宮相撲 Sumo wrestling for offering to  shrine


宮相撲は 五穀豊穣を 願い行う 年中行事でした。大正時代までは 尾原の金比羅神社 豊岡上の亀山八幡宮 上田東の松尾神社 和田の天王様 案田の化気神社 下加茂の日吉神社 尾原の重岡神社 上野の天満神社 高谷の森神社 下土井の土井神社 上田西の祇園神社 平岡の八幡神社 上田の久保田神社 加茂総社 五明の亥の子祭り 円城の亥の子祭りの他 多くの神社で 行われました。下加茂 日吉神社の子供相撲は 昭和40年頃まで 続けられたと 言われます。各場所で 特徴を 持ちます。大抵の宮相撲では 朝、藁を束ねて作った土俵に 4本柱を 立て 注連縄Simenawaを 張り 神主の 安全祈願と 御祓い後 に前相撲が 行われました。子供相撲や 青年相撲です。勝者には 小銭や 鉛筆 等が 与えられ、敗者にも 小銭が 与えられる事が ありました。勝負は3番げし(恐らく3番勝負) 5番げし あるいは 勝ち抜き戦 飛び入り戦でした。いでたちに 藁で編んで 色素を吹きつけた 化粧まわし 等の工夫が 観客を 沸かせたそうです。これが 終 わると 近在の花形力士 あるいは プロの力士(閂部屋 等)の対戦となるのですが、その前に 昼食として 餅や握り飯 等の力飯を摂りました。「1かけ2掛け3掛けて 4掛け5掛け6掛け7掛け8掛け 橋の欄干rankan腰掛けて 遼Haruka向こうを 眺むれば 17・8の姉ちゃんが  筍かかえて泣かしゃんす 何も 悲しゅはないけれど、泣くや 淡竹ha-tiku孟宗竹(Mousou-dakeまで生えたのに 私のにやー 真竹が 生えぬ トコドシコメ ドシコメ」等と相撲甚句Sumou-jinkuが 歌われ、観客に 餅を配ったり 餅投げをしたりもしました。花形力士が 土俵に上がると 贔屓筋Hiikisujiが 投げ花御捻り 煙草入れ 着物 等 投げられました。こういう品物は 祭り本部が 換金します。相撲が終わると 酒が力士に振る舞われました。大正の頃の 1番の名力士は 真庭郡浅田村上山の三国山国太郎で 加茂川地区を 荒しまくりました。大活躍し 引退後 玉姿(相撲の頭取)になり、弟子は 200人を 超えたと言われます。尾原 豊岡からの弟子も 多かったそうです。名の残る力士は、尾原の前田房吉(大関キシノオト) 尾原の植木真吾(関脇スミダガワ) 下加茂梅原の都藤藤四郎Miyakohuji-Hujisirou 落合の小錦 和田の尾車 上田東の旭川でした。加茂川町に「借るは 借ったが 破れ傘、雨は 大森藤四郎」と言う口合いが ありました。大森と言う人を 頼って来た 藤士郎が 雨の日 大森から 傘を借りましたが、ボロボロに 破れていて 役に立たなかったのが 由来です。破れた傘を使う時、雨漏りする時の口合いでした。「加茂川町の民俗」

藤四郎の供養碑:下加茂 北緯34度51分41秒東経133度47分34秒 尾原の金比羅様:廃止 所在不明     豊岡上の八幡宮:北緯34度53分59秒東経133度45分35秒    上田東の松尾神社:北緯34度53分33秒東経133度47分45秒    和田の天王様・素戔嗚神社:北五34度53分31秒東経133度44分50秒    案田の化気神社:北緯34度45分19秒東経133度49分22秒    下加茂の日吉神社:北緯34度51分46秒東経133度49分25秒    尾原の重岡神社:北緯34度55分08秒東経133度45分6秒    上野の天満神社:北緯34度50分48秒東経133度46分44秒    高谷の森神社:北緯34度51分32秒東経133度46分45秒    下土井の土井神社:北緯34度52分41秒東経133度45分52秒    上田西の祇園神社:北緯34度53分3秒東経133度47分51秒    平岡の八幡神社:北緯34度51分24秒東経133度47分54秒    上田の久保田神社:北緯34度53分39秒東経133度47分6秒    加茂総社:加茂市場 北緯34度51分51秒東経133度45分30秒    五明の亥の子祭り:北緯34度55分13秒東経133度48分54秒    円城の亥の子祭り:北緯34度53分44秒東経133度48分59秒  平成24年(2012年)5月5日

 

