三納谷 三所神社の火柱 Pillar of fire of Sansyojinjy shrine


 下土井野呂から 三納谷若山付近に 悪い病が 流行しました。村人が「神も仏もあるものか」と 苦しんでいると、天元2年(979年)または 永観元年(983年)に 雲一つない満月の夜、大轟音を立て 父井谷を 木の葉を巻き上げ 火柱が 若山に向け 駆け上がりました。

「さては天狗か何かが 葉団扇を 煽り煽りしてやってきたか」と 鶴嶺の豪士 17人が、清月の光を 浴び 谷に湧く冷泉で ザンブザンブと 垢離をとり、裃KamisimoHakama姿と 華やかに拵えてKosiraete 槍や弓を携え 山を登りました。光が 田の岸の上 に立ち上っていて不思議な 3人が 火柱を 背負い 大岩に 悠然と 構えていました。一人は 美しい女王の如くに 威厳が有り 全身に8柱の雷神を 纏いmatoi 白馬に 跨ってMatagatteており、纏い付く各々の雷神は 天地に 向かい 8色の稲妻 と雷音を 放っていました。一人は雷神の周囲を 光の玉となって 飛び回っており、引き起こす 疾風の音の中「我らに向けて射よ  もし矢が我らに届くなら 汝らの願いは  直ちに叶うであろう  我が誓約Ukeiの力は 光の玉の如く速い」と 宣言しました。もう一人は どっしりと構え「我は 全ての悪を 祓い清め 事態を収拾しつかまつる」と 言っていました。郷士達は 余りの光景に たじろぎましたが、素戔嗚命Susa-no-o-no-mikotoの「我の示す箭霊Satiの霊力あり 幸福をもたらす 弓を持って 怪しき光の主を 退治せよ」と の神託をうけていたので 霊力を信じ「魔物で あれば 退散せよ  神であれば 姿を現し お告げを賜れ」と 怪しの3人に 素戔嗚命のお言葉のまま各々は 射幸心を 抱き 弓矢を構 え 鏑矢Kaburayaを 放ちました。ブーン ブーンと 音を立て 得体のしれない者達に 鏑矢が 飛んで行くと 3人の姿は みるみる 融合し 壮大な 火柱を 背負った 逞しい白馬に跨る 白髪頭の老翁なりました。

馬は嘶きInanaki大岩に蹄Hidumeの跡が 残る勢いで 一蹴りし 宙に舞うと 翁は 向かってくる矢を 次々に受け止め「吾は紀州の三所権現なり  この地は 我を 祀るに 清々しき良き地である  ここに社を 建て我を 祀るべし されば我 この地と この民を 護らん」と 高々に宣言しました。村人は お言葉に 従い 若宮 三所権現社を 建て、三所権現を 祀ると 夜な夜な現れていた 怪しき火柱も 轟音も 翁も消え、流行していた悪疫も 去りました。加茂川町史 三納谷三所神社」「三納谷父井の村人より口伝」    鶴峰・霜峯:三所神社から 美原と三納谷の境になっている道を 東に進むと 直ぐに 三叉路があるので 北西に折れた 北緯34度52分38秒東経133度46分26秒付近    三所神社の祭神:伊弉那美尊Izana-mi-no-mikoto 速玉男命Hayatama-o-no-mikoto 事解男命Kotosaka-o-no-mikoto   三所権現第一殿・西宮・結宮:伊邪那美尊 熊野牟須美大神Kumano-Musubi-no-ookami 事解之男神 三所権現第二殿・中宮・早玉明神:伊邪那岐大神Izana-gi-no-ookami・速玉之男神 三所権現第三殿・丞相Jyousyou・家津王子Ketumi-miko (国常立命 家津美御子大神)    伊邪那美命と伊弉諾命の結婚:二人の仲を 取り持ったのが  速玉男命ですが 失敗し、事解男命が 仲人を して成功したと されますwww.tukinohikari.jp/jinja-wakayama/shi-asuka/    伊邪那美命と伊邪那岐神の離婚:火の神を 産んだ伊邪那美命は 焼け死んで 黄泉国に行くと 伊邪那岐神が 妻を この世に 連れ戻すために 黄泉の国に 行きました  しかし 伊邪那美神の遺体には 蛆Ujiが 湧き 体に八 雷神が 纏い\ついていました。「古事記」や「日本書紀」の本文では、夫婦喧嘩をし 伊邪那岐神は 慌てて逃げ帰ったとしますが、 一書には 穏やかに 離縁 し唾を吐 くとその唾から生速玉男命が 化成し、次に掃き払うと 泉津事解之男命が 産まれたとします  速玉男命は 早い玉の光のような 誓約力を 持つ神  絶縁の神等で 事解男命は 事態を収拾させる神 絶縁の神等ですwww.genbu.net/saijin/kotosakanowo.htm」     平成24年(2012年)5月4日