高富 五明の地蔵菩薩 Statues of Dizou-bosatu in Gomypu


五明に 厳格な性格の男がいました。男には 可愛がっていた孫娘が いましたが、父無仔Tetenasi-goを 孕みhara-miました。男は ふしだらな 孫娘に怒り 田に立てた柱に 娘を縛り 牛の角で 突き殺させました。村人は 突き殺された 母子を悼み 遺骨を 甕に入れて 野に葬りました。時が 過ぎこの地に 草地松三郎が 住み付き 一族は 繁栄しました。ある時 一族の住む集落の道から 馬が滑り落ち 岸を壊しながら やっとの事 這い上りました。すると 甕が 露出ましたしたので、松三郎は 古老の語る哀れな母子の遺骨であろうとして 地蔵を立て祀りました。松三郎が死ぬと 一族は慈悲深い鼻祖を讃えるため 供養塔を 地蔵の脇に立てました。「五明の村人より口伝」

 

五明の悲恋 Tragic love romance  in Gomyou

昔 昔。五明の村に とても厳格で 意地っ張りの男が 住んでいました。一人孫娘と 二人暮らしをしていて、目に入れても痛くない程に 可愛がっていました。孫娘は すくすく育ち 容姿端麗で 温厚な娘に育ったのです。孫娘は 加茂大祭で知り合った若者と 恋に落ちました。「男女七歳にして席を 同じゅうせず」との 風潮の時代 大人の恋をしている事を 祖父が 知れば、厳格な祖父に 二人の中は引き裂かれるに決まっているので、内緒にしていたのです。処が 子供を 目出度く 授けられました。次第に大きくなるお腹を見て 祖父は 孫娘が自分の眼を盗んで ふしだらな行為をした事を知りました。祖父は 相手が 誰か聞き出そうとしますが、祖父が その人を知れば どんな事をするか解らないので 娘は「誰だか解らない」と 答えました。それを聞いて「誰の親とも解らない父無子は 産ませない  堕胎しろ。」と 迫りましたが、娘は 愛する人の子を産みたくて 拒み続けたのです。祖父は 一度 言い出した事は 絶対に引込めない 頑固者でしたので、世間体を考え 自分の手で 人知れず娘を 堕胎させようと考えました。夜中を待って 人気のない田たん圃ぼに 孫娘を連れ出し 杭に縛しばりり付け、牛の頭で腹を ジンワリと 押させました。人知れず 堕胎させるには この方法しか思い付かなかったからです。処が 普段は おとなししく 従順な牛でしたが、孫娘の腰巻のひらめきに 興奮し 突然 孫娘に角で 突きかかり 親子諸共 刺し殺したのです。祖父は 浅はかな知恵を 後 悔しましたが  後の祭りです。娘を 家に 連れ戻し 涙するばかりです。可愛い孫娘を い つまでも 傍そばに 置いて置きたくて、葬式を しませんでした。黄泉み国Yomi-m-kuniにも 天国にも 行かせる訳に ゆかなかったからです。祖父が死に 村人達が 家を整理すると 開かずの間があり 大きな甕に 孫娘の遺骨が有ったので 野に葬りました。時が過ぎ 墓標が失われた頃、この地に どこからかあの娘を訪ね草地松三郎が やって来て 住み付き一族を増やしました。

ある時一族の住む集落の道から 馬が 滑り落ち 岸を壊しながら 足掻き 這い上りました。雨で 柔らかく崩れやくなっていた岸は  激しく崩れ 遺骨の入った甕が 露出して来たのです。松三郎は 村の古老に この甕について尋ね 悲劇の娘の事を知りました。牛に突かれた哀れな母と胎児の遺骨であろうと察し こつこつと地蔵を彫り出しました。松三郎は「わしが死んだら、わしの墓に この地蔵を立ててくれ」と 遺言して亡くなりました。妻は 供養墓を 地蔵の脇に立てました。妻は「本真はこの哀れな娘を 愛していたんでしょう  あんたに尽くした私に 感謝しているなら 頭を下げなさい」と 地蔵の頭を強く抑えると そのはずみで 首が折れました。それで 地蔵の首は 折れているのです。そして松三郎の子孫は末永く繁栄し、松三郎を 鼻祖と 崇めました。「五明の村人より口伝」を基にした物語  草地松五郎鼻祖の碑: 五明の加財神社の近く 高富シンヤ628番地の脇 北緯34度55分10秒東経133度48分57秒に立ち、台座の右側面に文化八年 (Kanoto未Hituji二月〇日と刻まれています。 平成25年(2013年)6月15日