祭神の不明な神社


この項目では 祭神が 解らない社 等 著者が 何も考察できない社について 取り扱いました。


上田西 冠者河内の不明の社

下土井下加茂線(372号線)沿いの松尾神社から 東に向い 道なりに南に360m程 進むと 冠者河内の地神や常夜灯が 上田西冠者河内442番地の南約 60m程の所に 立っています.冠者河内の古代遺跡があったと思われる原には 径1.5m程の丸い土盛があり、松尾神社の神輿置きと思われる石組みがあります。古代遺跡の発掘後のような構造は ありません。原の西側隣地 北緯345321秒・東経1334746秒に一宮社が 建っていて 樒が生けてあったようですが、抜き捨てられていました。神様は お留守です。 令和5年(2023年)1月17日

上田東 屋敷回の祭神不明の社 

下土井下加茂線沿いの松尾神社から120m程東に進むと 道は南向きに変わります。90m程南に進むと 変則的な4叉路があるので、東に向く分岐を 90m程進むと X状の4叉路があります。南に 60m程進んだ所の東向きのY字路の道向 上田東屋敷廻396番地の隣地 北緯345325東経秒 1334754秒に二宮社が建っています。2厨子とも 神様は お留守ですが、新しい注連縄が張られ お餅等が 供えられています。 令和5年(2023年)1月4日 

 

上加茂 原の祭神不明の社

429号線沿いのコメリハード&グリーン加茂川店の北から 西北西に向かう分岐を45m程 進むと 奥谷川を渡り 原公会堂が 建っており、近くに 立派な 常夜燈が 立ちます。原公民の西の三叉路を 南東に45m程 進むと 西側に 上加茂原430番地があります、その北の崖上に 小社が建っています。個人で 祀られる神社ののようにも 見えます。家主の方に お会いできませんでしたので 祀られる 神仏は 。調査していません。 令和5年(2023年)5月17日

 

下土井   八社の不明な社

下土井下加茂線(372号線)幸元大師堂の南 下土井幸元808-1番地から 細田川を渡り  南東々に270m程進むと 下土井八社1052番地や下土井八社1057番地が 八社池の東にあります。その東は Y字路になっており 道に挟まれた所 北緯34度52分57秒東経133度46分10秒に 荒神社が 建っています。荒神社の東奥の山中に  字の刻まれていない 何等かの供養塔と思われる石碑 と祭神が解らない社が建っています。   八社:下土井1030・1092番地等    矢ノ坂:下土井1063・1300番地等    花屋:下土井1134・1155番地等    荒神前:下土井1152番地    八社後口:下土井917・974番地等 岩屋:下土井943・946番地等 禰宜免:下土井986-988番    倉城:下土井1008・1029番地等 小風呂:下土井1015・1360番地等 八社門ノ下モ:下土井1072-1082番地  平成30年(2018年)3月12日

 

加茂市場 小山神社

高梁御津線(31号線)の宇甘川の浜崎井堰の辺り加茂市場清水田929-2番地から 西に登り、加茂市場久方904番地の分岐を 南西に折れ 金比羅神社の参道を登ります。

その途中、加茂市場西袖944番地の手前の東北に向かう取り合い道の奥 北緯34度51分57秒東経133度45分10秒に 日名荒神が建ちます。周辺に有った小神社を集め 参詣を容易にしたそうです。先述の荒神社は 当番だけが参詣し、荒神祭は ここで行うそうです。社内には五社宮が有り、左から順に 小山神社 権現神社 妙権神社 日名荒神社 火雷神社です。小山 権現の地名が、近くにあります。小山神社の祭神は 未調査です。 小山:加茂市場772・877番地等 明現:加茂市場708・800番地等 権現谷:加茂市場754・766番地等 久方:加茂市場669・907番地等 西袖:加茂市場933・976番地等 城山加茂市場888・991番地等 神原梅木坂:加茂市場909-911番地 神原:加茂市場912・939番地等    藤澤加茂市場988・989番地 日南:加茂市場718・742番地等 日南:加茂市場1031番地  平成25年(2013年)1月3日

 

小森 百坂城の淳祷社(仮称)Jyuntou-sya in Komori-Mouzako-jyou

冨津小森中黒1558番地の川向こう 天津神社の南東の山 すなわち、小森城山東平893番地の北西 北緯34度55分36秒東経136度48分4秒付近が百坂城跡で、その頂上 に雨除けの建物が建ち、左から2番目に 荒神社が祀られます。次の社の札には 著者は (崩し字に詳しくありませんが) 浮祷社?或いは淳祷社?と書かれているように見えます。 夏切:小森749・762番地等 百坂:小森778・938番地等 勘ガ平:小森818番地 行森:小森817・1197番地等 城山東平:小森893・895番地 城山:小森894・896-898番地 岑田・峯田:小森965・1021番地等  平成25年(2013年)7月18日

