円城 提婆宮春の例祭 Regular festival in spring of Daiba-guu-shrine

円城Enjyou寺屋敷Tera-yasiki742番地 北緯34度53分31秒東経133度48分22秒に本宮山円城寺が建ちます。提婆宮は 円城寺境内 北緯34度53分33秒東経133度48分20秒にあります。祭神の提婆天の遣いは 狐です。提婆天は 天部の仏のようであり、眷属の狐を遣いとするので神のようでもあります。弁財天垂迹神ではないかと 思われます。釈迦の弟子の提婆達多とは 関係ありません。何時の頃からか解からないのですが、提婆宮の檜hinokiの神木に 恨み釘を打つと 凝り固まった恨みが 薄れるという言い伝えが できました。

稚児行列の始まりは、仏教が盛んとなった奈良時代です。 貴族や有力者は 子息の躾と教育の目的で 寺院に預け 修業させまいた。後に一般家庭の少年も 稚児として預けられ 稚児(修業中の未成年の坊主)は 僧侶達の身の回りの世話を 行いました。女人禁制の寺で 僧侶達に仕える存在でしたので、好色な僧侶の 性欲解消の対象になる事もあったようです。稚児達は 大人になると 殆どは 僧侶とならず 還俗Kenzokしました。稚児行列は 修行の一環で、化粧させられた稚児達は 寺院の周りを練り歩きました。 化粧をする事で 神が稚児に宿り、稚児は 神聖な存在となります。牛若丸も  弁慶も 稚児でした。現在の円城寺には 稚児(小坊主)は いないので 身長150cm以下(衣装のサイズの為)男女20名が 参加料無料(狩衣 冠 烏帽子等の衣装代は円城寺で負担)で 募集されますが、色彩豊かな狩衣を着るのが恥かしいのか 女神である提婆天 と一体化するのが 嫌なのか 少年の申し込みは 少ないようです。

本殿拝殿の天井絵が 解放されていました。字が読めない人のために 仏教の教えの判じ絵になっていると 住職は言います。本堂の一部の複雑な絵は 風化していて 判じ絵の読み解きは 困難です。草花の天井絵は 鮮やかですが、薬草等 何等かの関連性はないようです。極楽浄土を 意識させる装飾でしょうか。

抹茶のサービスが 行われていました。整理券が 用意されていますので、用意された分が 無くなれば このビスはサービスは 終了するのでしょう。お手元を見る お師匠さんの鋭い視線が 緊張を誘い 自然と お行儀が良くなります。女生徒のサービスする渋いお茶の持て成しは 歩き回った後の喉の渇きを満足させます。

豆大福もち きびもち よもぎもち が搗かれていました。石窯パン うどん 山菜おこわ等この地域の誇る食べ物 陶器や布細工の販売もされていました。餅つきは 田舎のお祭としての雰囲気を 盛り上げてくれます。古い時代 稲は貴重で、米は 人々の生命力を支える神聖な食物でした。中でも 餅や酒は 神饌として特別の意味を持ちます。

その頃 拝殿では 多くの絵馬が掲げられている中で 外の雑踏をよそに 静かに願胡麻 即ち 仏に祈りを捧げる修行が 行われていました。胡麻の御利益は 煩悩Bonnouを払ったり、災害を鎮め また縁結びや 諸運倍増 武運等 様々な願いを祈祷します。

本堂には 白備前焼きのブッポウソウ薬師観音像が公開されています。ブッポウソウは 町のシンボル鳥 ウグイスに加えて 町鳥に 指定されました。ブッポウソウ薬師観音像は この寺以外に 祀られていません。阿弥陀堂の阿弥陀如来座像も 特別公開されていました。阿弥陀如来は 王位を捨て 法蔵菩薩となり、南無阿弥陀仏と5回唱えれば 酷悪人5逆罪者等)で無ければ 浄土に誘う等 48の願いを 成就させ 無限の光無限の寿命を持つ 西方極楽浄土を司る仏陀如来となりました。

石田好美さんによる エレクト-ンコンサートが 開かれていました。皆は それなりの形で 音楽鑑賞します。銭湯牛乳飲みスタイルの子もいます。

琴の演奏を 子供達は 高見の見物しています。この時 祭りの肝煎の頭と思われる人が、提婆宮「丑の刻参りUsi-no-toki-mairi」の作法を懇切丁寧に教えてくれました.。深夜 誰にも気づかれないように 所定の衣装具足で 身を整え 素手で 昔風の五寸釘を 恨み札の上から刺すのだそうです。無理 とても無理。 しかも嫉妬した女性にしか ご利益が無いそうです。

 催し物の間も 住職は邪気を祓う為に 読経を続け、邪鬼が払われると、稚児達が装束を正し、控室から続々と集まって来ます。稚児立のお清めが始まり、祓われた提婆天が 稚児達に降りてきます。厳かな雰囲気に 稚児達は 身を引き締めます。

稚児行列に備えて 山伏姿の先祓い役の青年達が 法螺貝を神水で清め 水を切っています。いよいよ 行列が進行し始め、かつて田辺の九郎(尾原宮阪の庄屋)と 浜の隼人(常光寺の浜の庄屋・現在の豊岡上光寺)が、分限者争いをし、銭を敷き詰め合ったと伝説される「北向き庚申堂」への神幸とになります。付き添いの親は 我が稚児の衣装が乱れないか 冠が脱げないか 心配する事になります。殿Singariを 獅子獅子と住職が務めます。

お旅所は 医王院の隣地の北向甲申堂です。広場に着くと 「神下ろし」 即ち神輿は輿置きに据えられ、太鼓等の祭具も一休みします。北向きの庚申堂は珍しく、かつてはお堂に鈴なりに猿の絵馬(人形)が奉納されていたそうですが、現在では「三巳の虫」の存在を信ずる人は無く 庚申祭は廃れ、質素な お堂になっています。

 ご神幸を締めくくる「神下ろし」が終わると、読経され、この後神輿の担ぎ手達等は神酒を頂きます。著者等見学者にも チョコいっぱいの清めの酒が 勧められます。そして清めを終わります。神輿に 和尚。違和感を感じる人もいると思いますが、かつて本地垂迹(神仏習合)の時代には、和尚と宮司は 並んで神事や 法事を行なったのです。

 行列が 提婆宮に戻り、稚児が解散すると 「餅菓子投げ」が 行われます。本日の最注目コーナーです。

お申込み・お問い合わせは円城寺まで(Tel: 0867-34-0004

平成28年(2016年)5月8日 再編集