に 一番大切にしていた 鼓(留霊臣命の敵前逃走を防いだ鼓) を風穴の近くの山の中に 置き忘置き忘れたのに 気が付いて 取りに戻って見ると、鼓は 鼓型の巨大な 対の 大岩に なっていました。住民達は この異変に 落胆し 士気を失ったので、吉備津彦命の率いる朝廷軍が 勝ち 楽楽森彦は 吉川城に入りました。   「上記伝説を基にした物語」

槐膠 槐膠:旧加茂町の槐膠Enjyu-nikawaは 岡山藩御用達になった事があります  槐の木に 傷を付けて、浸み出して来た樹脂を 槐膠と言います 高血圧に 効くと 言われます  乾かした物には 止血効果があります  実は痔の薬にします「加茂川町史」   鬼ヶ嶽温泉:美星町矢掛町 北緯34度41分46秒東経133度35分35秒 鬼が 吉備津彦命に攻められた時 湯治し戦ったとされます.  現在 この温泉場は 閉鎖されています。    面影道:山陽道と山陰道 小森温泉:冷泉に成ると湯治の人気は下火となり、温泉場は次第に寂れて行きましたが 享保17年(1732年)岡山藩主の池田綱政が 領内の厚生施設として 1万人の土工と2千数人の木工を 使い 小森白鷺温泉を大改造し、一般人の長寿を願い 大医王という 治療施設も作りました  冷泉は この工事で 暑い温泉に 蘇ったので、それを記念して 碑を建てました。記念碑には 湛湛神井Tantan-Sinsei 炎液惟霛Eneki-Kourei 病魔晦跡Byouma-Atokuramasi蒼生康寧Sousei-Kouneiと書かれました  岡山藩の隠し湯として 利用されていましたが、鼓彦命の怨念か 鬼達の怨念か、何が 原因だか解りませんが、次第に 湯温は 下がって行き 再び冷泉になりました  昭和になり 享保の改修を 夢見て改修しましたが、湯温は 変わりませんでした   それでも 湯元には 白鷺が 度々訪れています     湛湛神井 炎液惟霛 病魔晦跡 蒼生康寧:神が 宿るかと 思われる湯を 満々と湛えています 炎のように 熱い湯は 霊そのものです 病魔は 姿を晦Kuraまし 退散します  冬の間 密かにしてい た草木の緑は 春になり萌え出すように 健やかさを 取り戻し 健やかさを 保ちます     小森温泉湯元:小森湯元 北緯34度54分57秒東経133度48分9秒    小森温泉旅館:小森湯元 北緯34度55分2秒東経133度48分7秒    引撫:豊岡下 北緯34度55分22秒東経133度47分18秒付近    二川:小森 北緯34度55分10秒東経133度47分56秒付近    元温泉・鷺の巣温泉湯本屋旅館:竹荘サギノス 北緯34度51分42秒東経133度41分29秒    月ノ原温泉鬼楽荘湯元:上竹 北緯34度51分25秒東経133度4134度54分52秒 砥石岩:竹荘砥石場砥石岩 北緯34度51分2秒東経133度41分38秒近く 天地が返しされています 風神社・雨坪神社:広面廣奥 北緯34度49分18秒東経133度48分35秒 風穴:広面広奥 北緯34度49分8秒東経133度48分42秒    鼓岩:広面広奥 北緯34度49分9秒東経133度48分46秒    吉川城:現在は位置は不明です  西苅尾の出城崇神天皇が 金毘羅神社を建てました)或いは 吉川八幡宮 北緯34度49分12秒東経133度45分7秒の地 或いは菅野城と想像されます。八幡宮の近くに有る高塚古墳楽楽森彦命の墓とされます。    吉備津彦命:五十狭芹彦命Isaseri-hiko-no-mikoto第2代吉備津彦命大吉備津彦命を 一般には 吉備津彦命と言います  岡山の桃太郎伝説の桃太郎の桃太郎の元型(モチーフ)の人です    楽楽森彦命:製鉄技術者で  足守 吉川の領主です 岡山の桃太郎伝説の猿の 猿の 元型の人です   鼓彦命:吉備津彦命の部下で、鼓を用い 占いをします 吉備津彦命が 加夜国との戦いに苦戦した時、鼓岩に立ち 心を鎮め 作戦を立てたと 伝えられます  平成23年(2011年)8月17日