 

広面    岩目 長園神社 Nagasono-jinjya in Hiromo-Iwame

広面岩目2469番地の北の山の頂上の大岩の上に一社宮と五社宮が建ちます。一宮社は荒神社龍王宮です。五社宮の左端の厨子は摩利支天宮で、左より2番目の厨子は祇園神社八社神社沼名前神社Nunakuma-jinjyでもあります。中央の厨子は三寶荒神社で、摩利支天宮 八社神社 愛宕神社 祇園神社 長園神社でもあります。右より番目の厨子は愛宕宮で祇園宮でもあります。右端の厨子は長園神社です。八社神社には 天照大神Amaterasu-oomikamiが祀られ、沼名前神社には 大綿津見命Oo-Watatumi-no-mikoto 素戔嗚命Susa-no-o-no-mikotoを祀ります。長園神社の祭神は解りません。 広面2469番地:北緯34度49分42秒・東経133度48分53秒    モッコク谷:広面1581・1592番地等 登尾・ノボリヲ:広面1589・1675番地等 岩目:広面1612・2853番地等 ミコイワ:広面1661-1663番地 サイノコ:広面1739・1764番地等  平成29年(2017年)4月1日

 

広面 淳霊神社 Jyunrei-jinjya of Huujinjya-in Hiromo

広面奧1269番地 北緯34度49分18秒東経133度48分35秒に建つ 風神社の拝殿の右側斜面に 5社宮が立ちます。左から順に 若宮神社 龍神社 淳霊神社 稲荷神社 雨坪神社です。淳霊神社の祭神は不明です。  供養石元:広面1248・1249番地 神幸場:広面1261番地 ミユキバ:広面1264番地 神納河内:広面1262・1267番地等 奥:広面1268・1760番地等 宮ノ後:広面1271番地 宮ノ上ミ:広面1272-1276番地 ドンド:広面1277・1278番地 カウラタ:広面1292・1293番地  平成29年(2017年)4月1日

 

福沢 福西に建つ荒神社等 Koujin-sya etc. in Hukuzawa-Hukunisi

福沢西集落の西方に幸手橋が 猪木川に架かります。橋の南が福沢寺ノ前1388-1番地で、その北の崖上 北緯34度55分47秒東経133度43分44秒に、福沢西荒神社等の3社が建ちます。いずれが 荒神社であるか解りません。他の2社も いかなる神社か解りません。ヒナホリ:福沢1360・1364番地 日名堀:福沢1361-1363・1365番地等 椿山:福沢1378・1394番地 ツバキ山:福沢1385番地 寺ノマヘ:福沢1388-1390番地 寺ハナ:福沢1393・1401番地等 寺鼻:福沢1399番地 遠部:福沢1413番地 ヲンへ:福沢1419-1421番地  平成29年(2017年)4月10日

 

上竹 月原才の乢の不明社 Syurine in Tukibara-Sainotawa

高梁御津線(31号線)の正田橋上竹土井渡リ1684-2番地の南東の道向)で 宇甘川を渡り 南に約600m進むと左手に 丸尾池が あります。池の北 約30mの所に 北西に向く分岐が有るので 60m程進むと 逆Y字路となるので 南に曲がり60m程進むと 道は 道なりに 南西に曲がります。60m程進むと 左(南)側の崖の上 北緯34度51分9秒東経133度41分9秒に コンクリート製の小社があります。神様は お留守です。近くの古墳と 関係するのでしょうか。 令和5年(2023年)2月2日

 

 山根の神社 shrine in Kita-Yamane

槇谷北線の山根3203-1番地から 「みはか堂」に向かう山道の右土手上に 神社らしき堂が建っています。一宮社の厨子が 3社祀られています。中央の厨子には トウビョウが 祀られると聞きましたが、他の2社の祭神は いかなる神が祀られるか わかりませんでした。付近に大明神と印刷された 段ボールの箱が 朽ちかけていました。みはか堂は この山道を西に進んだ 山の頂上付近の墓場の東奥に建っています。   北・山根3203-1番地:北緯34度47分57秒東経133度42分16秒    船越様・みはか堂:北緯34度48分7秒東経133度42分25秒「大和の西の山根の上に 修験者来て、民の難儀を救おうとして、干し柿と鈴を持って穴に入って 23日だか48日だか お祈りしました。修験者の願いに沿って  生き埋されると、雨が降った」と伝えられます  後に船越家の墓場に移されました    小ヶ市・船越屋敷:北3040番地(北緯34度48分1秒・東経133度42分23秒)    大神前:2635-2642番地    落合:2786-2789番地 イヤ谷:北2790・2821番地等 廣石:北2817・2943番地等 小ヶ市:北2822・3172番地等 石砂:北2849・2919番地等 笹砂:北3008・3222番地等 山根:北3173-3203番地 才道:北3257・3336番地等 狩床:北3309・3333番地等 師匠田:宮地78・351番地等 寺之前:宮地108・201番地等 東ヶ市:宮地140・222番地等 御崎之前:宮地137番地 山根:宮地144・237番地等  平成27年(2015年)11月8日

