河童 Kappa

三谷 日名    大坪の河童 Kappa at Ootubo

細田の大坪は 三谷の者が所有する田でした。カンノアナ(鐘の穴)と 言う底なしの小さい鉱洞を 住処(すみか)にする河童は 相撲を取るのが大好きで、その大坪の田に水を張る頃は 堰が造られ水嵩が増し餌にする魚が豊富となるので 良く餌取りに来ていました。この河童は 子供が水遊びすると水の中に引きずりこみ 尻小玉を取りました。身長は1m程で、細身で手足が細く、水掻きの付いた指は3本ずつで、背中には鼈Supponのような甲羅付けており、肌の色は深緑で滑り(ぬめり)があり、物凄い)悪臭がしており、口は開いた蛤hamaguriのようでした。頭のお皿には頭から分泌される健康物質が含まれていて、減ると力が出なくなります。嫌いな物は人間のオナラで、その臭いを嗅ぐと 気絶すると言われています。好物は胡瓜(Kyuuriです。「三谷陰地の村人口伝」


大坪の河童物語 Tale of Kappsa in OOtubo

昔 昔 三谷村(吉備中央町三谷)に 安蔵と言う名の男の子が住んでいました。ある日  三谷川に魚取りに中倉山から下りて来ました。安蔵は 何時)も親から「大坪にゴンゴ(かっぱ)がおる 大坪の上にはゴンゴの住処Sumikあが有って、そこは底なしの穴じゃ 大坪で水遊をしてはいけん ゴンゴの住処の穴には絶対に近付いてはいけん」と 言われていました。大坪の田に水を引き込むために 三谷川が堰き止められていて、大坪の辺りの三谷川の川幅と深さは 大きく深く成っていたので、沢山魚が住み付いていました。良く魚が釣れるので、野放図な安蔵は 毎日魚取りに夢中になっていました。1m位の魚らしいものが泳いでいたので「何とかして捕らまえてやろう」と 川に入ると、その魚らしきものが 足を掴んで深みに引き込もうとしました。安蔵はびっくりして、川から出ようとした弾みで体中に力を入り オナラをプププと してしまいました。大魚はその突然の物凄い匂いに気を失い掛け、足を掴んでいた手を 慌てて離 し蹲ったuzukumattaのです。気が蘇えかかると 臭いの残る水から 川岸に飛び上がりました。正体を現した大魚が 弱り切った河童と判ると 安蔵は 河童を追って陸に岸にがりました。安蔵は 河童の弱みが 解ったので「やいゴンゴ  不意打ちとは卑怯だろう お前みたいな悪さ者は 退治してやる」と言うと、河童「こばくれ(生意気)を言うな 何をぎゃん付いとる 俺は人間と相撲とっ て 負けた事はない程強いんじゃ  じゃけぇはぁ尻小玉よこせ」と すごんできました。安蔵は「尻小玉 そんなへなげな物を 俺は持っておらん 呉れてやりたくても ようやれんわ」と 反論すると、河童は「いなげな物とはなんじゃ  狐(や狸)の尻の穴のねき(そば)に有るじゃろう  いつもは鼬Itatiの物を使っているのじゃが、たまには人間の物を使って見たいんじゃ」と すごむと、安蔵は「確かに雄の犬や猫の股に 玉のような物が付いているのを見た 俺にも 金玉はある  見せようか」と 応じるました。河童は「見とうないわい  それはふぐリじゃ 早う尻小玉が有るか調べさせろ」とせがむので、安蔵は「尻小玉を何に使うんじゃ 犬猫の尻の穴のねきのこんめぇ(小さい)玉を押すともんげえ(ものすごい)かざ(におい)の汁が飛び出す  考えただけでも黄水が登らぁ(吐き気がする) それか」と 尋ねると河童は「それじゃ  それで香水を作るんじ ゃ 女の河童にぼっこうもてるんじゃ」と 答えました。安蔵は更に「ゴンゴの女子Onagoは あぎゃぁなかざがが 好きなんか  変態じゃのう」と 笑うと河童は「そのまんま使ったら嫌われる  えげに(ちょうどよいように)まえて(薄めて)使うんじゃ」と 安蔵に惚れ薬の秘密を教えてくれました。安蔵は感謝し「そうか じゃぁ  相撲をとってお前が勝ったら 尻の穴を見せてやる  尻小玉があればお前に呉れてやらぁ  ないなら知らん」と 申し出ると 河童「よっしゃ お前が勝ったら、悪さを止め川に嵌った人間を助ける事にすらぁ 3番勝負じゃ」と 受けました。