雨乞いの神仏 雨乞い殉職者の碑

吉備中央町は 雨の少ない地なので 旱魃時には 雨乞い祈祷が しばしば行われました。滝等水乞い」場には しばしば神変大菩薩や 龍神等が祀られています。旅の僧等が 雨碁石 入定死する事が あったようです。 

雨乞供養仏神

 上田西 岩倉山の八大龍王 Eight Great Dragon Kings in Iwakura-yama mountain 加茂市場 大山参りの犠牲者の供養の碑 Memorial monument for the victim during Daisen-mairi 杉谷 百々滝の山上大権 Sanjyou-Dai-Gongen in DouDou water fall 広面 雨坪岩 Amatubo-Iw 三谷 陰地の一心紳門碑 Monument of Issin-sinmon in Onji 北 船越様 HUnakosi-sama 西 超仏羅様 Tyoubura-sama 

 

上田西 岩倉山の八大龍王 Eight Great Dragon Kings in Iwakura-yama mountain

岩倉山のセンター広場の北端、管理炊事棟の北に 八大竜王碑が 祀られています。龍王は 水神で 雨乞いの神々です。岩倉山は 現在岩倉公園(北緯34度52分55秒 東経133度48分25秒)になっています。円城道の駅かもがわ円城から 上加茂に向かい 429号線を 南下すると 右手(鍋谷川方向・目立ちません)に 案内標識が有り 429号線に沿うような 登山道が 有ります。町営団地円城高木田316-15-2番地 円城髙木田316-1-2番地等)と下高田摩利支天王社の間の登山道を 道なりに登ると 右手にピクニック広場が あります。  平成28年(2016年)4月13日

 

加茂市場 大山参りの犠牲者の供養の碑 Memorial monument for the victim during Daisen-mairi

加茂総社からのびのび小学校に向かう道の 加茂総社の直後の荻坂の途中 加茂市場宮ノ前1576番地の南南東約90m 北緯34度51分53秒秒東経133度45分33秒に 供養碑があります。大山参りの犠牲者の供養の碑です。南無阿弥陀仏と読めます。 If you climb along Takebe-Kamoitiba line from Kamo-soujya/shrine about 100m toward Nobinobi elementary school , you will find  the memorial monument for the victim on the way Daisen-mairi “visiting Daisen in Houki province to pray for rain or to trade cattle or horse   in Miya-no-mae    The characters of Namu Amida-butu I will devote myself to believe the Buddha with bottomless koumyou (symbol of wisdom and mercy) and immeasurable life span are engraved on the surface   平成24年(2012)4月30日

 

杉谷 百々滝の山上大権 Sanjyou-Dai-Gongen in DouDou water fall

49号線(高梁旭線)の 吉備中央町杉谷と 美咲町江与味の町境 北緯34度56分31秒東経133度45分57秒に 祖母谷川が 流れ 百々滝があります。杉谷古皆地466番地の東北東 約240mの所です。49号線の山の手の岩の崖上に 水神を祀り、やや坂を下った左に 山上大権現神変大菩薩が 祀られています。ここでしばしば 杉谷や江与味の人達は 旱魃時高野神社の神主重岡神社の神主が兼任)を招き 水乞いをしました。    Sobotani-gawa/river  flows at the boundary line  between Sugitani Kibityuuou-tyou/town and Eyomi Misaki-tyou where is the wayside of Rout 49    Sui-jin/god of water is enshrined on the rock in the mountain foot, Sanjyou-dai-gongen "Jinben-Dai-bosatu” is enshrined on the left side on Rout 49 where you go down the slope a while    Sugitani and Eyomi's  peoples begged often for rain during drought    平成29年(2017年)3月29日

 

