小森 稲荷神社の荒神子 Koujinko child who is granted  excellent ability by Miraculous god in Komori-Inari-jinjya shrine


小森の飯盛祭は 稲荷神社荒神社の当家祭りです。一種の新嘗祭Niiname-sai(収穫祭に近い祭り)であり 荒神祭りです。山盛りの赤飯が 本膳 に出され 完食する事が 求められますが、この儀式を 行った家庭 あるいは 若いご婦人が 儀式を 全うすると「荒神子Koujin-ko」と呼ぶ 神童を授かるとされます。昔 小森の飯盛り祭りが  珍しいと言うので、見物に来た 荒神の縫い包みを 小物の根付けに 着けた綺麗な女の人が、祭の肝煎Kimoiri(世話役)に勧められて お祭りに 飛び入りしました。早速 美味しそうなお赤飯が 一つまみ程 出されました。「なんと けちん坊な お祭りなんでしょう  せめてお茶碗一杯位に して欲しいな」と 思いながら食べました。少しのお赤飯だったので 物足りず、勧められるままに お代わりを 頂きました。今度は お茶碗に 擦り切れに 盛られていました。「何だ  普通じゃぁないの  何で回りの男達は ほんの少しのお赤飯を ゆっくりゆっくり食べるのかしら  男らしくないわね」と 思いながら食べ終わると、直ぐに お代わりを 勧められ、茶碗を 置く間もなく お代わりが 注がれました。肝煎が「お代わりぁ 必ず食べる 仕来りじゃぁ 残すと 不幸になる  残さず食べなされぇ」と 言うので、やっとの思いで 全部食べました。食べ終わり、パンパンのお腹を 摩っている隙に 又 有無を 言わさず お代わりが 注がれました。もう頭の中は 混乱してどうして良いか 解りません。しかし 神聖なお祭りらしく 男たちは 酒をガブガブ飲み、お代わりのお赤飯を 味わいながら 食べ続けるので 周りの人達に 合せるしかありません。止めるに 止められず、死ぬ気で食べました。すると隣に座っていた氏子の人が「大盛Omoriぅくだされぇ」と 言うと、天井まで 届く程に 盛られ た お赤飯が出 されました。

「これを食べりゃぁ 仕舞いじゃ」と 気の毒そうな顔をして、その女の人に お代わりの終わり方を 教えてくれました。もう 大盛等 食べられる状態ではありません。「食べないとどうなるの」と 隣の 親切な氏子に 尋ねると「荒神様に 祟られて お馬鹿が 産まれるかも知れん 食べ切れば 物凄ぇMongee 優秀な 子供を授かる  そんな子ぅ 荒神子と 言うんじゃ」と 答えてくれました。この女の人は「不妊症と 医者に言われているから 関係ないわ でも荒神子には 興味あるわ  もっと早く教えてよ」と 不満そうな 顔をして、お祭りが 終わる頃まで 吐き気を堪えて 食べ続けました。やっと 食べ終わり祭り が終わると、余りに不健康で 人権無視の無茶振りに 怒って プンプンして 帰って行きました。ところが 翌年 荒神様のお杜Huroから 子守唄を 歌う声が 流れていていました。翌日に あの親切 な氏子の者が お参りし「あの時の 荒神子の縫い包みの お供え物が 有ったぞ  あのご婦人じゃ」と 言うと、皆は「最近は 若い衆が おらんようになって お祭りの仕来りが 崩れて来とったが、こぎゃあな嬉しい事があるんなら、昔通りのやり方で お祭りをしょうや  来年が楽しみじゃのう  また別嬪Beppinさんが 来たら 祭りに 引き込もうや」と 語り合いました。「小森 湯所 黒田氏より口伝」  平成の終わりごろには この行事は 閉鎖されましたが 令和4年には行われました・

小森湯所稲荷神社:小森温泉の下加茂寄りの道を 育麦庫Semikura方向に 廻り、最初の交叉点を 左に進み 坂を登ります。育麦倉に行くまで の半行程の左上 北五34度54分59.秒東経133度48分20秒に 赤い鳥居を 供えた 稲荷神社が あります。手前の祠が 荒神社で、中の祠が 稲荷神社本殿で、最奥の祠が 秋葉神社です。  湯所:小森16・247番地等  城山上:小森18・43番地等 城山下・城山下タ:小森28・51番地等 二川向:小森42・52番地等  森清:小森5番地     平成24年(2012年)4月6日