安蔵は「1本勝負じゃないのか  残念じゃ  まぁ良ぇ  しかし生臭いしツルツルじゃ お前の体を洗って かざやヌルヌルを のうしてからにしてくれ  口もいすいでくれぇ  あまっとる(腐っている)ようなで 鼻がいがむ」と申し出ると河童は「大仰山Oo-gyousan(大げさ)じゃのう  尤もな申し出じゃ  じゃが背に手がたわん〔届かない)」と 言うので、安蔵は「結構 潔いなよいな  背中を洗う手伝Tego( 助け)うしてやる」と 言うと 、安蔵は 河童は 頭の皿に水が張っていないと 力が出ない事を知っていたので、背中の甲羅を丁寧に丁寧に洗うげ(ふり)にして、河童に気付かれないよう 頭の皿のネットリとした水を 手拭Tenuguiで ほんの少しずつ吸い取とりました。何も気づかない哀れな河童は 相撲の仕切りに付きました。二人は どしゃげ(ぶつかり)合うていきのう(直後に)四つに組みました。河童は 力が出なかったので、頭の皿の水は 粘着力が強いのでこぼれる経験がありませんでしたが 屁に驚いて 岸に余りの勢いで飛び上がったので もれたのだと思いました。負けると感じたのですが 勝負は始まっているし、後の2番で勝てる自信があったので 相撲を取り続けました。案の定 河童は あっさりと 安蔵に放り飛ばされました。2番目の勝負の待ち時間の間に河童は「皿の水を溜まってからにしてくれ」と 頼むと 安蔵は「かつえど(死にそうなほどの空腹)ってしもうた 飯(まんま)を食わせてお呉れぇ  芋ごんぼう(牛蒡)は 俺が食う  胡瓜の漬物はお前にやろう  食休みの後再開じゃ」と 快く応じました。勿論 河童は 人間に相撲で負ける筈(はず)がないので、2回戦はいとも簡単に安蔵は投げ飛ばされました。 そして 腹酔うた(腹いっぱい食べた)こなれる消化する)のを待って 3番目の勝負となると、安蔵は河童に尻を開けhadake後ろ向きに仕切りました。河童は「こんなら楽勝じゃ  お前は本真にあんごう(ばかもの)じゃのう  ひょんなげかたをして」と 馬鹿にすると、安蔵は「これが必勝の秘策じゃぁ  これで俺の勝ちが決まったようなもんじゃぁ  約束を絶対に違えるな ついでに尻小玉があるか調べろ  ちょっと待て」と 自信たっぷりに 構えをし直しました。河童は「やけに時間を使うなぁ  こしぃ(ずる)事を企てていないだろうな  ほんまに敵に後を見せる格好でよいのか」と  用心しながら構えました。安蔵と河童の立ち合いは成立しましたが、尻を突き出されてみると 意外にも組み止め難く オナラの匂いがかすかにするのです。しかし 河童は絶対に負ける筈はないと侮り 安蔵の尻を押して土俵の外に送り出そうとしました。安蔵は 尻を向けたままクルンクルンと逃げ れました。そして安蔵はしこんぎり(力一杯)腹に力を入れて ブブブブブブブーと ごつい芋とごんぼうのオナラを こきました。河童は 危険を察知し飛び除けると弾みで ひょろどう(ふら付いた)のです。勢いづいた安蔵は 河童を尻で追って またもブブブブーぶりゅうつけて(予備動作で勢いを付けて)オナラをこきました。これには堪らず 河童はくらりかやった(引っくり返る)ったのです。汚な過ぎる手でしたが、負けは負です。安蔵は「女子にもてる臭いの造り方を教えてくれ」と頼むと、河童は「仕方無い  教えるよ  なるべく濃いぃ焼酎で尻小玉の汁を溶かすんじゃ  尻小玉がないんならお前のウンコでも良ぇ すると黴菌baikinが死んで呉れる  綺麗になるまで濾して 水で薄め、丁度良い塩梅の香にするんじゃ  ジャスミンの花の香のようで女は喜んでさばりつく(むしゃぶり付く)ぞ 想像するだけでもう堪らん」と秘密を共用しました。格好の惚れ薬を手に入れた安蔵は女性にもてにもて、励み過ぎて子種を使い果たし、妻との間に子を設けられず、やむなく親戚から養子を迎え家を継ぎました。