広面 雨坪岩 Amatubo-Iwa

崇神天皇の時代 四道将軍の一人の吉備津彦命の部下の臣 鼓彦命が雨坪山の山嶺に 雨坪神社の小社を建立し、志那津比古命と志那津比女命を勧請しました。後 朱雀天皇の承平5年(935年)に現在の地に奉遷(鎮斎)して風倉大明神としました。明治2年風神社と改められ、明治45年6月境外末社八幡宮を相殿として合祀しました。昭和11年11月神饌幣帛料併進神社に指定せれました。https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/ 吉備新線岡山賀陽線 72号線)吉備高原都市から 岡山市に 向かいます。岡山市古川集落の北から 鼓山に入る 山道を入り 途中右に折れて 休耕田を北に向かう道を 選べれば 近いのですが、酷く地肌が荒れていて、藪も茂っているので 入り込まない方が良いでしょう。岩の穴に龍の子が住んでいて、危うく 雨乞いの犠牲になりかかった とされます。雨坪の田の北緯34度48分34秒東経133度48分48秒辺りに 藤の蔓つるを撒いまいた巨岩があり、その大きさは 短5約m 長径約6m 高さ約5mで、北側に丸い穴風穴での鉱山生産、鉱山安全を祈願する御神体であったのでしょう)があります。この岩の前に 雨坪神社の祠があったと 言われますが、現在は 雨坪神社の祠は 跡形も無く 風神社の摂社と なっています。大正13年(1585年)この辺り一帯は 酷い旱魃Kanbatuだったので 風神社の神輿Mikosiをここに運び、近くの山上で 薪を燃やして雨乞いしたと言われます。「手づくり ひろも今昔物語」「村人口伝」 風神社と天坪神社:北緯34度49分18秒東経133度48分35秒 雨坪岩:北緯34度48分34秒東経133度48分48秒 盃状穴が銅山の試掘鉱風穴に向け彫られています  鉱山の安全と生産性を祈ったのでしょう   風穴:北五34度49分9秒東経133度48分42秒     平成23年(2011年)8月23日

 

三谷 陰地の一心紳門碑 Monument of Issin-sinmon in Onji

三谷野田尾93番地から 北に登ると 丁字路に成り、左手の奥に 円墳があり 墓石造群が  祀られています。その中の中心的な石碑に 一心神門と 刻まれています。その後側に 石組みの祠が 有ります。村人が「いつの事か分りませんが、陰地を 訪ねて来た僧侶が 旱魃で悩む村人のために 自らを人柱にして 雨乞いを 三谷城の聖地で 祈祷しました。その僧侶の供養碑が これだ」と語りました。 If you climb toward the north from 93 Mitani-Notano-o to the T-junction, you will find a round burial mound on the left    Stone-works such as tombstones are enshrined on the mound Among them, the characters of Issin-sinmon is engraved  on the main stone monument   There is a stone shrine or temple on the back side  A villager told me that 「I do not know when it is    A monk who came to Onji,  prayed for villagers suffering from drought, made himself a human sacrifice, and begged for rain at the Holy land of Mitani-jyou/castle  This is the monk's memorial monument」 一心紳門碑:北緯34度54分48秒・東経133度47分50秒     平成24年(2012年)12月22日

 

 船越様 Mx.HUnakosi

484号線沿いの妙仙寺から  総社賀陽線(57号線)に沿い 南西に 妙本寺の西を過ぎると 1Km程で 槇谷北線(472号線)と 交差します。槇谷北線を 南東に80m程進と 尾坊田169-3番地で 四差路と なります。山根3203-1番地の北の分岐を 東に420m(途中から無舗装)程進むと 丘の頂上にで、墓場があります。墓場より少し離れた所に 祠が建ち  船越様と呼ばれる 輪塔が 祀られています。船越様(みはか堂)については「大和の西の山根の上に 修験者来て 民の難儀を救おうとして、干し柿と鈴を 持って 穴に入って 23日だか48日だか お祈りしました  修験者の願いに 沿って 生き埋にされると 雨が降った」と 言い伝えられます。修験者の供養塔は 後に船越家の墓場に移されました。  平成27年(2015年)11月日

 

西 超仏羅様 MR.TYOUBURA-SAMA 

旱魃Kanbatu続きの吉備中央町西に 荒行を積んだ修験者がやって来て、村人に 生きる事の大切さと 悪行をしてはならない事や 希望の本質を 諭しました。村人の信頼を得ると 大きな槇の木Maki-no-kiの下に 穴を掘り 鈴を持って入り「鈴が鳴り止んだなら わしごと 穴に埋めれば 雨になる」と 宣言し 29日間 水だけを頼りに 鈴を振り続けて 村人のために 人柱となって 雨乞いをしました。鈴の鳴Otoが止んだので 穴を覗くと、行者は「早う埋めろ」と 言うので 生き埋めにしました。すると 雨が降ったので 村人は感謝し 修験者を超仏羅様と呼び、祠を建て祀りました。「賀陽町史」「西の祠を示した村人より口伝」「吉備中央町の民話(1)」 人柱の祠・超仏羅様:総社賀陽線(57号線)が 左に曲がる十字路となる辺りの賀陽種井線(306号線)を少し進み、西山神718番地付近で 右上を見ると北緯34度47分23秒・東経133度40分49秒の竹藪の隣に 槇の大木が見えます。その根元付近に壊れかけた祠があります。  平成23年(2011年)8月10日