三国山国太郎 Kunitarou Nikuniyama


 昔 加茂川地区は 加茂総社を 筆頭に 各神社の宮相撲が 盛んでした。真庭郡浅田村の百姓 三国太郎少年は 相撲が大好きで、村の年上の少年と 毎日 相撲を取って遊んでいました。「好きこそ物の上手なれ」の例え通り、見る見る上達し 余りに強くなったので「怪我をさせられちゃぁおえん」と 言って誰も 相手をしてくれなくなりました。「誰か 相手をしてくれる者は 居らんかのう」 物知りの村の宮司に 尋ねると「ゴンゴと言う 妖怪がおって、ぼっこう 相撲が強い そうじゃ 三谷の大坪や 尾原のごんご淵に おるそうじゃ  河童に稽古をつけて貰えば良いじゃろう  行ってみなされぇ」と 言うので、ごんご淵に 出かけ 淵を 覗き込んでいると「相撲しょうや」と 何処からか 身の毛のよだつような声が 聞こえて来ました。大抵の人間は この気味の悪い声に 驚いて 逃げ出すのですが、相撲の稽古をしたい気持ちで 一杯の太郎は「どこじゃ  早う出てこられぇ」と 言うと、ガッソの中から 青い肌をした 小柄の化け物が 2匹出て来ました。太郎は「お前 等が 河童か。小めぇが 本真に強いんか」と 尋ねると、ごんご淵の化け物は「そうじゃ  小んめぇ 思うて 侮っては おえん  わしもこの三谷のゴンゴも 人間に負けた事ぁ 一度もねぇ  釘貫部屋の大関の 旗幟音Kisi-no-otoも 関脇の墨田川も 挑んで来たんで 投げ飛ばしてやったんじゃ  それからぁ 挑んでくる人間は おらん  ひっさ人間と 相撲を 取っとらん」と 笑い掛けて来ました。太郎は 滑ったnumetta肌や 生臭い臭いを 我慢し「相撲の稽古を付けてくれぇ」と 言うと、ごんご淵の河童等は「ねんごう言うもんじゃねぇ わし等に勝にぁ こねぇな岩を 片手で 放うれる位で なけりゃぁおえん」と 言って 猪の2倍程もある岩を 持ち上げて見せてくれました。太郎は「この岩を 持ち上げたら、稽古付けて呉れるんか  せわぁねぇ」」と 言って 岩に手を 掛けましたが ビクともしません。太郎は 無口になり 頭を下げて 小さい石から 持ち上げ、毎日 淵の石を 運び河童の住処を広げてやりました。熱心さに 好意を 持ったゴンゴが 呉れた頭の皿の水で 乾いた喉を 潤すと みるみる 筋骨隆々に 成り あの岩を 持ち上げられる迄になりました。すると 河童等が 相撲の稽古を 付けてくれました。ゴンゴ淵の河童は 四つ相撲の業師wazasiでした。河童の技の豊富な事  素早い事  切れの良い事 圧倒されました。もう1匹の河童は 大坪の鐘の穴に住む河童で 突っ張りを 得意とする押し相撲に 長けていました。太郎は 河童の仕掛ける技を 一つ一つ覚え 河童と 5分の力を 付けました。河童達は「わしの教える事はもうねぇ 仰山gyousan 相撲 取らせてもろうて、嬉しかった  有難う」と 言 い三国山国太郎と言う 四股名Sikonaを 付けて呉れました。意気揚々と 加茂総社の宮相撲に 参加しましたところ、国太郎の実力は 驚きの評価を受けました。国太郎が 強くなった事情を 知った 下加茂梅原の都藤藤四郎 落合の小錦 和田の尾車 上田東の旭川も 河童の指導を受け、国太郎に 迫る実力を 付けました。尾原の金比羅様 豊岡上の八幡宮 上田東の松尾神社 和田の天王様 案田の化気神社 下加茂の日吉神社 尾原の重岡神社他、多くの神社や小社で 名力士達は 引手数多amataで 招待され、名勝負を 繰り広げました。それで加 茂川の宮相撲は 栄え、日本中の評判になったのです。当時 角界の一番手の釘貫部屋の力士達は、巡業で 江与美に来た折「加茂川の百姓共の方が 強い」と 言う評判を聞いて、誇りに傷つけられ 我慢ならず 大勢で 加茂川にやって来ました。しかし誰が 三国山か 解りません。牛を引いて田を耕す 逞しいそうな男を 見付け「三国山の家はどこかのう」と 尋ねると、その男は 牛鋤usisukiを 軽々と 片手で ヒョイと 持ち上げ、指し棒代わりにかざして「この山のずっと遠くの浅田村じゃ」と 言って山の向うを 指しました。その鋤は 力士でも 片手で 差し上げるには 大き過ぎる程でした。牛は 働きたくて 鋤を引こうと 暴れるのを宥めるため、その男は 子犬を抱えるように慈しみ 牛を抱き上げ 話を続けるものですから、釘貫部屋の相撲取り共は 舌を巻いて「この男より三国山は強い」と 察し、礼を言って スタスタと頭を垂らしながら 帰って行きました。三谷野呂の百怪談

ごんご淵:尾原 北緯34度54分24秒東経133度45分23秒 豊岡上から尾原に向かう途中の大きくカーブした 尾原道下モ7番地の向かいです かつて 世界第2次大戦時中  松根油工場が 有った所です 備中では ゴンゴとは 化け物の事 備前では 化け物の中でも 特に河童の事です   大坪:三谷 北緯34度54分13秒東経133度47分24秒 大坪の川上の銅の試掘抗で 蝋石が 発見され 深さ100m程の鐘の穴を 掘り採取されました  採掘音の聞こえた辺りの岩を コソコソ岩と言います この穴は 水が絶えず、河童が 住んでいたとされます  夏の水不足の時は この穴の水で 三谷集落の田の全部を 潤したとされます   真庭郡浅田村:浅田村はありません 瀬田村でしょう 現在の真庭市上山 田原山上 旦土 野原 舞高 吉 久米郡美咲町西地域です   釘貫部屋:閂部屋から類推した 架空の相撲部屋       平成24年(2012年)5月5日