安蔵の孫の 澄彦には登志ちゃんと言う好いた娘がいたのですが、ちいとも(すこしも)振り向いてくれないので、恋の神頼みをしに化気神社Kegi-jinjyaに1日はだめに(おき)詣でていました。神様は すらんこうで(薄情で知らん顔して)頼みを聞いてくれないで 往生していました。祖父から伝わる河童伝説を信じて、ウンコを使って香水をこさえた(つくった)のです。首筋にその画期的な香水を付けて、勇気を出して登志ちゃんに近付いてみました。すると登志ちゃんは 経験した事のない惚れ薬に高揚して 初めて振り向いて呉れました。澄彦は 自信が付いたので、勇気を出して求婚したのです。すると 登志ちゃんは3人の子を実家に預け あっさりと承諾してくれました。「これはいける 町の女にも試してみよう」と 町の酒場に繰り出すと、もてる事 もてる事。町の男達は女達にもてたかったので「その香水をこさえてお呉れ」と 澄彦に頼みました。ある日、薄め方を少なくし濃い香水にしてみました。するとお姉さん姿の男女Otoko-Onnaに纏い付かれました。そこで 女達に 濃い香水を作ってやると 女達は男達にもてたんのです。しかし「どうも香水は澄彦のウンコでこさえているらしい」と噂になり始めると、澄彦は町に行かないようになり、元の百姓に励みました。名誉を挽回するために 日本に電線敷設が殆ど普及していない大正の頃、三谷村に莫大な費用を投じ 電気を引き 村人に感謝されながら 先妻の子の長男の子5人と登志ちゃんの子2人の子供達を育て上げました。僕と同じようにもてない君。これと同じ方法で惚れ薬は作れない訳ではないが非衛生なので 作らないでください。この物語は「三谷陰地の村人ひなのより口伝」「澄彦の体験談」「インドール スカトールの利用法」を基にした作り話だから。でもね。今でも ウンコの臭いの成分の入った香水で、世界中の女達は 男を誘うために使っているよ。そう。君の姉さんも、母さんもウンコの臭いのお世話に成っているのだ。そうそこの君も、君の好きな彼女にウンコの香りで誘われているんだよ。香水瓶のラベルを見てご覧ん。インドールとかスカト―ルとかジャスミンと書いてないか。インドール スカトールはウンコの臭いの素だよ。天然ジャスミン油には25%のインドールが含まれているよ。https://ja.wikipedia.org/wiki/スカトール」 「https://matome.naver.jp/odai/2143736569123168901trend-up2.com/2016/04/18/香水に使われている臭い成分とは?スカトールとインドール