 

竹荘 神子神社 Miko-jinjya on Miko-yama in Takesyou

竹荘新屋2742番地の 西北西約 360m 竹荘角尾川2716番地の北西約340mの神子山の頂上 北緯34度52分13秒東経133度40分15秒には、かつて 神子神社がありました。つい最近まで 鳥居が有りましたが、現在は朽ちて無くなり 祠と小さい無名の墓らしい物があるだけです。 天平6年(762年)に 竹荘は 旱魃となりました。その頃 新谷宗高Sintani-Munetakaの妻は 神子神社の巫女をしていたので、社に籠り 雨乞いをしまました。巫女は「神子山が低いので 天に祈りが通じない」と訴えると、宗高は 5段の櫓を組みました。巫女は鬼神の如く13日間祈祷し続ると、祈りの鈴音は 止みました。神子は 何者かに食い殺されたのです。櫓の下で満腹の大蛇を見つけた 宗高は 大蛇に挑み、相討ちになりました。すると 大蛇の口から雲が 湧きだし、野や山は雨で 潤いました。感謝した村人は 宗高を新谷荒神社に 祀られました。神子山の麓に、鳴る岩戸言う大岩が有ります。大災害が起こると、大轟音を出して 鳴るそうです。「岡山の伝説・神子神社」「新谷よりの村人より口伝」「吉備中央町の民話(1)     神子山:竹荘2280-2307番地 岩目山:竹荘2308-2349番地 地蔵免:竹荘2397番地 山根山:竹荘1385・2442番地等     平成23年(2011年)9月19日

 

 豊野 峠信森脇の社 Shrine in Toyono-Kasenobu

 尾原賀陽線(369合繊)が  矢野川を渡る所の 南側の四差路豊野森䏮i3775番地から 西に40m程入り 南に折れ60m程の道の曲がる所の高み 北緯34度53分26秒東経133度42分56秒に一宮社が建っています。祀られる神は不明です。 才ノ峠・才ノ乢:豊野3607・3615番地 栗木坂:豊野3611・3616番地等 森山ワキ・森䏮:豊野3654・3797番地等 行免:豊野3716・3800番地等 コゴロ・ココロ・コ々ロ・古々路:豊野3692・5372番地等  平成29年(2017年)7月16日

 

西 仕方畝の社 Shrine in Nisi-Siksata-une

484号線の吉備中央町と 高梁市の境界が 仕方畝です。仕方

畝の交差点の東北の 西仕方畝2670番地に 社が建ちます。祭神は解りません。    小丸山:西2483-2492番地

神田:西2496・2516番地等 仕形畝:西2504・2683番地等 炭釜:2303・2304番地 白粟:西2546-・2613番地等 片松:西2679-2681番地 弓張松:西2707・2708番地 休床:西2709・2737番地等 狩山:西2728・2781番地等  平成30年(20187年)3月15日

 

吉川 河内田の神社Shrine in Yosikawa-Kawatida

吉川河内田の吉川城ヶ鳴202-5番地の隣り 河内田橋の南の 名も無い山の登り口に 山上大権現の碑が 立ちます。頂上は 墓場になっており、その西に平坦地が  伸びます。その西端に 石で組まれた台座の上に 小さい厨子が 倒れています。 河内田橋:吉川城ヶ鳴202-5番地の北西 北緯34度48分39秒東経133度45分37秒 名も無い山:吉川144番地の南西 北緯34度48分36秒東経133度45分36秒 天津山の北西 北緯34度48分26秒東経133度45分22秒の尾根    小さい厨子:吉川182番地の北 北緯34度48分34秒・東経133度45分36秒 城ヶ鳴:吉川198・640番地等 稗田:吉川79番地 男松谷:吉川104-108番地 岩瀧:吉川111・114番地 国僧:吉川166-192番地 橋ノ元:吉川136・203番地等 橋上:吉川139・165番地等 向山:吉川251・252番地 濱:吉川233・238・239番地 的場:吉川253・258番地等  平成26年(2014年)9月13日