大坪:北緯34度54分13秒東経133度47分24秒にある田の小字 大坪の前の小さい淵を大坪の淵と言います    鐘の穴:北緯34度54分3秒東経133度47分10秒の近く 三谷日名の集落より北に登り、広域農道に向かうT字路を左に下り橋に出た所の農道を三谷川に沿い50m程登った所の左岸にあります  元文の頃(西暦1740年頃)の銅山の試掘穴で、縦坑は深く底なし感が有あり、横坑は三谷川を横切り、コソコソ岩に向け200m近く掘られていると聞きます  銅は採掘されず、蝋石Rousekiが採れました。この穴の水は冷たく、旱魃時にこの水で付近の田の水が補えたと言います。かつては岩盤に四角い穴がはっきり開いていて、文字が岩の壁面に刻んでありましたが、現在では、堆積物が覆い被さっています  文字は苔がむしていて刻まれた場所がどこであるか解らなくなっていますが、「鐘ノ穴」であったと記憶します コソコソ岩:広域農道の細田公民館下の三谷に下る旧道の分岐点と三谷集落西端の民家との中間辺りの山側の採土で窪んだ道より2m程中側 北緯34度54分3秒東経133度47分4秒の近くにあります 鐘ノ穴に向かって盃状の浅い穴が彫られていましたが、風化が進み現在は良くわからなくなっています。夜に前を通るとコソコソと音がしたとされます  鐘ノ穴を掘る音や、坑道で働く人の話し声が聞こえたのでしょう。 化気神社:北緯34度45分19秒東経133度49分22秒 案田化氣山5番地   大坪:三谷700-772番地 隠砂:細田1104-1106番地 三谷:細田1120-1142・1151・1161-1163番地 三谷原:細田1143-1150・1153-1155番地 炭唐砂:細田1166・1167・1169・1171番地 平成24年(2012年)3月2日

 

平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。p55~P56に「ゴンゴ」「河童」「鳴滝のゴンゴ」「ゴンゴ渕」が載っています。

 


上田西 穴住池のゴンゴと片目の魚 Water sprite and fish with one eyed in Anazumi-ike pond

上田西 西田1191番地の西に穴住池があります。かつては摺り鉢状の深い池でした。ゴンゴや片目の魚が 住み着いていたと 言い伝えられます。現在は 土砂が流れ込んで 池の深さは腰の下 程になっています。片目の人が 池に嵌まり片目の魚になったと 伝えられます。ゴンゴが 悪さをしたと言う伝説は無いので、恐らく水の犠牲になる事を心配した大人達が、子供達が池に近づくのを防ぐために作った教訓的な作り話なのでしょう。「上田西 西田の村人.西田氏より口伝」 穴住の地名の由来:キュウモウ狸の住処があった」からとの説が有ります  銅鉱山の試掘抗が近くに幾つか有ります 片目の魚:https://kotobank.jp/word/片目の魚-44994」「yamagatamanabikan.jp/news/2858」「https://ameblo.jp/marine816/entry-12394238000.html」「kanko.washoko.or.jp/sp/detail.php?id=50」「https://blog.goo.ne.jp/kmitoh375/e/85a7c5203d31c40f58c8b5cf2515ae3f」「www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1140632.shtml」 西田:上田西1154・1239番地等 佛乢:上田西1205・1213番地 佛溺:上田西1208・1238番地等  黒杭:上田西31・905番地等 穴住:上田西824-826・829番地  令和元年(2019年)7月23日


岨谷 馬ヶ谷のゴンゴ Gongo lived in Umaga-tani valley

落合ダムの下流に 馬ヶ谷と言う所があり、そこにある淵をゴンゴ渕と言いました。ゴンゴとは意味の分からない事を話す者の事で 異邦人とか妖怪を表し 多くの場合河童の事です。

昔、山根に住む男が 陽も届かない程に樹木で覆われた細道を 谷川に沿ってゴロ石やヌカルミに足を取られながら 馬を引き引き ゴンゴ淵迄やって来ました。すると淵から陰気な声で「飯を恵んでくれー」と 声がしました。馬方は 出かける前に妻から「ゴンゴが出たら相手にするんじゃないよ   ゴンゴは酒を好きじゃが ヨイタンボ(酔いたん坊)の匂いを嫌う」と 諭されていたので「ホイ来た」と思い「湛井Tataiの船戸迄の急用じゃ  帰り 迄待ってインドカレー(自分の)家に帰って待機しておいて) 土産でも買うて来てやらあ」と 答えると、ゴンゴが 淵から飛び出して「そうか 嬉しい事を言うのう  湛井迄は遠いけぇ 腹も空こう 弁当はお前が食いねぇ  お前を良ぃ奴と信じるけぇ 土産を忘れるな」と 言うと淵に消えて行きました。馬方は「チョレイ(ちょろい)奴じゃ」と 思いながら荷を届け終えて、荷の受け主の振る舞いのどぶろくを しこたま飲んで 千鳥足でゴンゴ淵に戻って来ました。

すると 淵から嬉しそうにゴンゴが現れて「上機嫌じゃのう  早う土産をくれぇ 」と おらいだ(話しかけた)ので馬方 はとぼけて「そねぇな約束は酒の所為seiで忘れとった」と 自信ありげに答えると、ゴンゴは カンカンに怒り出して 馬の足の先っぽに憑いて  ゴボゴボと馬を淵に引き込みました。馬を盗られてなるものかと 馬方は 手綱を必死に引きますが、力は到底ゴンゴに及ぶはずもなく 淵に転げ落ちました。ゴンゴが 馬方の酒臭い体臭を嫌って 近寄らなかったので 馬を諦めると岸に這い上がる事ができ、命カラガラ逃げに逃げて 槇谷川の農家に駈け込みました。不安な夜が過ぎ 翌朝 農家の者が「池田神社でお祓いをして 明るい内に帰りねぇ」と 言うので 家に帰る事にし、馬の事が気に掛かったので 馬ヶ谷に向かいました。馬ヶ谷は 左程に大きくないのですが 両岸の山が迫っているので もう迂回道を選ぶ事が許されず ゴンゴ淵に差し掛かりました。恐る恐る淵を見る と轡Kutuwaが浮かんでいたので、馬方は「馬はゴンゴに骨も皮も皆食われた  せめて轡でも供養しよう」 と思い轡を拾おうとしました。轡に手を掛けると 手は轡に貼り付いて 離す事ができず 馬方はズルズルと淵に引き込まれました。馬方の妻は夫の帰りが遅過ぎるので 村長(Muraosaに頼んで 屈強な男達を付けてもら い夫を探しにゴンゴ淵迄やって来ると 馬方の半纏(Hantenが 淵に浮かんでいました。「夫はゴンゴに食われた  せめて半纏を持ち帰った供養しよう」 と思い半纏を拾おうとすると妻の手は 轡の絡みついた半纏から離れず 半纏ごと淵に引き込まれました。一緒にいた村人はゴ ンゴの業に驚き 逃げ帰りゴン淵を馬ヶ淵と呼び、馬ヶ淵を通る時にはゴンゴの持て成し物を持って行くようになりました。「総社市池田神社参詣者より口伝」  落合ダム:吉川落合 北緯34度48分01秒東経133度43分48秒 馬ヶ谷:大和の山根から唐人山に抜ける 落合川の岨谷と吉川の境の谷  落合川は槇谷ダムに注ぎ、更に下流に続きます    ゴンゴ淵馬ヶ淵bsakabuti:吉川 唐人山の北 北緯34度47分36秒東経133度44分9秒    湛井の船戸総社市井尻野の船戸:豪渓の下流 総社駅の西の高梁川    山根:吉備中央町北 北緯34度48分6秒東経133度42分16秒     唐人山:吉川北緯34度47分24秒東経133度44分20秒    槇谷川:妙本寺 大和郵便局 豪渓 池田神社付近を流れ総社市秋葉山付近で高梁川に注ぎます  池田神社付近で落合川と合流します    池田神社:槇谷川が落合川と合流する地点のすぐ北の山中 北緯34度44分52秒東経133度42分58秒に鎮座 主祭神は吉備武彦命 参道の合祀記念石碑によると「元槇谷鎮座した村社の熊野神社 古郡神社 金毘羅神社 御崎神社 荒神社、穴粟に鎮座した村社の八幡神社 荒神社 見延鎮座した村社の御崎神社荒神社を合祀し池田神社と社号した」との趣旨が示されています。www.komainu.org/okayama/soujyasi/ikeda/ikeda.html」  平成29年(2017年)8月20日